8月8日:生きること

8月8日(日):生きること

 

 今日もそれなりに忙しい一日となった。夕方までは仕事なり諸々の作業予定があった。夕方からは空きだったけれど、これをいいことに家のことを少しやらなければならないので、そこで帰宅することにした。大きな荷物を抱えて電車に乗り、帰宅した。

 帰宅後の作業は、思いのほかスムーズに運んだ。二時間くらいを予測していたけれど、一時間程度で終了した。少しばかり体力を使う作業だったので、早目にやっておいたのは良かったと思う。夜遅くだとやる気がなくなっていたかもしれない。

 その後、夕食を取り、二時間ほど勉強して、僕の睡眠導入剤を服用する。要するにブランデーだ。ああ、でも、今日はあまり睡眠導入剤の効果が見られない。逆に目が冴えてしまう。

 それならと、今日のブログを書いておく。今読んでいるのがそのブログだ。

 

 今日もいい日だった。朝も早くから活動開始だ。いつも6時から7時くらいには起きるのだけれど、今日は4時ころから起きて、家を出る前に2時間近く本を読むことができた。

 仕事は、快調とまでは言わないけれど、予定のことはこなした。新規のクライアントも来られた。僕の経験では、カウンセリングを継続できないタイプの人だ。しょうがない。継続できないというのは、その人の病理と関係しているのだ。言い換えれば、継続しないということ自体が一つの症状なのだ。

 まあ、人のことは書かないでおこう。二回目があるのなら引き受けるし、今回限りということになれば、それはもう僕にはどうしようもない。選ぶのはその人なのだから。願わくば、健全な状態にある時にした選択に従ってほしいと思う。

 足の具合はやや不調。支障をきたすほどではないが、軽度の痛みが常にあった。時折、痛みが知覚されて集中を欠いてしまうこともある。それに加えて、痛みがある時はいつもそうなのだが、タバコの本数も増えてしまった。

 足の問題はあるけれど、今日は概ね体調も良好だった。大体において「良」であれば十分だ。生活は厳しいし、あれやこれやのことをやっていかなければならないので、それを考えると気も重くなる。それでも生きているということが大切だ。一般の人はここをよく間違えるのだが、病気があるから生きていけないというわけではなく、生きていけないから病気になるのだ。

 大切なのは生きることだ。これは単に生命を維持しているという消極的な意味ではない。もっと積極的な意味である。ともかく、一日一日を生きていくことが何よりも大切なのだ。

 

(寺戸順司-高津っカウンセリングセンター代表・カウンセラー)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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