11月22日(火):あれから16年
昨日(21日)、オウム真理教裁判が終結を迎えた。僕はそれを夕刊で読んだ。そうか、あれから16年も経つのかと、僕は感慨深かった。
地下鉄サリン事件が起きた年、それは1995年のことだったが、僕はテレビで報道されている光景を見て、日本人は終わったと感じたのを覚えている。当時、僕は既にカウンセリングの勉強を始めていた。それ以前から、バブル経済で日本人が浮き足経っていた頃から、僕は日本人がおかしくなったというような感覚を覚えていた。「おかしくなった」から「終わった」へと転換させたのが、僕にとって、地下鉄サリン事件だったのである。
なぜ、「終わった」と感じたのかということであるが、地下鉄サリン事件には、思想や主義といったものが欠けているように見えたからである。犯罪にしろ、テロにしろ、そこには主義思想があり、それをする意図、動機、目的といったものが多少なりとも認められるものである。しかし、あの事件にはそれが感じられなかった。もっと正直に言えば、人間性を感じなかったのである。毒ガスを作る技術があり、実際に完成したから、ばら撒いただけというニュアンスを感じ取ったのである。だから、僕はあの事件が恐ろしかったのである。
地下鉄サリン事件は1995年の3月20日に起きている。この日、大学時代の友達は大学の卒業式だった。僕は中退したので、卒業式とは無縁だったが、密かに大学に行って、心の中で友達の卒業を祝っていた。春休みで、キャンパス内に学生の姿はほとんどない。おまけに普段から学生があまり利用していない自習室があって、そこが以前から僕の憩いの場所だったのだけど、僕はその自習室で独り、式の間、本を読んで過ごした。そして、卒業式が終わる前に、友達が講堂から出てくる前に、僕は大学を後にした。彼らは卒業したが、僕もその日を最後に大学には一歩も足を踏み入れていない。僕は、僕の中で内面的に、大学の卒業式をしたのである。
それで、家に帰ると、地下鉄サリン事件のことでもちきりになっていた。テレビではそればかりが報道されていた。卒業式の後だけに、「終わった」という感じが強く残ってしまったのかもしれないが、ニュースを見ていて、背筋に冷たい物が走るのを禁じ得なかったのを覚えている。
あれから16年か。この間、その友達とも会っていない。僕の人生を大きく変えた友達だ。会うことはなくなっても、その友達が僕の中に残した痕跡は、今でも僕の中で生き続けている。事件の裁判が終結しても、その事件の痕跡が個々の人々に刻み込まれているのと同じように。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)