9月14日(水):クリスティのベスト3
昨日、アガサ・クリスティーのことを書いたので、ちょっとそれにまつわる話を。
以前、クリスティーのミステリーが好きだという人と話をしたことがある。彼は、「好きなクリスティー作品を三つ挙げよ」と僕に言ってきた(余談ながら、ミステリー小説好きは「ベスト○○」というのをやたらとやりたがる)。その時に僕が挙げた三作品は、「そして誰もいなくなった」「チムニーズ館の秘密」「謎のクイン氏」だった。彼は「うーむ」と唸った。考えてみれば、かなりマニアックなチョイスだったかもしれない。
もっとも、僕はせいぜい40冊くらいしかクリスティーを読んでいなくて、これはクリスティーの推理小説の半分くらいの数である。だから僕が未読の作品にもっといいのがあるかもしれない。また、「愛国殺人」や「ねじれた家」などは、初めて読んだ時(僕は中学生だった)には面白くなかったけれど、大人になって読み返してみたら案外面白かったということも経験しているので、後々、僕のチョイスが変わっていく可能性もある。
ただ、エルキュール・ポワロやミス・マープルにはあまり魅力を感じない。僕が挙げた三作品にポワロものやマープルものが含まれていないのはそのためであり、今後もそれは変わらなそうだ。
「そして誰もいなくなった」は、僕は個人的に、解決を示さない方が良かったと思っている。解決を示さなければ推理小説として成立しないかもしれないけれど、謎を残したまま物語を終えて、後は読者の推理に任せた方が面白かったのではないかと思っている。「チムニーズ館の秘密」は、物語の展開がめまぐるしく、主人公が活動的で、作品全体に躍動感がみなぎっている感じが好きだ。もちろん、物語自体も面白い。「謎のクイン氏」は短編集だけど、クイン氏のキャラクターが好きだし、各作品でクイン氏がどのタイミングで登場するかということも興味を掻きたてる。
僕の中では、クリスティー作品は当たり外れがあると感じている。推理小説は、誰が犯人かを推理しもって読むと思うのだけど、犯人だと目星をつけていた人物が実は犯人ではなくて、意外な人物が真犯人だと判明した時に、一杯食わされたと思うと同時に、爽快感みたいなものも感じられるのではないかと思う。僕はそう感じる。しかし、読んでいて目星をつけていた人物が、最後でやはり犯人だと判明してしまう(つまり僕の推理が的中してしまう)と、なんだかつまらない思いがする。「シタフォードの謎」など、いくつかのクリスティー作品で、僕はそれを経験したことがある。
それからマザー・グースの童謡殺人である。一作、二作なら許せるのだけど、これが何作もあると、「ああ、またか」という思いに駆られる。それで敬遠したくなってしまうのだ。
しかしクリスティーにも素晴らしいと僕が思う点もある。それは短篇小説である。同時代のエラリー・クイーンやジョン・ディクスン・カー、F・W・クロフツなどといった推理作家が長編小説をメインにしていたのに対して、クリスティーはけっこう短篇にも力を入れているように思う。クイーンの短篇は、初期の物はまだしも、だんだんお粗末なものになっていくし、カーの短篇は素晴らしい作品もあるが、どこか物足りない感じを受ける。昨日の「第四の男」のように、掘り出し物のような短篇がクリスティーにはあったりする。だから、クリスティーの短篇小説は、僕の中では、けっこう評価が高い。
最後に、クリスティーは「ミステリーの女王」などと呼ばれたりしているのだけど、それには異論はない。ただ、女流のミステリー作家(それも海外の作家)だと、僕はクリスティーよりも、ヘレン・マクロイとカトリーヌ・アルレーが好きだ。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)
(付記)
最近はあまり読む機会が減ってきたけれど、僕は大の推理小説好きだった。でも、現代の作家と日本の作家はあまり読まない。古い、黄金時代の外国の作家の作品が主だ。
このブログで、知らない名前の作家ばかりだと思った人もおられるだろう。
それにしても、「ミステリ好きはベスト○○をやりたがる」というのは、「山登り好きは自分の登った山のことを人に話したがる」というのと同じくらい、僕の中ではお気に入りの「あるある」である。
(平成25年6月)