コラム4~「息の喪失」(E・A・ポー)を読む(1) (約4100字)
これを読んでいるあなたは文学はお好きでしょうか。一つ、文学作品を取り上げて、しばらく考えていこうと思うのですが、文学がお好きでない方にとっては退屈かもしれません。
取り上げる作品は、エドガー・アラン・ポーの「息の喪失」(Loss of Breath)という短編小説であります。この作品は『ポー小説全集1』(創元推理文庫)に収められております。
今回は、同作品の物語を追いながら、その主人公に起きたことを考察していくという形で進めていくつもりでおります。先に原作を読みたいという方は、ここで読むのを一時中止していただいて結構であります。
「息の喪失」という作品は、1835年の作品で、ポーの最初の小説が1833年に発表されているので、比較的初期の作品ということになります。それでも、ポーらしさが十分に感じ取ることができる作品であります。
物語の主人公は、訳文では「息無(いきなし)氏」という名前になっております。原文ではラコブレス(Lack of Breath)氏という名前ですが、ここではそういう名前を用いないで、単に「主人公」と表記します。
それでは、ここから物語に入っていくことにします。
主人公が息を喪失する
作品は前口上のような段落を一つ置いて、二段落目から物語が始まります。
読者に最初に提示される場面は、主人公が彼の妻を激しく罵っている場面であります。二人の結婚初夜の翌朝ということが示されております。
いきなりこの場面が提示されるのですが、読者にはどうして主人公が妻をそれほど激しく罵らなければならないのか、まったく理由が分かりません。理由はそのうち分かるだろうと思って読み進めても、その期待は満たされません。見事な始まり方だと思います。
主人公は妻を罵り、「悪口雑言の決定版」を妻に投げかけようとしたその瞬間、主人公は息を失います。
Lost ones breath という表現は、私も受験英語で習ったのですが、意味は「息が切れた」ということです。これは慣用表現であり、字面通りの意味ではありません。
主人公が息を失ったと述べた時、読者は、彼が妻を激しく罵ってきたので、ここで息切れがしたのだろうという意味に捉えるのです。しかし、主人公は、息を切らしたのではなく、正真正銘、息を失った(Lost)ということを伝えています。主人公は「いまいうような恐ろしい事件が現実に実際に起ることがあるなんてことは、私もついぞ考えてみたことすらなかった」と述べています。考えてもみなかったような恐ろしい事件が彼に降りかかったのであります。
慣用表現というのは、その字面通りの意味ではないということは先述しました。慣用表現が通用するためには、私たちがその表現の意味するところのものをお互いに理解しているということが前提であります。その理解はお互いに身についており、いわば常識的なものとみなされるものであります。
お互いの間で意味が共有されているからこそ、慣用表現はその意味が伝わるわけであります。意味が共有されているということは、(その言語を話す国の)人間社会に属しているということでもあります。
主人公が息を失ったと語る時、彼は慣用表現ではなく、額面通りの意味の世界に生きることになったと言えます。これはどういうことなのか、端的に言えば、彼は共有される意味の世界に生きなくなったということであります。私たちとは意味が通じない世界に彼が入ってしまったということであります。それは彼が人間社会から脱落、疎外されてしまったというように解釈できるのです。
精神的に圧倒された人が、字面通りの世界に生きているということを示す例はいくつもあります。それは「補足」の(1)を参照していただくことにして、私たちは物語を追いましょう。
主人公は自室に下がる。
息を失ったことに気付いた主人公は、そのことを妻に悟られないようにごまかし、自室に引き下がります。そして、自分に起きたことの意味を考えます。
主人公は息を失い、息をしていない自分を自覚しています。言葉を発しようにも、息をしていないのだから、発声できないのです。だから彼は無言で妻から離れ、自室へとさがるのであります。
彼は発声しようとしても、それができない自分を体験しているということであります。この、自分で自分がどうにもならない感じ、自分自身をコントロールできない感じというのは、多くの「心の病」において認められることなのであります。
彼には、自分に異常なこと、あり得ないことが起きているということが分かっています。こういう時、人はもっとパニックになるのではないかとあなたは思うかもしれませんが、実際、そうではないことも多いのであります。主人公は、自分に異常なことが起きているにも関わらず、そんなことは起きていないと装うのであります。自分に起きていることを否認しているのです。そのために彼は演技をしなければならなくなるのでした。
自室に戻って、彼は自分のこの姿について、次のように考えます。「短気を起こせばこういう悪い結果になるという、恐ろしい実例の恰好な見本には違いない」と。この考え方については、私にはそれが子供の考え方という印象を覚えました。短気を起こすことと、息を失うことには、本当は因果関係がないかもしれないのですが、そこに因果関係を見てとり、その他の可能性を考えられないようであります。だから、子供の思考様式に似ていると私は感じました。もし、彼がそういう子供の思考様式に陥っているのだとすれば、異常な体験が彼に退行(精神的に子供帰りすること)をもたらしたと考えることができそうであります。
それに続いて、主人公は自分自身を次のように捉えております。「生きておりながら、死者の条件をそなえ―死んでおりながら、生者の特徴をもっている―この地球上に出現した変則の奇型」と。これは彼の自己像ということであります。
このような存在の在り方、生と死のどちらでもないという在り方は、周辺人や異邦人の在り方に近いものと思われます。彼は共人間社会から外れてしまった存在に陥ってしまったと解釈することもできます。つまり、自分は人間でありながら、あなたたちとは違った人間になってしまっているという感じであります。
その部屋の中で、猫が咽喉を鳴らし、猟犬が息を吐くさまを見て、彼は憤慨する。それらは猫や犬にとっては当たり前の行為で、日常生活では当たり前に見てきた光景であるのですが、彼にはそれが自分に対する当てつけのように思われています。要するに、被害感情に襲われているのであります。
肝心な点は、日常的に目にする当たり前の光景や、犬や猫の何でもない行為が、彼には脅威となってしまっているということであります。通常の状態であれば何も脅威をもたらすはずのない対象が、脅威をもたらす対象になってしまっているのであります。このことは、彼の体験がそれだけ彼の心を圧倒してしまっていることの証拠であるとみなすことができます。
息を探す
妻が外出する音を聞いて、主人公は息を失った現場に戻り、息を探そうとする。
この時、「眼に見えぬ物のみが唯一の実存である」というウィリアム・ゴドウィンの言葉や、アナクサゴラスの「雪は黒い」という主張を思い出し、主人公はそれがその通りであるということに気づいていると語ります。この二人の言葉は(それらがどういう文脈で述べられたのか、私は知らないのだけど)、矛盾であり、非現実的であります。主人公が、今ではそういう言葉の正しさが分かるということは、矛盾や非現実が、彼にとってより親和的になっているということであります。それだけ、彼の心が現実から離れていっているのではないかと捉えることができるかと思います。
捜索を続ける彼は、さまざまのものを発見する。それは「上下一組みの入れ歯が一つ、ヒップ(装身具だろうか)が二組に目玉(義眼だろうか)が一つ、それに息倉氏から女房にあてた恋文の一束だけであった」そうである。(「補足」(2)参照)
ここで初めて「息倉氏」なる人物のことが語られるのでありますが、この人物は後で重要になりますので、覚えておいてほしいのです。この人物と彼の妻とが恋愛関係にあったようだということが読者に分かり、それが、彼が妻を罵ったことと関係があるのかもしれないという予感をもたらします。
さて、ここで彼が発見したものとは何だったのでしょう。恋文を除いては、すべて身につけるものであり、しかも作られたものであります。こういうものを彼が見つけたということは、こういう物が彼の関心を引いているということであると考えることができます。彼が、身体に関して心の中に何か抱いているために、こうしたものが彼の注意を引くことになったと言えるのであります。異常な体験をしていることが、彼に身体への関心を高めたと言えるかもしれませんし、彼自身がこういう装身具を必要としていて、身を隠したいという感情を抱いているのかもしれません。
また、それらの装身具以外に、息倉氏の恋文を発見したということも、それが彼の関心事として心の中を占めていたからであると捉えることができるのであります。実際、主人公は息倉氏と自分の体型を、その後で比較しております。息倉氏は背が高くて立派なのに対し、主人公は肥満で背が低いということを述べています。この比較は後ほど考慮したいと思います。(「補足」(3)参照)
ここでは、とにかく、主人公が身体についての関心が非常に強かったのではないかということに注目します。どうして身体に関することが心を占めていたのだろうかということですが、人は自分が何かおかしいと体験している時に、身体に関心が集中することがあるのです。この主人公にも同じようなことが体験されていたと思われます。それは、つまり、自分はおかしくなったという意識に支配されていたということを意味するのであります。
物語はまだ続くのですが、長くなりそうなので、ここで一旦終えて、項を改めて続けていくことにします。
(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)