7月25日:資源の浪費

7月25日(日):資源の浪費

 

 そろそろオリンピック開会式に関する批評が聞かれはじめている。さまざまな分野の人たちが自説を展開している。そのいくつかが僕の耳にも入っている。

 その一つが式典の時間である。僕は知らなかったが4時間もあったそうだ。さすがにそれは長すぎるだろうという気がしないでもない。一説では、それはアメリカの放送時間に合わせているということであるらしい。それは十分あり得る説だ。

 ともかく、ダラダラとして、長ったらしいといった印象を受けた人が多いようだ。出場している選手たちもかなりダラけていたそうだ。そりゃそうだ。4時間も拘束されるのだからたまったものじゃないだろう。アスリートのことなんか二の次であることが、これ一つ取り上げてもよく分かるというものだ。

 出し物についてはよく知らない。大道具をドタバタと人力で動かしてアート作品を作ったところと、あと、多量のドローンを飛ばして夜空にオブジェを作ったところしか知らない。どちらも何がいいのか僕にはさっぱり不明だ。

 その他にどんな演目があったのか僕は知らない。安っぽいとかしょぼいとかいった意見もあるようだが、きっとそうなのだろう。僕は実際に見ていないものの、その意見に同意する。

 多額の資金を投入して、それに見合ったものが作れず、資金の割にはしょぼいものしか作れないというのは昨年のアベノマスクと同じである。なぜこうなるかはハッキリしている。資金の中抜きがなされているからである。

 こういうのは神経症論と同じものである。神経症的な人が対象に働きかける場合、その心的エネルギーがすべてそこに投入されなくて、そこに至るまでにどこかで浪費されているのである。そのため、一生懸命努力した割にはわずかな成果しか得られないことになる。個人の中で無駄に浪費されるエネルギーが多いのである。それと同じような構造であるように僕は感じている。ちなみに、無駄に浪費されるエネルギーが多いから、やり方を工夫したり、効率的な方法を採用したりすることがあるが、それらは神経症にはあまり通用しないのである。というのは、その浪費が人格内で生じているからである。

 アベノマスクは愚策であるけれど、あれだけの資金を投入してマトモなマスク2枚すら作れないのだ。五輪の開会式も、160億円くらいの資金が投入されているのに、せいぜい30億円くらいでできる内容のものにしかなっていないのではないかと思う。いずれにしても、貴重な資源(血税)が無駄に浪費されているのである。

 今からでも遅くはない。五輪は即刻中止すべきである。

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

 

 

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