<T025-2>文献の中のクライアントたち(2)

 

 臨床の世界には病者の存在が不可欠だ。病者たちが臨床を発展させてきたのだ。過去の病者たちの恩恵を僕たちは蒙っている。彼らは僕の代わりに病気になってくれたのかもしれない。彼らが僕だったかもしれない。文献に現れるクライアントたち、彼らの存在が僕たちを生かしてくれているのかもしれない。僕は彼らを忘れたくない。彼らに敬意を表しつつ、文献に残されたクライアントたちを綴ろうと思う。 

 clはクライアントの略。( )内の文章は僕の感想とか見解を示している。 

 今回は以下の4人のクライアントを綴る。 

 

<cl9> ジョン 39歳男性 消化性潰瘍 

<cl10> ウィラード 38歳男性 本態性高血圧 

<cl11> 男性 精神病質的人格(反社会的人格) 

<cl12> 男性 精神病質的人格(反社会的人格) 

 

<cl9> ジョン 39歳男性 消化性潰瘍 

 大企業に勤めるジョンは、激しい腹痛に襲われ入院した。彼にとって胃潰瘍のための二度目の入院となった。 

 彼は3人兄弟の末っ子だった。母親は非常に神経質で過保護だった。兄たちは彼よりもずっと年が離れていたので、母親の関心は彼一人に注がれた。父親は商売上手であったが、利己主義でもあった。父親は子供たちに対する母親の気遣いや態度が気に入らなかった。そのため、ジョンも父親を嫌いになり、父に対して強い劣等感をも抱いていた。 

 学生時代。ジョンは良い成績をとろうと努力した。しかし、小学校の頃はよく欠席した。と言うのは、彼が少しでも具合が悪いと、それが完治するまで母親が彼を閉じ込め、世話を焼いたためであった。 

 高校生の頃、彼は勉強がいかに大変であるかを知る。いくつかの科目での低成績は彼を神経質にし、彼の心を乱した。それでも彼は技術士の資格を取り、大企業に勤める。 

 その後、彼は非常に優秀な看護士と結婚する。子供が二人生まれても、彼女は仕事を辞めようとはしなかった。彼女は、会社での彼の地位が少しでも上がるようにと、いつも彼に小言を言うような、愛情の少ない女性であった。 

 ジョンは仕事の全エネルギーを費やした。週末も働き、休暇を取ろうともしなかった。16年後、彼は技術監督者に昇進した。この地位就くと、過ちを犯せば莫大な損失を生み出すといった大きな案件の決定権を付与される。そのため、彼は仕事において絶えず緊張しなければならなくなった。 

 そのような状況に加えて、家では妻の批判に晒され、自動車泥棒や暴行で逮捕されている15歳の息子の問題に悩まされ、落ち着くことさえできないでいた。 

 次第に彼は酒に溺れるようになる。仕事に行けなくなる日も見られるようになった。毎朝、目覚めると、現実の世界に直面しなければならないということが、彼の仕事に対する欲求不満をますます増長させることになった。 

 彼の腹痛はますます激しくなり、ベッドから起きあがることもできなくなった。彼は胃潰瘍の診断を受け、入院することになった。薬物療法を受けるとともに、精神科医の治療も受けるようにと薦められるが、彼は「自分にはなんら精神的問題はない」と言って、精神科医との面接を拒絶した。 

 その6ヵ月後、胃潰瘍での二度目の入院となったのだった。監督者として復職し、責任のある地位に就き、会社にとっても重要な人物になりだしてきた直後であった。この時点で彼の潰瘍はひどい状態にあり、胃は破れ、手術をしなければならなくなっていた。 

 ジョンは、堅実で独立心あふれた外観を示し、仕事に関しても能力のある人であった。しかし、この外観の下には、自分の能力を疑い、いつも人が自分に気を配ってくれることを切望している人間の姿があった。彼が看護婦を妻に選んだことは象徴的である。その妻からは、彼の依存欲求を満たすための、ほんのわずかの満足すら得られないでいた。 

 (このジョンのような人は日本でも珍しくない。現実の自分とはあまりにもかけ離れた自分を生きようとし、自分に対して不忠実なのだ。とは言え、あまりにも自分に忠実過ぎてもいけないのだが。彼が精神科医との面接を拒んだことは特徴的である。本当の自分が見透かされてしまう、あるいはそれに直面してしまうといった恐れがあったのかもしれない) 

 

<cl10> ウィラード 37歳男性 本態性高血圧 

 ウィラードは、神経質と取り越し苦労のために、心理学的診断を受けるように薦められていた。高血圧、心悸亢進、狭心症的胸痛のために、彼は三日前から入院していた。それ以前から、心臓疾患の恐怖に彼は囚われ、すでに数人の医師の診断を受けていた。 

 面接時、彼は快活で積極的、しばしば愛想のよさを示していた。表面的には良好な態度を示していたが、話題が問題の核心や人間関係になると、非常に緊張し、防衛的となるのだった。 

 ウィラードは一人っ子だった。両親と祖母の4人家族で育った。父親は船乗りだったので不在であることがほとんどで、母親と祖母の三人でいつも暮らしていた。たまに返ってくる父親は、いつもウィラードを叱り、折檻するので、彼は父親が大嫌いになり、父親が帰ってくるのを恐れるようになった。もっとも、父親が不在の間は、生活は幸福そのものだったようである。 

 高校卒業後、デパートに就職し、10年後にはマネージャーになった。彼は仕事に熱心に励み、人よりもよけいに働いた。勤勉で忍耐強く、自己を見失わず、公明正大で思いやりのある自分を、彼は自慢していた。 

 その後、マネージメント能力を非常に要求される地位に就いたことにより、彼はしばしば極度の緊張状態に陥った。棚卸しや会計監査の時期になると、特に緊張状態に陥り、狼狽した。彼は「極端で、しかも非常な制限を押し付けてくる」本店の方針に憤慨し、そのために地域担当マネージャーから強い叱責を受けるようになる。このようなことがあって、この時期になると、彼は胸痛や眩暈の症状に襲われ、仕事上のミスを犯すようになる。 

 最近になって、彼は自分の健康状態を気にし始め、数人の医師の診察を受けるようになった。その都度、高血圧という診断を彼は受け取った。彼が入院する一週間前も、健康診断を受ける必要があると本店から指示されていたのだった。 

 彼の望みは、仕事に伴う焦燥感を抑圧することであった。上役からの強要に対して、彼は一言も反論できず、そのことが強烈な恨みと怒りの感情を引き起こしていた。彼のその感情や緊張は、自律神経を通じてのみ吐き出されることになった。 

 (ウィラードのような人も珍しくない。僕の友人にもそういう人がいた。友人は支店長に任命されたのだけど、友人はどちらかというと補佐役で能力を発揮するタイプだった。当然、彼は支店長としては最低の評価しか得られず、退職し、落ち込んでいた。一緒に酒を呑んでいた時、「君が支店長としてダメやったんやないんや。君を支店長に任命した本部連中がポンコツ揃いやねん」と言ってやった。友人がかなり救われたような顔をしたのを僕は覚えている。この友人やウィラードのような人に対しては、時に、彼の怒りを代弁してやらなければならないこともあるものだ)  

  

<cl11> 男性 精神病質的人格(反社会的人格) クレックリーによる症例 

 ある真面目で有能なビジネスマンの男性。彼は酒に溺れ、挙句の果てに、浮浪者や放浪者の仲間に入り、たびたび人事不省に陥るほど酒を飲んだ。時折、彼は車で田舎へ行くために黒人の少年を雇うことがあったが、そのような時、彼は藪の中で意識がなくなるまで飲み耽り、酔いが醒めると家に帰るのだった。彼の日頃の酒癖は近所を騒がせるようなものではなかったが、ある時、突然、彼は犬が吠えるのを真似ながら、犬のように手をついて近所を走り回ったのだった。 

 (こういう人は、有能な部分はとことん有能で、無能な部分はとことん無能といった両極端を示したりする。これは、両極端と言うよりも、両者が統合されておらず、分断しているという印象を僕は受ける。そのため、一方の成熟に伴って他方も成熟するといったような、全体的な動きが見られないという傾向があるように僕は感じている) 

 

<cl12> 男性 精神病質的人格(反社会的人格) クレックリーによる症例 

 この男性は科学者で、20代終盤に博士号を得て、物理学の論文を連名で発表するほどの学者であった。 

彼には次のような経歴がある。博士号を取得する間、彼は酒を浴びるほど飲むことがよくあった。それはその後の昇進を遅らせることにもなった。 

 学位を得ると、大学の教職の仕事を得る。学期が始まるまでの間は叔母と一緒に暮らしていたが、この期間にますます大酒を飲むようになった。浮浪者や売春婦とも知り合いになる。大学が始まる一週間前に、彼は売春婦と結婚することを決め、その準備をし、叔母や同僚にも出席を求めたが、このことは多くの人の悪評を買うことになった。当然、大学にもそれが伝わり、彼は解雇された。 

 その後、別の学部の仕事を得たが、またも大酒を飲み、大学に多額の経済的負担を負わせてしまい、再び失職することになった。 

 それから数日姿を消した後、彼は地方の獣医科病院に現れ、犬舎を不法占拠するという事件を起こす。この事件のために、彼のかつての恩師が呼び出されることになった。 

 その後、数々の事件や問題を起こすものの、かなりの地位に就くことができた。もっとも、それとて長続きすることはなかったのだが。 

 彼は、自分の引き起こした諸問題をすべて他人、特に家族のせいにした。 

 (この男性も、一方では科学者として有能でありながら、人間的にというか人格的にはまったく無能である。どこか統一がなく、人格の各部分が分断されているという印象を受ける。そして、責任を取ることに耐えられず、そのために他罰的にならざるを得ないのだろう。こういう人は、あたかも、昨日まで頂点だったのが今日はどん底といった感じの、急転直下な生き方をする人だ) 

 

<テキスト> 

『異常心理学』(J・N・ブッチャー)福村出版 より 

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

PAGE TOP