<T025-13>文献の中のクライアントたち(13)
W・ライヒ『衝動的性格』(イザラ書房)より。(p87~p102)掲載の事例より抜粋。
Clはクライアント、thは臨床家、( )内は僕の補足・説明などを表す。
今回収録のクライアント
(cl60)19歳女性 強迫―分裂病
(cl60)19歳女性 強迫-分裂病
clは自分が何か悪いことをしたと思う時に必ず浮かんでくる想念のために治療を受けに来た。
その想念とは、世界が没落して、自分も破滅してしまうというものであった。例えば、何か仕事をしなければならないとなると、「明日には世界が没落してしまうのに、どうして私がこんなことをしなければならないのかしら」と彼女は思い、翌日になって「世界がまだ没落していない」ことにびっくりするという次第であった。ここにははっきりとした不安の痕跡が欠けている(感情鈍麻、もしくは離人的)。
Clはこの世界没落妄想を病的とは感じていない。それどころか、この世界没落の可能性には確信があると主張している。(病識の欠如)
彼女は、時々、ひどい放心の印象を与え、話している最中に虚脱したように黙り込み、遠くに目を投げたり、まったく関係のないことを喋りだす。彼女が一日中夢を見ているようになって、仕事もしたがらないという両親の報告もある。
彼女の姉と妹は生活力があり、ともに神経症的傾向は見られない。父親は仕事もでき、世慣れているが、過敏で怒りっぽく、専制的であり、且つ知的でもある。母親は健全な人柄であるが、精神的には狭量なところがある。
Clには極度の劣等感があり、自分は何もできないと感じている。彼女は(それを補償するかのように)手当たり次第に仕事を習おうとし、数学を学ぼうとし、機械の組み立てをやってみようとする。
また、彼女は、自分が何もできないのは、「女性に対してなされる男性の抑圧(抑制)」のためと感じている。道で少女が自転車を練習しているのを見ると、「男ならもっと上手くできるのに」と考えずにはいられない。練習中の不器用さも(男性によってなされる)抑圧と感じてしまう。
彼女の劣等感は、より深い所では、自虐的傾向と結びついている。例えば、料理を覚えようとした時に、劣等感を感じているので、彼女は意識的にすべてを逆にやってしまう(逆転性)。それによって、彼女は母親から罵られることになるのだが、それが彼女にとって最大の快楽になってしまうということになる(つまり、マゾヒスティックな傾向が満たされるため)。
彼女は皆を怒らせ、自分が罵られるために、物事を逆にやってしまう。それは彼女自身が認めていることであった。裁縫を教わっても、その場から放り出されるために、わざと生地を切り刻んだりする。
治療中も彼女は強情に、反抗的に振舞う。2,3回目が経過した頃、「先生はどうして私をおっぽり出さないの?」と彼女はthに尋ねた。(彼女は新しい人間関係を経験し始めている)
こうした自虐に伴って、彼女の中で世界没落の観念が浮かんでくるのであった。
ところで、彼女は、(一方では自虐的でありながら)他の人々、特に母親を苦しませたりする。母親が倒れて、壊れてしまうようにと、(母の通り道に)わざと足を出したりする。
彼女は、残虐な妄想を見つけ出すことに喜びを感じており、それにはマゾヒズム、サディズムの両方の目的が伴っていた。前者(マゾヒズム的)の妄想例としては、(自分の)性器に剣が突き刺され、それが頭まで貫通しているといった具合である。あるいは、釘を打ちつけた板の上を歩かされて、血が吹き出るといった具合である。
これらの(マゾヒズム的)妄想は、彼女の淋病と関係がある。彼女の記憶では、それはある女家庭教師から感染したもの、ということになっていた。その当時、彼女の4歳の時が、彼女にとって「狂いはじめ」となっている。6歳の時に、彼女は治療を受けたが、剣の妄想は、その時、ラッパ管を広げるために受けた苦痛に現実的背景がある。
後者(サディズム的)の妄想は、彼女が幼い頃から続けてきたオナニーと関係がある。彼女が4歳の頃、父親は去勢の脅かしをかけ、夜じゅう、彼女の手を縛り付けるといったことをした時に現れている。
彼女のサディズム的妄想は、マゾヒズム的妄想から導かれている。例えば、母親に向かって、「板に釘を打ちつけて、それでお父さんの頭を叩いてやんなさいよ」と言ったり、「お母さんなんか窓から落ちてしまえばいいのに。その間、私はご飯を食べているんだから、あんたの邪魔なんかしやしないわよ。私はゆっくりご飯を食べ終わったら、中庭に行くんだわ。あんたが粉々に砕けているのを見るためにね」と言ったりする。
ちなみに、彼女はそうした言葉を病的とも不快とも感じていない(ここが病的である)ようであった。彼女は、それを実に物静かに、内的感情を一切無しで言うのである。
そう言ったかと思うと、彼女は、今度は母親の首に抱きつき、接吻するのである。些細な出来事と結びついた世界没落妄想が罪の感情に照応しているのであるが、このことを彼女に明らかにするためには長い(期間にわたる分析治療)努力を要した。
父親に対しては、彼女は父親から抑圧されていると感じていた。それにもかかわらず、彼女は父親を尊敬していた。彼が「分別があり、」家の主人であったからである。父親はサディズム的性格であり、些細なことであっても、子供たちに対しては情け容赦なく鞭で叩いた。
そういう父親であるが、彼女のマゾヒスティックな構えに照応して、彼女は父親を尊敬していた。尊敬していた以上に、彼女は父親の在り方の一部を自分自身に取り込みさえした(同一視)。つまり、彼女は母親に対して、父親がやるのと同じように振舞ったのである。彼女は怒ると皿を投げ、母親に辛く当たる(そういうことを父親がしていたのだろう)。
同じように、彼女より美しく、皆から愛される姉に対しては、父親に対してするのと同様に(また、父親が姉に対してするように)、彼女は愛情と尊敬を姉に捧げるのだった。これに反して、母親は「それが居るというだけで」すでに彼女の癇に障るのであった。母親はバカで、弱くて、オドオドしていて、だから尊敬する必要はない、と言うのである。
以上から、彼女が強く父親と同一視していることが分かる。父親に対するマゾヒズム的献身があり、それは母親に対するサディズム的な構えと照応している。そして、この両方が完全に彼女に意識されている。彼女には、強迫神経症的な良心過敏性がなく、大切なことに関しては良心がないと言ってもよかった。(つまり、超自我が欠如ないし脆弱なのである)
しかし、その良心性に対応しているのが、世界没落感である。これは母親に対する罪悪感に照応している。そのため、日常的出来事と結びつくことになった。罪悪感は世界没落へ転位し、それがサディズム的態度を可能にしている。分析治療において、これらの正しい結びつきが再生されると、彼女は初めて母親に対するサディズム的衝動を強迫として感じ取るようになった。衝動的性格が、典型的な強迫症状へと転化したのである。
彼女のリビドー発達史を記しておこう。彼女の性活動はあまりに無抑制的である。
彼女は夥しいマゾヒズム的空想をしながら、ほとんど毎日、オルガスムのないオナニーをしていた。現実の性交渉はない。
そのオナニー妄想は、例えば、切り取られた膣に糞を一杯に詰めて、それを父親とともに食べるといった内容であった。ここには、口唇的、肛門的、性器的の全リビドー段階の要素があり、且つ、全体がマゾヒズム的に体験される。かように、彼女のリビドー構造は多型的―倒錯的な特徴を持っている。
この妄想の口唇的要素には、独特の歴史があった。子供の頃、彼女は食欲不振に悩まされた(愛情の拒否、剥奪と関係があるように思う)。あらゆる手立てを尽くして彼女に食べることを強制するようにと、親は医師から薦められた。そして、食べたものを嘔吐した場合は、力づくで押さえつけて、嘔吐したものを食べることを彼女は強いられたのである。これが繰り返し行われたと言う。
やがて、口唇的、並びに、肛門的傾向の抑圧転位と昇華は失敗に終わる。結果、彼女は7,8歳(潜伏期に入っている年代)になってもまだ便やヴァギナ分泌物を口にしたのであった。治療中も、彼女はヴァギナ分泌物を指の間に塗りつけることに最大の快感を見出していた。
母胎内妄想も彼女には現れていた。母胎内への過度の退行を表現している世界没落妄想(この世界に存在する以前の状態に、この世界を見ることになる以前の状態に戻ることである)を伴い、強い視覚的観念が現れる。彼女は自分が地球に閉じ込められるのを見る。その状態を彼女はスケッチしたのであるが、それによると、地球があり、その中に彼女が居る、その外側に目があり、視線が扇状に広がっている。
再び彼女の家族状況に目を向けよう。彼女の父親に対する行動と母親に対する行動とでは、持続的なアンビバレンスが見られる。彼女の超自我は男性的に方向付けられている。彼女は強くて粗野な父親を賛美し、愚かで弱い母親に対しては、父親と同じように振舞う。この同一視は完全に意識的である。彼女の劣等感は、父親との同一視、並びに、父親に可愛がられている姉妹に対する羨望に由来している。
分析によって結論できることは、父親の欠陥だらけの衝動抑制である。父親は娘たちにあからさまに性的な意図を持って近づいている。父親こそ彼女に淋病をうつしたのではないかという推定は、彼が長い間淋病を患っていたことが判明することで確かめられた。彼女は父親によって性的に襲われる妄想を持っている。
肛門性に関しても、父親は毀損的な影響を及ぼしていた。子供に対して、吐いたものを食べることを強制することは、食糞的傾向(乳幼児にはこれがある)を促進することになった。
しかし、同じ境遇で育ったのに、姉の方は健康であったのはなぜだろうか。姉は常に妹に対しては手本として示され、引き立てられ、愛されていた。その他の点では分からないことが多いが、この姉は両親も妹(cl)も憎んでいたのだけど、しかるべき時に家を離れている。
(原文はもっと長いものであるが、理論的な説明等は省き、クライアントに関する記述だけを拾い上げていったので、随所で意味が通じない箇所があったかもしれない。興味のある人は原本を紐解いていただきたい。
この女性を現在の診断基準に照らし合わせると、人格障害水準の人であるように思う。限られた情報内での僕の見立てでは、この女性を「解離例」とみなしたい。感情要素などを解離しているように思われるからだ。そして、解離されているものは、妄想を通じて彼女の意識に上がっているように思う。
もし、この女性が僕のクライアントだったら、僕では相応しくないと応じるかもしれない。僕が「父性的」「男性原理」に傾斜しやすいからである。彼女は、母親ないしは母親的要素ともう一度きちんと結合しなければならないと、僕は考える。その上で、父親から受け継いだ「間違った」部分を訂正していかなければならないと考える。
同時に、性的行為は適度に抑制される必要があると考える。口唇期、肛門期、性器期にそれぞれ固着している性衝動は、適度に抑圧され、別の形に昇華される方がいいと思う。つまり、潜伏期をきちんと経験するということであるが、それによって性的成熟を目指すということである。もっとも、この性的抑制は、権威者からの抑圧ないしは強制であると彼女は受け取ってしまうかもしれない。その時、僕が彼女の治療者であれば、彼女は僕に父親転移を起こすだろう。この父親転移によって、彼女はかつて父親を尊敬したように、僕を尊敬するようになるだろう。この転移によって、僕の治療で彼女が好転するだろう。しかし、それは長くは続かない。この尊敬の背後にはそれ以外の感情が潜んでいるからである。その他の感情が喚起され、意識されるようになると、かつて父親に対してできなかったことを、僕に対してやるようになるだろう。例えば、父親への憎悪は、僕に向けられ、僕を攻撃することで、父親への憎悪を解消するということになるかもしれない。
彼女にとって、母親がどういう存在であるかは不明である。両価的な感情があるように思われるが詳細は不明である。地球の中にいる彼女が母胎内を象徴しているとすれば、この地球は「母親」である。そして、地球とはこの世界でもあると考えれば、世界没落妄想は、母親を破壊してしまう妄想であるとも考えられそうである。良くないことが起きる時に、世界没落妄想が生じるということは、良くないことが生じる時に彼女は母親から切り捨てられる、あるいは母親を失うということを示しているように僕には思われる。劣等感と相俟って、この時、彼女はかなり卑小で無力な自分を経験してしまっているのではないかと思う。
その他、いろいろと考えることもできるのだけれど、これくらいにしておこう。)
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)