12年目コラム(80):カウンセラーへの道(3)
ここから僕の保育園時代の話になる。僕が物心ついたのもその時代だ。思い出せる限りでの人生最初期の記憶となると、この時代のものであり、それ以前のことはまったく記憶にない。だから、ここからは僕の記憶に基づいて綴ることができる。
保育園に通うようになったけど、当時、母がどんな顔をしていたのか僕は知らない。あまり覚えていないのである。母がいたのは確かなんだけれど、当時の顔が印象に残っていないのだ。その代わり、母の後ろ姿だけはよく覚えている。
多分、朝の8時頃だと思う。母は僕を自転車の後部に乗っけて、保育園に向かう。自転車を漕ぐ母の後ろ姿を見ながら、僕は保育園へ運ばれる。保育園に預けられると母はどこかへ行ってしまう。その後、保育園で過ごし、午後とか夕方近くになって母が再び現れる。朝と同じように、僕は自転車の後ろに乗っけられて、母の後ろ姿を見ながら、保育園から家へ運ばれる。帰宅の道中に駄菓子屋があって、そこに寄り道するのが日課だったらしいけれど、それは覚えていない。
帰宅すると、母は台所に立つ。夕飯の準備をしているわけだ。台所に立つ母の後ろ姿を、どういうわけか、僕はよく覚えている。その姿は今でも思い出すことができる。当時の母はどんな顔をしていたのだろう。その頃の母と言えば後姿しか覚えがない。
ほぼ毎日、そういう生活を送っていた
そういう経験があるためなのか、僕は女性の後ろ姿に惹かれる。今でもそうだ。いくら顔が美人でも、後ろ姿が今一つだと僕は魅力を感じない。その逆もある。ルックスは今一つであっても、後姿がいいと、それだけで惚れてしまいそうになる。実際、20代のころにそういう経験があった。
(中絶)
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)