10月16日:檻の中の政治家

10月16日(土):檻の中の政治家

 

 最近はブログも怠りがちになっている。書く方はもっぱらサイト側の原稿である。いつもブログは後回しとなり、結局書かずじまいで終わる日も多い。そこまで手が回らないというのが実情だ。しかし、僕個人としては、サイト側よりもブログ側の方を読んで欲しいとも思う。こちらの方がより僕自身であるからだ。

 

 さて、今日も一日、多少ながらの仕事と予定をこなした。後は帰宅するだけだが、その前に15分ほどでブログを書いてしまおうと思う。

 緊急事態宣言が解除して、人が出歩くようになれば来談してくれる人も増えるかと期待していたが、今のところそういう兆しは見られない。気長に待つしかないか。

 いつまでこの仕事を続けられるだろうか。体力的、気力的に僕は自信が持てない。弱音も吐きたくなるが、弱音は吐けるときに吐いておいた方がいい。今に弱音を吐く気力すらなくなるだろうからだ。行けるところまで行くまでだ。

 一人で仕事をするのにも限界を感じているこの頃である。何から何まで自分でやっているけれど、若いころのようにエネルギーが湧かない。そして、いつもなにかしら抜け落ちるものが出てくる。うっかりミス的なものも多くなった。

 

 さて、宣言は解除されたけれど、僕自身は宣言下と同じ生活を継続している。いずれ第6波が来る。僕は確信している。今、コロナ感染が減少しているけれど、どうして減少しているのか不明である。つまり、そこがきちんと説明されている感じがしないのである。これこれこういう事情で減少傾向にあるという理由が説明されていないように思う。だから検査数を操作して減少傾向を人為的に作り出しているのではないかと邪推したくもなるし、あるいは、単に季節的なことだけなのかもしれない。

 

 政府は岸田政権に代わり、早くも解散総選挙の話が出ている。結局、これは目くらましではないのかという気がしないでもない。

 ほんの二か月ほど前までこの国はオリンピックなるものを開催していたのだ。あの五輪大会でどれだけのお金がどんな風に流れたのか、その収支決算の報告をしなければならないのではないかと思うのであるが、それを先延ばしにしようという魂胆ではないのかと訝っている。

 コロナ禍で国の財政も厳しいはずである。そうなることが分かっていて五輪なんてものをやったのだ。聞くところによると、今も負債が増え続けているらしい。五輪のために建設した施設は、その後も維持費がかかるそうである。今もその維持費が発生しているということである。一体、どうなっているのか、政府も組織委も説明は無しときている。

 アベ・スガ政権の8年間で日本が崩壊したと指摘する人もある。僕も同感だ。しかし、たった8年で崩壊する国なのだという気もする。要するに、それ以前から基盤が脆弱だったのだ。脆弱な基盤の上にアベ・スガ政権がのさばったということではないのか。だからそのダメージは思いのほか大きかったのではないか。そこに五輪とコロナ禍が重なったのであるから、日本は壊滅的だ。

 

 今回のコロナにしろ、その他、モリカケサクラにしろ、国民の声が政治に届かないということが言われている。それはその通りである。それは政治家が国民とつながっていないからだと僕は考えている。彼らは国民を無視しているのではない。そもそもの最初から国民とつながっていないのだ。

 環境問題に関しても日本は遅れているとか、計画が甘いみたいな意見を聞いたことがある。環境問題のことは僕にはよく分からないのでなんとも言えないけれど、その意見が正しければ、それは次のことを示している。国民とつながっていなかったのと同様に、政府は自然ともつながっていないのである。汚染水を海に放出する。たしかに法的基準値以下のものではあるとは言え、だから問題ではないという姿勢は、彼らが自然とつながりを喪失していることの一証明であるように僕は思う。

 自然とも人間ともつながっていない政治家なんて、檻の中にいるようなものだ。動物園のサルと変わらんのではないかと思えてくる。3Aというボスに群がるサル軍団と同じようなものだ。サルは言い過ぎだとしても、彼らはあまりにも孤立している。自分たちの中だけで生きているようなものだ。極めて自閉的であり、実にくだらん人たちだ。

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

関連記事

PAGE TOP