11月23日:祝日と紅葉

11月23日祝日と紅葉

 

 今日、23日は祝日で休みにする。ちょうど家庭の事情もあって、休まなければならなかったので、それはそれでいいのである。

 しかし、水曜日を休むというのは、案外たいへんなことであった。今、僕の所は、平日では水曜と木曜が忙しいのである。月曜日などは比較的に暇である。以前は、逆に月曜日は忙しい日であった。こういうものは予測が立てられないものである。

 さて、その水曜日に休むということは、水曜日に来ているクライアントが、火曜日か木曜日にずれるということでもある。このため、火曜日(22日)は定休日にも関わらず、出勤しなければならなかったのである。まあ、仕事をしている方が余計なことを考えなくてもすむし、お金も使わなくて過ごせるので、僕としてはありがたいことなのであるが。

 それで今日は、用事で一日外に出ていたのであるが、まあ、人の多いこと。特に、僕の暮らしている京都は電車が満員でたまったものではなかった。通常なら混むはずのない時間帯でも、人が多くて辟易したのである。彼らの多くは紅葉を見に行くのだろうと思う。遊びに行くのなら、むしろ大阪方面へ向かうはずだからである。

 普段、自然と接することのない人が自然を見に行くことに関しては、僕は賛成である。また、自然を通して、四季の移り変わり、季節の変化を体感することもいいことだと僕は思っている。そういうことはどんどんやってもいいと思う。

 ただ、大概の人は、花が満開の季節か紅葉の季節においてしか、そういうことをしないものである。それ以外の時期には、そういうものに見向きもしないとう人もあるのではないかと僕は思う。その人たちは、それの一番いい時だけしか見ないということである。だから見えないところのものが多くなるだろうと僕は思っている。

 僕は植物が好きである。心理学に手を染める前に、わずかの期間だけど、植物を勉強しようとしたことがある。だから、それほど詳しいわけでもないのだけれど、もしかしたら、今頃植物に関わる仕事をしていたかもしれない。

花が散り、実を落とし、葉をすべて散らした時、植物はもっとも生きていると僕は感じている。冬枯れの木々ほど生命感にあふれている存在はないのである。そして、愚かしいことに、多くの人はそういう木々の姿をわざわざ見ようと足を運ばないのである。

 この冬は、なんとかして冬山に登りたいと考えている。仕事を休むのなら、そういうことのために休みたいものである。まあ、どこまで実現できるか分からないのだが。

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー

 

 

 

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