10月20日(木):サイト作業
今日(19日)一日かけて、サイトのテキストリンク作業を終えた。<テーマ1>から順に<テーマ104>までやっていった。これは同じ手順を104回繰り返すということであり、うまくできたかどうかの確認も104回行うことになる。思っていたよりたいへんな作業であった。
もともと、この作業は昨日(18日)にしようと思っていたのだけど、前日書いたように、鍵を忘れて、一日伸ばしになったのである。そして2,3日かけて作業しようと計画していたのだけど、いざやり始めると、中途で終えることができなくて(それは中途で終えると見た目がみっともなくなってしまうからだ)、何としても今日一日で終えなければならなかったのだ。面接以外の時間はずっとパソコン画面とにらめっこだった。目がかなり疲れている。
このサイトのことで今、頭を悩ませている。ある人は商売っ気がないと言うし(これは僕自身もそうである)、利用者が利用しやすい作りにした方がいいとも言われるしで、なかなか褒め言葉をいただけないのである。彼らの言っていることもよくわかるので、それはそれで今後取り組むつもりではいる。
そこで彼らならどうするつもりかと尋ねてみる。大抵戻ってくる答えはパターンが決まっている。多くはデザインや構造に関して助言するのであるが、内容に関してはほとんど何も言わないのである。まあ、デザインや構造、見やすさ、利用しやすさなども少しずつ考えていこうとしているのだが。
それよりも僕が優先しているのは内容の方である。テーマ100まではコンテンツを揃えるということが最優先の課題だった。これからは以前書いたものも改定していこうと思っている。書いて、公開したけれど、僕の中で納得のいかないものも多数あるのだ。
読み手のことを考えると、分量にも気を配らなければならなかった。あまり長大な文章は読む方も疲れるだろうと思う。それで原稿用紙5枚から7枚程度(二千字から三千字程度)で収めようと気を使った。実際には、それだけの分量で収まっていないのだけど、大体、それくらいの規模のものを目安にしていたのである。
これからは分量にこだわらないということに決めたのである。長くなってもいい物を書こう、納得のいくものを公開しようと決めたのである。読む人は読むし、読まない人は読まないだろう。作家じゃないので、ウケるものを書こうとか考えなくてもよいのだ。もともと、このサイトの原稿は僕が自分のために書き綴ってきたものである。自分のために書くのである。この本来の姿勢を取り戻そうと思う。
僕は首尾一貫した書き方ができないのである。僕のこの傾向のために、読み手は混乱してしまうのではないかと危惧している。一つのことを書いている。するとそこから思い出したり連想が働いたりするのである。それであれもこれも書くようになってしまうのである。そもそも下書きもなく、テーマと若干の内容だけを決めて、後はぶっつけ本番で書いているものである(それはこのブログとて同じである)。未公開の原稿が多数あるが、それらは連想が縦横に働いてまとまりがつかなくなったものである。そうして書いたものがボツになることも多々あるのである。
僕の個人的な偏見では、フロイト派の先生は理路整然と、首尾一貫した講義をされるのだが、ユング派の先生はしょっちゅう脱線する。僕の印象ではそうだ。脱線するのは、連想がすごく働くからだろうと思う。そもそもユングの著作からして、そのようなスタイルなのである。テーマは決まっているが、そこから自由に思想が展開する感じである。昔は、ユング派のそういうところが嫌いだったのだけど、今では、そのスタイルの方がいい。自由に連想を働かせるほうが、書いていて楽しいのである。
今後とも読みにくい原稿を提供し続けることになるだろう。読んで下さる方々には迷惑をかけ通しである。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)