11月21日(月):クーポンの話
昨日の続きである。「クーポンがあるから一度行ってみよう」と言う人には絶対に来てもらいたくないということであるが、そういう人は通常よりも安い料金で品物やサービスを得るわけである。そして、そういう人に限って、後で「あの店はああだこうだ」というような風評をまき散らすものだと僕は思っている。もちろん、僕の個人的な偏見である。
「クーポンがあるから行ってみよう」というのは、言い換えれば、「クーポンがなければ行かない」ということである。それはその店に対してのある種の「抵抗」感を抱いているということでもある。この「抵抗」が適切に処理されない限り、後々、その「抵抗」が表面化してくる可能性がある。それが風評を撒き散らすという行為として現れる可能性があるだろうと僕は考えている。だから、絶対に来て欲しくないのである。安く提供して、後で悪い評判だけ流されるのはゴメンである。
僕は以前、呑み屋や飲食店の人に尋ねたことがある。それは、クーポンというのがどれだけ効果があるのかということである。大抵の店では、クーポンを発行した直後くらいに、クーポン持参の客が増えるということであるが、ほとんどはその場限りである。その人たちがリピーターにならないということである。僕の考えでは、その客たちがリピーターにならないのは、その人たちが最初から抱いていた、その店に対する「抵抗」の表れなのである。
クーポン持参の客というのは、どこか様子見であったり、あるいは「覗きに来ました」というような人なのだろうと、僕は思っている。京都のお店では「一見さんお断り」を謳っている所もあるが、僕はそれも有りだと思っている。長く付き合える客を選ぶという意味では、適切な対処であると思う。
また、職種によっては、クーポンなど付けようがないものである。病院などはその典型である。「抜歯一本サービス」するわけにはいかないし、「採血二倍デー」をやるわけにはいかないものである。「クーポン持参の方に限り、通常一時間で済む手術を、三時間かけて施術します」というわけにはいかないのである。僕の仕事も、クーポンなど付けようがないのである。その辺りは業者も少し勉強してきて欲しいものである。
クーポンに関して、ある飲食店のマスターが述べていたことが印象的である。彼は「こういうクーポンは常連さんに使ってほしい」と述べたのである。僕はその気持ちが分かるように思った。クーポンは無料だと信じている人も多いのではないかと思うが、そのクーポンはその店の犠牲の上に成り立っているものである。だからいつも来てくれる客や贔屓にしてくれている人に使ってもらいたいという気持ちが僕にはとても理解できるのである。まったく、クーポンなどという訳のわからないものが定着したものである。嘆かわしい限りである。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)