<T025-14>文献の中のクライアントたち(14) 

 

 I・B・ウェイナー著『青年期の精神障害(上)』より、分裂病を発病した10代の青年のケースを取り上げることにする。 

 

本項のクライアントたち 

(cl61)ドナルド 16歳 急性非定型分裂病 

(cl62)カレン 16歳 進行中の慢性分裂病性障害 

 

 

(cl61)ドナルド 16歳 急性非定型分裂病 

 ドナルドは利巧で創造性があり、温和で内気な子供と思われていた。友達も多く、学校でもとても好かれ、教育上の問題点も認められなかった。 

 高校二年生に上がる少し前に彼はある事故に遭遇する。10代の少年が運転する自動車に撥ねられたのだ。ドナルドは、この事故で後遺症が残るような身体的大怪我こそ負わなかったものの、性格が豹変した。かつての抑制や自制、落ち着きはなくなり、著しい多動と怒りの爆発を示すようになった。 

 母親に向かっては、些細な事で、口汚く罵り、家庭内の小さな争いに対して、家中を足を踏み鳴らして歩き回ったり、ドアを激しく閉めたりして反応した。 

 睡眠は短くなり、悪夢を頻繁に見るようになり、ベッドで激しくのたうち回るので壁やベッドの枠で怪我をすることもあった。 

 事故後、攻撃的で統御しにくい行動が突然始まったわけだが、間もなく学業成績も急激に低下した。彼は初めて学校の規律問題の対象となった。 

 彼は数人の少年と夜中に校舎に侵入したところを警官に補導される。また、長髪を切れという要求に対しては、暴れて学校から飛び出し、戻ることを拒否したために、その学年の二月までこの問題が未処理のまま続いた。 

 この時点で両親は専門家に援助を求めた。 

 初回面接時、ドナルドはソワソワし、平静であるフリをし、薄笑いを浮かべながら壁を見つめていた。自分の問題行動や学業低下についてはまったく無関心であった。思考障害は認められず、統御の欠如と復学への拒否、並びに母親との緊張関係を考慮し、はっきりした評価と治療計画を立てるために彼の入院が決定する。この時の診断は「青年期混乱」であった。 

 入院後、攻撃的で反社会的行動を統御しようとするthの努力に対して、ドナルドはまったく反応しなかった。彼の敵意に満ちた横柄な反抗的行動は増加した。彼はthに「このくそったれ医師」と繰り返し罵り、家具を壊し、隣の患者に物を投げつけるなどの行動を示し、二度の病院逃走を行った。 

 入院中の自制不能と判断力不足、時々見せる解離と途絶は分裂病の可能性を暗示していた。そこで心理的コンサルテーションが要請された。 

 心理検査の所見は、ドナルドは分裂病的障害の様相と一致していた。現実吟味の乏しさと社会的判断力の低下が著しかった。ロ・テストにおいては、反応の半分に不正確な知覚があり、その程度は正常青年の限界をはるかに超えていた。さらに平凡反応をほとんど示さなかった。WISCにおいては、社会的理解の項目に反応し、時に間違った解釈をし、簡単で明瞭な状況設定に対して衝動的反応を示し、回りくどい言い方をした。これらの検査結果からは、複雑な問題をさらに分析する必要が生まれた。 

 しかし、この入院は保険期間が切れたために突然中止となった。一ヶ月の入院で終わった。この時の診断は「急性非定型分裂病」であった。 

 続いて、彼は近くの州立病院に紹介されたが、彼の家族もそれを望んでいた。彼は、外来治療のために、自宅へ戻った。 

 退院後、彼は驚くほど回復した。入院中に得た精神療法的進歩をさらに促進させることになった。 

 その後の二年以上の追跡調査では、生活の大部分を彼は静かに暮らし、事故以前に彼を特徴付けていた性格を維持していた。奇妙な行動を示すことはあったが、何事も無く学校に戻り、学業を終え、行動上の障害も表さなかった。 

 

 (他人のケースなので自由にコメントできる。 

 僕が思うに、このドナルドという少年は、脆い自我が作り上げる脆い防衛で守られてきた子のように思われてくる。事故の経験はこの防衛の「破綻」をもたらしたものだと解釈できる。つまり、この事故は彼の自我が耐ええる以上の衝撃を彼に与えたのだろう。 

 防衛が破綻すると、これまで心の中にあった衝動性や攻撃性が、抑制されることなく、外部に流出することになる。原始的な衝動や感情に支配されるために現実が歪曲されてしまうのだろう、そうして現実吟味が衰退してくるのだろう。 

 入院は、防衛の代理を提供したように思う。病院が自我境界を象徴的に代理したものだと思う。だから退院後に回復が見られたのだろう。 

 この代理防衛機制は彼の自我に内在化された、つまり以前のように防衛されるようになったので、事故以前の性格傾向が回復したのだと思う。 

 退院時の診断は「急性非定型分裂病」ということであった。一般化するわけにもいかないが、急性の症状は割りと速やかに治癒するものである。水面下で人知れず進行していた症状なんかの方が時間を要するものである。また、「非定型」というのは、要するに分類できないということを示す便利な言葉である。特定のカテゴリーに収まらないということである。「非定型」であるのは、症状を形成する時間がない(つまり急性)ということと、症状を形成するほどの自我が機能していないという二つの側面があるように僕は思うのだが、ドナルドの場合、前者の要因が大きいのではないかと思う) 

 

 

(cl61)カレン 16歳 進行中の慢性分裂病性障害 

 カレンは16歳時に医師の紹介で精神科を受診。彼女は、物理学の試験期間中、繰り返し自殺念慮を口にした。 

 彼女は2,3年前から抑うつ気分に陥っていた。彼女の所有していた馬の死がそのきっかけであった。彼女は自分の馬の死に対して責任があると誤解しており、そのため彼女の喜びでもあった乗馬を断念させることになった。 

 彼女は食欲不振と不眠、生きることへの意味への囚われと暗い将来の展望を訴える。また、彼女は一人になりたいと望み、異性関係に望みはなかった。 

 彼女の雰囲気は抑うつ的ではあったが、自由に話し、支離滅裂さや混乱した様子はなかった。自殺の危険性と家が遠いという理由で彼女の入院が決定した。この時の診断は「抑うつ的で恐怖とヒステリー的特長をもつ青年期適応危機」であった。 

 入院一週間、カレンの行動には分裂性障害を疑わせるものがあった。病室では著しくひきこもり、外界を締め出すかのように日よけを引き、光を締め出し、サングラスをかけ、部屋の隅で体を丸めていた。彼女は「人生はただ苦しみと空虚があるだけです」と言い、いつまで病院にいることができるか尋ね始めた。 

 また、彼女は、どんな人にも親しみを感じないと言い、特に両親に対してそうであると話す。「私は両親を愛してはいますが、気にかけてはいないんです」と語る。 

 一方で、主に彼女が一人でいる時だが、誰かが自分を見つめていると感じることがあると彼女は述べる。 

 デートに無関心であることを尋ねられると、すべての男子は最初のデートでヘヴィーペッティングを期待しており、彼女は触れられることも「男をガッカリさせる」ことも望まないので、デートの申込みをいつも避けてきたのだと彼女は話した。 

 しかし、13歳頃、兄と二人だけで家にいる時にはいつも兄に抱きしめられ、キスされたことを彼女は打ち明けた。兄が言い寄ってくるのを拒絶することもできず、母親にもそれを訴えなかった。彼女がそうしたのは「私はどんな人もガッカリさせたくないんです」という理由であった。 

 母親からの情報によると、彼女は自信のない恥ずかしがりやの少女だった。カレンの臆病さについて尋ねられると、カレンは同年代に不快を感じており、7.8歳頃から年上の人と付き合うことを好んでいたという。カレンが求めたグループは4Hクラブと乗馬クラブだけであった。2年前に彼女は両方のクラブを辞めた。入院前の数ヶ月、彼女はますます学業に強迫的になっており、勉強の細かい部分について夜遅くまでずっと考え続けるようになっていた。 

 感情的にも身体的にも他者から孤立する傾向、異常ともとれる行動、デートについての非現実的な考え方は、潜在性分裂病障害の存在を示唆している。 

 心理テストの結果は、次のような印象を与えるものであった。検査の結果、彼女は高度の知能を持っており、自我機能はそれほど重篤に障害されていないことを示している。他方において、彼女は性同一性に問題を持つ非常に悩みの強い少女であり、彼女の関心は状況に振り回されやすく、現実吟味の貧困さを示している。彼女の強さと弱さの様式は、初期分裂病反応の早期段階か、軽い境界状態に一致しているようである。 

 入院3週間半。彼女の抑うつとひきこもりは続いていたが、自殺の危険はもはや見られなくなっていた。カレンは退院し、外来治療を受けることになった。 

 外来治療を始めて3ヵ月後、彼女は再び病院に戻る。「私は私自身ではない。病院(外来の病院であろう)で彼らは私を変えてしまった。私は誰かが私を殺そうとしていると考え始め、今やすべての人が私を殺したいと思っているように思います」と訴える。外来治療の間に彼女の状態は悪化していた。「困惑し、べったり座り込んで、すべての希望を失ってしまった」と彼女は報告する。 

 二度目の入院となる。その二週間前に、ナイフを持った背の高い男が彼女を殺そうとして後を追ってくるという独特の妄想を発展させていた。 

 再入院後、彼女は沈黙し、閉じこもり、感情の平板化とぼんやり前方を見つめる様子を示した。今にも殺されるという妄想に心を奪われていた。 

 8ヵ月後、彼女の抑うつ感情はやや回復し、妄想観念も減少したので、再び退院した。その時には「分裂情動型分裂病反応」と診断されるような病像を示していた。 

 数ヶ月の外来治療期間中、彼女は理性的な観念の統御と情動の統合を維持するようになっていった。 

二度目の心理検査では復学可能という評価を得た。この二度目の検査において、不安の減少が見られ、黙り込む態度や他者への恐怖を示さなかった。これは一回目の検査時には見られなかったものである。 

この対人的不安の減少は、他者からひきこもり、対人的距離を増大させるという代償を払って達成されたものであると考えられた。他人への関心の消失、情緒的に他者から遊離するという結果を伴っていた。 

 現実吟味の破綻、並びに非論理性の持続に伴って、これらの症状は慢性分裂病的状態へ進みつつあることを示していた。彼女のひきこもりは分裂病的障害による適応不全と説明されたが、このひきこもりは彼女の不安水準を低下させ、より安定した方向へ向かうことを可能にもしていた。 

 彼女の病歴は、青年期に発症し、初期には抑うつ病像が優勢的であり、慢性分裂病性障害への緩徐な進行を示している。 

 

 (文中ではカレンの風貌などは省略しているが、彼女はなかなか魅力的な女子であるようだ。彼女は「男をガッカリさせたくない」という理由でデートの誘いを回避するのだが、これは敵意の裏返しである。ガッカリさせたくないという理由でお誘いを回避することで、誘いかけてくる男たちをガッカリさせているわけである。 

 この敵意は、後に、明確な人格像を形成することになる。背の高い、ナイフを持って彼女を追いかけてくる男である。この像には、かつて彼女に言い寄ってきた兄の姿も含まれているのではないかと僕は思う。かつて兄に対して無抵抗で拒絶できなかったように、この迫害者に対しても抵抗できないと彼女は感じているかもしれない。 

 詳細は不明だが、両親との関係は希薄であるようだ。母親は同一視できる対象とはなり得ず、そのために性同一性の悩みを抱えるようになっているようだ。彼女は自分の性を受け入れることができないのかもしれない。馬(男性的な動物だ)に愛着を覚えるのもそれに関係しているかもしれない。 

 最初の入院時にて、彼女は「いつまで病院にいることができるか」と尋ねている。つまり、「いつ退院できるか」ではなく、いつまでここに留まることができるかと尋ねているわけだから、彼女は病院に残りたいと欲しているようである。彼女にとって病院は安心できる場であったのかもしれない。それを思うと、3週間半で退院というのは、時期尚早であったかもしれない。この時、3週間ではなく、3ヶ月入院していた方が、後々の展開を見ると、良かったように僕は思う。 

 退院が時期尚早であった(と僕は思っている)のは、最初の「青年期適応危機」という診断が影響したのではないかと思う。最初の診断が後々まで影響することはあり得ることである。実際には、心理テストの結果から、初期分裂病のさらに早期段階の疑いが出ているのである。より後期の診断に基づいた方が良かったのではないかと僕は思っている。自殺念慮は消失していても、分裂病様の症状であるひきこもりや抑うつ(むしろ空虚感に近いだろう)が残っているわけだが、これを「適応危機」として見ると、もう危機は脱したとみなされるかもしれない。一方、分裂病とみなすと、まだまだ要注意と判断されていたかもしれない。この点に関しては、th側の判断が幾分間違っていたように僕には思われてならないのである。) 

 

 

<テキスト> 

I・B・ウェイナー著『青年期の精神障害 上巻』(星和書店)より 

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

 

 

 

 

 

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