T6-17低次行動にしがみつくこと

 

 「うつ病」はこれまでできていた事柄が徐々にできなくなっていく「病気」であるという理解をしました。できなくなるのは、作業とか行為だけでなく、決断や思考なども同様であります。

 何もできなくなるという段階まで落ち込む人は比較的少ないと感じています。高次の作業ほどできなくなるのですが、比較的低次の行為は損なわれていないものであります。

 高次とか低次というのは、遂行する作業の次元のことであります。複雑な作業ほど、それは高次であり、単純な行為ほど低次のものと見做しているわけであります。両者は厳密に線引きすることができない概念でもありますが、比較的高次であるか低次であるかと言える程度のものと思ってくださればけっこうです。

 例えば、インターネットを活用して、テーマに沿った情報を収集し、それで一つのデータを作成するという作業は、目的もなく漫然とネットサーフィンしているという行為に比べて、より高次であるということになるわけです。

 「うつ病」者ができなくなるのは、より高次の次元の作業からなのです。複雑で困難な作業ほど、早い段階でできなくなってしまうということなのです。決断や思考なども、複雑で困難が伴うようなものからできなくなるのです。

 逆に低次の行為、作業は損なわれることが少なく、「うつ病」者によっては、それにしがみついている人もおられます。

 私は一人の「うつ病」と診断された婦人を思い出します。彼女は面接室に入っても、その大部分の時間をタバコを吸うことで費やしました。ぼそぼそと話してはタバコに火をつけ、また少し話しては喫煙するという感じで、一時間の間に6,7本喫われたのでした。

 ぼんやりとタバコを吹かしているその婦人に向かって、「それ(喫煙)しかできないような感じがしているのですね」と話しかけると、彼女はゆっくり無言で頷かれたのが印象的でした。

 できなくなっていく事柄が増えていく中で、まだできている事柄にしがみつきたいという気持ちは理解できるのではないでしょうか。むしろ、そういうことさえできなくなってしまうという恐怖感に襲われることもあるのではないでしょうか。この婦人は、自分がまだタバコを吸うことができているということを、常に確認したいという気持ちもあったかもしれません。そんな風に思われたので、喫煙、それも立て続けに喫うようなチェーンスモーキングは身体的にはよろしくないのですが、この婦人からそれを取り上げることは酷なように私には思われたのでした。

 同様に、人によっては飲酒の問題も抱えてしまうのです。E氏は酒もタバコもされなかったので、こうした話題が欠けてしまったので、ここで取り上げたいと思うのです。飲んだり、食べたりという単純な行為は「うつ病」において損なわれることはそれほど多くはないようです。そのため、「うつ病」者の飲酒はしばしば深酒になることも多く、長時間、長々と飲み続けてしまうということになるようです。

 この飲酒は二次的な問題を「うつ病」者にもたらしてしまうので、できることなら他の行為に差し替えていきたいとは思うのです。酩酊して、かつての自分を取り戻そうという気持ちや、何もかも忘れてしまいたいという気持ちはよく分かるのですが、やはり、飲酒は後々問題を残してしまうと私は考えているのです。

 嗜癖性のある行為は、多少であれば構わないとは思うのですが、何か一つに偏ってしまわないようにしたいと私は考えています。つまり、その人ができることを振り分けていく方がいいと思うのです。タバコを吸うこと、お酒を飲むこと、ネットやテレビを見ること、ラジオや音楽を聴くことなど、その人が今現在において可能な行為を一日の間に分散する方が望ましいと私は考えています。

 それと何よりも肝心な点は、次のことを理解することであります。完全に何もできなくなってしまうような「重症」例は今では稀になっているということです。初期の精神医学の文献などを紐解くと、そういう症例が見られたりもするのですが、現在では薬が良くなっているので、そこまで「重症」に陥ることを防いでくれているのです。「うつ病」者の不安や恐怖感を少しでも緩和することが大事であると私は考えています。

 一方、それでは一生薬を服用し続けなければならないのかと恐れを抱く「うつ病」者もおられますが、それも決してそんなことはないのです。その時々の状態に応じて、薬は利用していけばいいので、薬が必要でなくなるほど改善すれば、薬は飲まなくてもよくなるのです。

 また、気分や感情も回復していくものなのです。人間の心身は健康な状態を目指すために自ら働くものであります。自己治癒力が心身に発揮されるものなのです。病になることも、回復することも、どちらもエネルギーを要するものであります。治癒のためのエネルギーが解放されれば、その人は再び以前のように行動することも、作業をこなすこともできるようになっていくのです。これは事実であると私は信じております。ただ、「うつ病」者は、自分がそんなふうに改善していくということが信じられないでいることの方が多いので、私は敢えてこの場で主張しておきたいのです。

 

(文責:寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

 

 

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