<T6-11>気分の沈みという体験
(事例)
先述のように、E氏は「うつ病」と診断されるまで、自分が「うつ病」であるとは認識していませんでした。
それから彼は精神科に通い、薬を処方してもらっています。この薬物療法を半年ほど続けて、今回、カウンセリングを受けようと思い立ったのでした。E氏の話すところでは、薬物療法は確かによく効いたそうです。でも、ある段階までは回復しているのに、そこから先に進んでいないように感じられていたのでした。
E氏は薬物療法の限界を医師に相談し、カウンセリングを受けようかと思うと打ち明けたそうです。その医師は、カウンセリングを受けたければ受けても良いが、薬は欠かさないようにとE氏に伝えたのでした。
E氏はいろいろ探して私のカウンセリングを選んでくれたのでした。こうして、E氏と私と対面するに至ったのです。
(解説)
ここで押さえておきたいポイントは、精神科の治療も私のカウンセリングも、E氏が自ら求め、開始しているということです。
「うつ病」とは、何よりも辛い体験なのです。それが辛いからこそ、当人は何とかして治したいという気持ちになるのです。つまり、治療意欲がしっかりあるのです。
こうした治療意欲がしっかりあるということが、「うつ病なんて、誰だって気分が落ち込んだりすることはあるのに、何を甘えたことを言ってるんだ」などと主張する人たちへの反証となるのです。
確かに、私たちは、「うつ病」でなくても、気分の浮き沈みというものを体験します。気分が沈んで、それで医者にかかろうと思う人の方が少ないのではないかと私は思います。なぜ、そこで医者にかかろうとは思わないのかと言いますと、それはその気分の沈みの原因が分かっていたり、すぐに回復するという信念を持っていたりするからではないでしょうか。つまり、過去にもそういう気分の浮き沈みを経験したことがあり、しばらくすると回復したという履歴を私たちが有しているからではないかということなのです。
従って、そこで言われているところの気分の沈みというのは、私たちがかつて体験したことがあり、それも馴染のある体験のことを指していると考えていいのではないでしょうか。
しかし、「うつ病」者は、気分が沈んでいるということで医者を訪れています。それは、その体験が、私たちが通常体験するような気分の沈みとはまた違ったものであるということを示しているのではないでしょうか。
実際、「うつ病」者と面接していますと、「こんな苦しみは生まれて初めてだ」とか、「これまで経験したことのないような辛さだ」と表現されるクライアントも少なくありません。これは明らかに、「うつ病」ではない人たちが経験するものとは違った、もっと異質の体験をされているということなのです。
つまり、私たちは、私たちが通常体験する気分の落ち込みということと、「うつ病」者の言う気分の落ち込みとを、あまりにも同等視してはいけないのです。そこはとても注意を要することだと私は考えています。
(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)