<T6-2>「うつ病」を記述することの困難さ
本書は「うつ病」に関して、私の臨床体験を基にして書き上げました。最初に依頼を受けて執筆したところ、「うつ病」というものは意外と書くことが困難だという発見をしました。それでもっとテーマを絞って欲しいと出版社に頼んだのですが、私の自由に書いていいということで、試行錯誤しながら、こうして書き上げた次第です。
「うつ病」を述べる困難さというのは、その曖昧さにあると私は実感しています。まず、「うつ病」という名称がとても幅広い範囲を指しているという事実があります。これはつまり、「うつ病」とは、その病名と病像とが一対一で対応していないということであります。専門家でない限り、あれも「うつ病」、これも「うつ病」で、一体「うつ病」とはなんぞやという印象を持たれているのではないだろうかと察しております。
どういう「うつ病」に関して知ることを読者が望んでおられるのか、私には皆目分からないで、手探りで書き始めた次第です。
一方で、「うつ病」に関しては述べたいと思う気持ちも私にはありました。何よりも「うつ病」とは分かりにくい「病気」なのです。「気分が落ち込むことじゃないか」と問われれば、その通りなのです。実際、「うつ病」を体験している人も自分の体験していることをそのように表現されるものなのです。
ところが、現実に「うつ病」と診断された人たちとお会いしていると、「気分が落ち込んでいる」以上のものがそこにはあるような気がしてなりませんでした。むしろ、「うつ病」体験者は、もっと言いようのない体験をしていて、それを敢えて言葉にしようとするとそういう表現にしかならないという印象を私は受けております。
本書で目指したいことの一つは、「うつ病」者の体験していることを私なりに翻訳して伝えたいということです。彼らがどのような体験をしていて、どのような苦悩を抱えているのか、どのような状況に置かれてしまうのか、そうしたことを伝えることができればと思っています。
また、教科書的なことは書かないようにしようとも決めております。書店には既に優れた先生方の良書が溢れています。「うつ病」について一般的な事柄を知りたいと思われるのであれば、そうした成書を紐解かれることをお勧めします。本書では私の体験を中心にして述べる予定でおりますので、当然偏っている部分があるということは認めております。
本書では、この序章を含めて六つの章で成り立っています。
序章
第1章:E氏の事例~初回面接
第2章:E氏の事例~初期
第3章:E氏の事例~中期
第4章:E氏の事例~後期、終結期
第5章:「うつ病」に関するトピックス
ご覧の通り、本書の大半は「うつ病」と診断された男性、ここではE氏と名付けておりますが、E氏とのカウンセリングの過程で占められています。E氏の事例を追いながら、「うつ病」に関して述べていくつもりでおります。
それぞれの章は、A4用紙にして1.5枚から2枚程度の節で成り立っています。第1章から第4章まで、各節は(事例)と(解説)から成っています。
第5章は、E氏の事例で取り上げることのできなかったトピックや、関連する事柄を補足的に取り上げることにします。
私の記述の癖として、やたらと「 」に括るという傾向があります。これは曖昧な事柄を一言で表記する場合などに用いています。「うつ病」というのは、私には非常に分かりにくい「病気」であり、取り敢えずはその用語を用いていますが、私自身曖昧にしか分かっていないという意味で、それを「 」に括って表記したいのです。その他の用語に関しても事情は同じなのです。
また、本書では「うつ病」者と表記していますが、これは「うつ病」と診断された人、「うつ病」を現在もしくは過去に経験した人、診断や治療こそ経験していないけれどその傾向のある人などを総称して表しています。
事例に関しては、私はいつもジレンマを経験しています。具体的な症例に基づいて述べた方が現実的であり、理解しやすくなると考えていますし、内容があまりに観念的になりすぎる傾向を緩和してくれるものなのです。
ただ、現実のクライアントの事例をそのまま記述することは、クライアントのプライバシーの問題に触れてしまうのです。
このジレンマを解消するために、私は事例に関しては主に以下のようなアレンジを施しています。これらはすべて個人が特定できないようにするための便宜であり、クライアントの秘密を保護するための手段であるということをご了承ください。
本書ではE氏の事例を中心に述べますが、このE氏は現実には4人のクライアントから成り立っています。
また、実際のカウンセリングではもっと多くの事が話し合われたのですが、必要な部分のみを取り上げて、その他の多くの部分は割愛されております。
クライアントの情報に関しては、どうしても正確な情報が必要であるという場合を除き、できるだけ曖昧にし、本質的な部分が理解できる程度にぼかして記述します。
また、本書執筆において、私は私の経験した「うつ病」とそのカウンセリング過程を提示し、読者の利益に貢献できることを目指しております。誰一人として傷つけたり、不快な思いをさせたりすることは、私の意に反することなのです。私はそのような意図でもって執筆することはありません。もし、万一、傷ついたり不快な思いを本書から経験される人が現れたとしたら、それは遺憾に思いますが、それは私の意図するところのものではないということを予め明示しておきたいのです。
(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)