T6-4>几帳面、真面目、誠実さの強調

 

(事例)

「カウンセリングをお願いしたい」

 ある日、静かで抑制された感じの口調で一人の男性がカウンセリングの予約を申し込まれました。

 一語一語、言葉を選ぶようにして、彼は話しました。自分の伝えたいことを、何とか、きちんと伝えようとされているようでした。

その話ぶりから、どのような方がお見えになられるのか、私は興味を持ちました。この男性こそE氏だったのです。

 予約当日、彼は時間通りに来室しました。きちんとした服装をされていました。そのなりを見て、私は「今日は日曜日ですけど、お仕事ですか」とそれとなく尋ねてみました。

 E氏は少し口元をほころばせて、「いえ、仕事は休みなのですけど、先生と初めてお会いするので、きちんとした服装でないと失礼かと思いまして」と答えたのでした。

 

(解説)

「うつ病」者は、几帳面で、真面目で、誠実といった性格傾向を有しています。そうした傾向、几帳面さ、真面目さ、誠実さというのは、「うつ病」者の特徴であるわけなのです。

 ただ、通常、私たちがイメージする几帳面、真面目、誠実とは少し趣が違うのです。「うつ病」者は過度に几帳面、真面目、誠実であるという意味だけではなく、それらがもっと前面に打ち出されているという点に特徴があるのです。つまり、几帳面さ、真面目さ、誠実さが過度にアピールされているという印象を受けるのです。

 だから、「うつ病」者は、しばしば誰からも「几帳面な人だ」とか、「真面目で誠実な人」という評価を貰っていることが多いのです。問題は、それ以外の形容詞で評されることがないという点にあります。

 言い方を変えると、他の形容詞で評されてはならないのです。「うつ病」者にとって、几帳面、真面目、誠実という傾向には特別な意味があり、彼らは自分がそういう人間でなければならないと感じているのです。そして、それ以外の評価を下されることを恐れているのです。だから前面に打ち出されているという印象を周囲に与えるのです。

 E氏も同様でした。E氏もまた、彼が几帳面で真面目な人だということが初対面の私に伝わってくるのです。几帳面にしなくてもいい場面でさえ、彼は几帳面さを発揮しているのです。普段着で訪れて構わないところを、彼はわざわざ正装して来ているわけです。真面目さや誠実さがアピールされているという感じを理解してもらえるでしょうか。

 几帳面さ、真面目さ、誠実さが過度に前面に打ち出されていると、周囲の人や接する人もまたそれに影響されるものです。彼らは自分はそうしなければいけないと信じているからそうしているだけなのですが、それが相手に影響を与えているということにはまず気づいていないのです。

 初対面の相手に対してE氏が正装して現れたとします。相手はE氏に対して打ち解けることが困難だと感じるかもしれません、そして、相手の態度を一定の方向に導いてしまうかもしれません。つまり、相手はビジネスの相手のようにE氏と接することを求められているように感じるかもしれないのです。このように、過度に前面に打ち出された几帳面さ、真面目さ、誠実さというのは、周囲の人に対して拘束力を持ってしまう場合もあるのです。

 このことはアブラハムの言う「うつ病」者の「過剰善」の概念に通じるものです。過剰善とは、過度の善意の押し付けのようなもので、押し付けられた側は一定の反応(つまり、感謝するなど)しか返せなくなるというものです。

 「うつ病」者と接して、彼らの相手をしていると、後でとても疲れるという話を時折耳にします。つまり、周囲の人が疲れてしまうということなのです。その理由を尋ねると、「うつ病」者が真面目すぎるからなどと答えられるのですが、それは正確ではないと私は考えています。むしろ、周囲の人が、あたかも自由な反応をできないから、限られた反応を返さざるを得なくなるような状況に置かれてしまうから、疲れてしまうのではないかと私は思うのです。これは「うつ病」者の対人関係の一つの特徴的な現象であると私は考えていますので、後で再度このことを取り上げることになるでしょう。

 

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

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