7月24日(土):負の遺産を残し続ける東京五輪は日本を象徴
東京オリンピックが始まった。一方で良からぬニュースも入ってきている。
選手村に運ばれた1000人分以上の食事がそのまま廃棄されているとか。その食事はボランティアに提供されるものであったようだ。無観客開催でボランティアが不要になり、彼らに提供するはずだった食事は使い道もなく、まだ食べられるのに、そのままゴミ箱行きとなるそうだ。大量の食材たちは、工場で生産され、選手村に搬送し、そのまま廃棄処分の運命となる。1000人分の料理を処分する係の人も心苦しいことであろう。
最後まで有観客にこだわったためにキャンセルが間に合わなかったのだろうか。ともかくズサンである。いっそのことボランティアをやる予定だった人たちにあげるなり、施設に寄付するなり、食べられない人たちに配るなりしてはどうかとも思うのだ。
しかしながら、それでもボランティアの食事が配送されるということは、まだどこかで有観客を期待しているということであろうか。呆れるほどである。
それの根拠がもう一つ。首都高速の料金が上乗せされている件だ。無観客開催となり、観客の移動がなくなるのだから、料金上乗せする意味がなくなっているのである。それでもそれを続けているということは、あわよくば有観客になると期待しているということではないだろうか。バカみたいな話である。
さて、食べてもらえるはずだった料理が食べられることなく廃棄される。今回のオリンピックにはまだまだ同種の話がある。競技会場の観客席やパビリオンの類、すべて同じである。使用するために造られたのに、使用されることなく処分されてしまうのだ。
ちょっと話を広げればワクチンもそうだ。誰にも接種されることなく廃棄されたワクチンがどれほどあるだろうか。先進国では考えられないことではないか。
お金もそうである。これだけの予算を組んだ事業なのに、それだけの予算を有効に使われることなく無駄に終わったものなんていくつもある。典型的なのは中抜きだ。中抜きなんぞしなければもっと安い予算で済んだかもしれないし、予定以上のことができたかもしれないのである。無駄が生まれ続けるのだ。
そんなことを言えば今回の五輪そのものがそうだ。世界が平和を確認しあうための大会が、その本来の目的に資することなく無駄に流れるのだ。誰も今回の五輪で熱狂なんてできやしない。まともな国民はそれどころじゃないのだ。
今回の五輪は負の遺産を残し続ける。負の遺産を残し続けると言えば、今の日本はすべてがそうであるかもしれない。ある意味、今回の五輪は今の日本を象徴しているのかもしれない。
アベ政権時代の諸々の事、モリカケだの、桜を見る会だの、贈賄問題だの、震災復興だの、何一つケリをつけることのできないまま負の遺産として残り続けるのではないか。それが今の日本ではないか。後の世代がどうにかしてくれるとアテにしているだけで、自分たちの代で片付けようという意志があるのだろうか。
東京2020にまつわる数々の負の遺産。すべて僕らの代で片付けなければならない。負の遺産として次世代の人たち、つまりこれから生まれる人たちの世代に残してはならない。一世代かけて、東京五輪という恥を払拭していかなければならなくなるだろう。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)