<T6-5>窓口としての身体
(事例)
入室したE氏は面接申込票への記入を終え、改めて私はE氏と向き合っています。
E氏の年齢は四十代前半、某大手企業に勤めています。彼は話し始めます。
一年ほど前にE氏は昇進したのでした。その頃から体調が優れなくなったことに気づいたのです。それは食欲不振だったり、胃腸の具合が悪いとか、頭痛に悩まされるといった症状であり、また不眠傾向や疲れやすさなども体験していました。
主に身体的な不調をE氏は体験されていたのでした。その徴候は一定せず、多彩な形を示していました。
身体の不調を感じる度に、E氏は内科などを訪れています。ただ、どこに行っても確かな診断名は貰えないでいました。胃の具合が悪いと胃薬が処方され、頭痛に悩まされると鎮痛剤を処方されるといった具合でした。
後に語られたところでは、当時、対症療法的な処方はしてもらっていたけれど、どこか根本的に悪い所があるとE氏には感じられていたのです。でも、E氏にはそれが何なのか突き止めることができず、また、どの医師もそれを教えることができなかったと述べ、もどかしいような毎日だったと述懐しています。
(解説)
E氏は「心の病」をまずは身体の病として体験していたことが分かります。このことは何を意味しているでしょうか。
彼は精神的な不調をそのまま精神的な形で表現することができないでいるのです。それは彼の中で禁じられていることであり、タブーでもあったのです。そのことはカウンセリングを進めていく中で見えてくることなのです。彼は、精神的な不調を精神的な形で表現することが禁じられていたので、身体でそれを表現しなければならなくなっていたのです。
もう少し違った表現をすれば、精神的に訴えることがE氏には禁じられているので、身体が一つの窓口になっているのです。彼は精神的な援助を求めていたのです。そのためには身体を窓口にしなければならなかったのです。
「心の病」というものは、精神面(うつ、不安など)、行動面(強迫、依存症など)、身体面(偏頭痛、心身症、転換症状など)で現れると言われています。どの面で「症状」が現れるかは、その人の精神的な成熟度や性格傾向によって異なるのです。だから身体面で表しやすい人もあれば、行動で表すことが得意な人もあるのです。その人にとって、禁じられている面では現れず、許容される面において表出される傾向があるのです。
例えば、私はこういうケースを経験したことがあります。強迫的な確認をしてしまう高校生の男性でしたが、彼の父親は「心の病」や精神障害に対してすごい偏見を抱いている人でした。この家族において、「心の病」は禁じられていたのです。高校生のこの息子さんは、不安や恐怖感を表すことができないのでした。精神面において表現できないでいたのです。だから、彼は行動面で表したのです。実際、彼の強迫的な確認癖に父親は長年気づいていなかったのです。父親は、後に自分の偏見が正しいものではないと気づいていかれました。父親は徐々に「心の病」に対して寛容になっていきます。それと並行するかのように、息子さんの確認強迫行為は減っていき、自分の体験している不安や恐れ、心細い感情を素直に表現できるようになっていったのでした。
話を戻しましょう。E氏にとって、精神的な病や問題行動は禁じられていたけれど、身体的な病に対しては許容されていたのだろうということが窺われるのです(これは事実その通りだったのです)。彼は自分に許されているやり方で、彼にとって最も安全だと思えるやり方で、援助を求めていたということになるのです。
(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)