<T6-13>夢を見ないこと
(事例)
二回面の面接も時間通りに来室されたE氏でしたが、服装はさすがにくつろいだものになっていました。開口一番、E氏は「すいません。夢は見ませんでした」と話しました。私は「謝る必要はないですよ」と答え、「夢は見ようと思って見れるものでもないですから、自然に任せましょう」と伝えました。E氏は少しホッとされたようでした。その上で、「夢を報告してくださいと私がお願いしたものだから、そのことがプレッシャーになっていたのではありませんか」と私はE氏に尋ねます。E氏はとても申し訳ないような思いで今日は伺ったのだと話されました。
(説明)
E氏の生真面目さがよく現れています。また、相手の期待には何がなんでも応じなければならないとするE氏の傾向がよく伝わるエピソードです。
前回、夢を見たら報告するようにお願いしたのですが、それがE氏に何とかして夢を見なければいけないという観念をもたらしてしまったようであります。私の説明不足のためにE氏に余計な負担をかけてしまったのではないかと反省する次第であります。
経験上、私が理解していることは、E氏のようなタイプの人が最初から夢を報告することはほとんどないということです。
夢を見る見ないが問題なのではありません。実際には人間は誰もが毎晩夢を見ているのです。ただ、それを覚えていられる人と覚えていられない人との違いがあるだけなのです。
夢を覚えていないという人というのは、私の印象では、起床してすぐに活動を始めてしまうタイプの人が多いようです。外向的であったり、外側のことに心を奪われ過ぎているというような人であります。
E氏もそういう人であるということは、すぐに理解できるのです。彼にとって、自分の内面は常に疎かにされ、外側のことに従事し、没頭しなければいられないのです。E氏の生き方はまさにそのようなものでした。このことは後々明らかになっていくでしょう。
ところで、夢を見ないという人であっても、起床後少しだけ時間を割いて、寝ている間に夢を見なかったかどうかを振り返ってもらうと、やがて夢を見るようになるのです。最初は何となく夢を見たという程度から、夢に登場した人や物が一つ記憶に残っているとか、一場面だけ覚えているという程度に発展します。それを続けているうちに、記憶している夢の範囲が広がり、いくつものエピソードや全体を把持できるようになるものなのです。だから、夢を見ないという人も時間をかけて取り組めば夢を見るようになっていくのです。事実、E氏は6回目の面接で最初の夢を報告されています。それはとても断片的なものでしたが、意義のあるものでした。これも後に話すことにしましょう。
さて、夢というのは誰も意識してコントロールできない領域であります。自分で見るものなのに自分ではどうしようもできないという要素があるのです。自分で意識的にコントロールできないということは、夢は内面にあるものを露骨に提示するということであります。つまり、心の状態をそのまま見せてくれる、それが夢であるという理解を私はしております。
それはちょうど、医師が肉眼で見ることのできない患者の内臓をレントゲン写真に撮って見るのと同じようなものです。自分の心であれ他人の心であれ、人の心は目で見ることができないのです。それを見るためには夢に頼るしかないのです。夢はその人の心の状態を示してくれるものであり、その人の内面でどういうことが起きているかを夢は視覚化して教えてくれているのです。
(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)