12年目コラム(85):TA研究会

 精神分析を勉強するなら、TAから入るといいよと言われ、一時期、TAをすごく勉強した。このTA研究会も2回参加している。

 それだけでなく、この研究会で、僕にとって二人目のカウンセラーとなるH先生と出会ったのだ。こんなことがあった。

 ある時、参加者の全員が遅刻してくるというアクシデントがあった。教室の中には、H先生と僕しかいない。その時、H先生とじっくり話し合ったのだった。そして、H先生は僕がカウンセリングを受けることを快く承諾してくれた。

 振り返ると、あの日、みんなが遅刻してくれたお陰で、僕は貴重な学びの場を得ることができたのだった。ほんと、偶然のアクシデントが後々まで残る経験となるものだ。

 でも、この日、僕は余計な釘刺しをしてしまった。みんなに時間通りに来ようという提案をしたのだ。時間通りに始めたいということを皆の前で言ったのだ。僕は、開始が遅れるのは、自分たちの損になると思っていたし、それに先生を待たせるのが悪いという気持ちから言ったのだった。

 後日、参加者の女性から、大急ぎで教室に駆けつけたという話をされた。「はよ、行かな、寺戸さんの怒られる」と思って、急いだそうだ。もちろん、冗談交じりに彼女は言ったのだけど、僕としては、「そうか、そんな風に聞こえたのか」と反省しきりである。どうも、僕の言葉は、僕の意図するところと違った風に聞こえるようだ。

 まあ、それはいいとして、僕はそういういきさつがあって、H先生のカウンセリングを受けることになった。さらに、H先生が主催している勉強会にも何回か参加させてもらった。

 僕はカウンセリングは素晴らしいと思う。先生と一対一で話し合う、僕にとっては貴重な体験なのだ。一回一回が貴重だった。

 H先生のカウンセリングは、けっこう積極的な感じだった。クライアントと同等に近いほど、解釈や問いかけをしてくる。それが難しい時もあった。それで、テープに録音するということを始めたのだった。

 H先生とのカウンセリングを録音して、それはもう一度聞きなおす。その時はよく分からなかったけど、後で聞きなおして、こういうことを言ってくれたんだとか、あらためてこういうことを話し合ったんだと確認できたりする。今でも、何回分かがテープで残っている。いつか聞きなおしたいと考えている。

 一度だけ、H先生がやたらと厳しい時があった。どうしてそんなに厳しいのか、僕は分からなかった。最後には、H先生が僕に「対決」してくれていたことに気付いた。「対決」っていうのは、言葉の響きから良くないイメージを持ってしまうのだけど、きちんと「対決」してくれたら、それはいい経験として残るものだと、僕は初めて知った。そう、僕のために先生が真剣になってくれているのだ、それが伝わってくるからだ。

 TAの話に戻そう。TAとは4つの分析から成る。エゴグラムによる自我分析、やりとりにおける交流分析(この部分がTAの本領だ)、人間関係のパターンにおけるゲーム分析、最後に、その人の人生の背景にある脚本分析の4つだ。

 研究会では、これらをそれぞれ勉強するのだけど、実践ではどのようにするのかが今ひとつ分からなかった。

H先生のカウンセリングではそういうことも学べるかと期待していたんだけど、そのカウンセリングでもその4分析に基づいて行われるのかと思いきや、あまりそこに囚われない。むしろ、H先生のやり方はゲシュタルト療法に近いものだった。ちなみに、TAとゲシュタルト療法とは相性がいいのだ。

 TAというのは、特定の方法とか技法ではないのだと分かった。そのカウンセラーのカウンセリングの背後に流れる理論であると分かったのだ。でも、TAのそこが面白いと思うのだ。TAの臨床家でも、その臨床家独自の思想や方法があるのだけど、根底の部分でTAという共通項があるのだ。いろんなタイプのTA実践家が共存できている感じがして、そこに好感が持てるのだ。

 現在、僕はあまりTAに拘らない。でも、TA研究会は無駄ではなかった。多くの学びも得られたように感じている。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

PAGE TOP