<T024-7>高槻カウンセリングセンター便り集(7)
(本ページの内容)
・高槻カウンセリングセンター便り~19通目:「鬱より躁」
・高槻カウンセリングセンター便り~20通目:「なぜこれを書くか」
・高槻カウンセリングセンター便り~21通目:「保険は使えますか」
・終わりに
<高槻カウンセリングセンター便り~19通目:「鬱より躁」>
「躁うつ病」のうち、本当に怖いのは躁の方であります。これは一般にはなかなか認識されていないように思うのです。
特に問題になるのは、それが鬱からの回復なのか、単に鬱から躁に転じただけなのか、その判断が周囲の人には見分けがつかない場面であります。
私の経験から、いくつかの判断の目安となるところを述べようと思います。
まず、鬱からの回復の場合、その人は以前の自分に戻ろうとするのですが、躁の場合、まったく別人に、まったく別の人生をいきなり始めようとする傾向があるように思います。
うつ病で休職中である場合、回復では、その人は以前の職場に復帰して、以前の生活を取り戻そうとするのに対して、躁の場合、いきなり退職して、全く別種の職業を始めたりするわけであります。
これはよく見られる現象であるように私は思うのです。「躁うつ病」とは、気分の障害と考えられているけれど、それ以上にアイデンティティの問題が含まれると私は考えています。
鬱から抜け出し始めると、彼らは何かを始めることがある。
回復では、過去の趣味を再開することがあります。あるいは、行ってみたいと思っていたところに旅行するということもあります。私の経験した例では、子供のころによく作っていたプラモデル作りを再開した人もあれば、かつて挫折した大河小説に再挑戦したという人もあります。
つまり、回復には過去と現在をつなぐ要素が見られるのであるが、躁の場合、過去は一切無視されるのであります。
過去が一切無視されるので、新しいことを始めるという場合でも、過去経験が活かされないのであります。過去は度外視されていることが多いように思うのです。
次に、いささか微妙なところでありますが、回復では現実に立脚しているが、躁では現実が一切無視される。
特徴的なのは、躁では「限界」という概念が喪失するのであります。鬱から抜け出して、例えば本でも読みたいと思ったとしましょう。回復の場合、自分が読める限度で本を買うが、躁の場合、いきなり100冊も購入したりするわけであります。そして、それだけ読めると確信しているわけでありますが、これは自己の能力とか限界とかが一切考慮されていないわけであります。
時に問題となるのは、怒りである。
回復の場合でも、その人は腹を立てたり、怒ったりといったエネルギーが戻ってくるのです。躁の場合、それが著しく激しい場合があるのです。
躁病と言った場合、気分が高揚するというイメージを持たれるかもしれないけれど、暴力的になる躁もあるのです。
微妙な程度の差だけど、その人らしからぬ暴力的な言動が見られる場合、それは、回復よりも、躁の方であると私は考えています。
他にもあるかもしれなけれど、今回はここまで。
本当は躁に転じただけなのに、「治った」と早合点して、後で悲惨な末路を迎える人もおられるので、この場を借りて、注意喚起しておきたいと思いました。
(2022.6.25)
(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)
高槻カウンセリングセンター便り~20通目:「なぜこれを書くか」
6月から始めた「便り」も今回で20通目。こう頻繁に投稿するとは自分でも思っていなかった。
今回は心理学的な内容は脇へ置いておいて、なぜこれを書くのかという弁解をしたいと思う。
カウンセリングというものは、とかく提示できるものがない。掲載できる商品もなければ、具体的に示すことのできるサービスなんかもない。写真をアップすると言っても、写真で提示できるものが何もないのである。せいぜい文章だけである。
だから閲覧者にはつまらんページになるだろうと思う。文章だけのページなんてウンザリする人もあるのではないかと僕は思っている。
それでも、せっかくページに入ってくれた人にせめて読み物くらいは提供したいと思う。その読み物が面白いかどうかは別としても、また、それが役に立つかどうかも別として、閲覧者に閲覧できる何かを提供したいという願いがある。
つまり、僕なりのサービスのつもりなのだ。だから、これでもって集客を目論んでるとかいうわけではない。
集客を目指すならもっと別の事柄を書くか、あるいはあまり詳しく書かない方がいい。
詳しく書かない方がいいというのは、閲覧者が求めている情報をピンポイントで与えればいいということである。詳しい説明など求めていないこともけっこうあるだろう。
反省点も多々ある。
まず、テーマは僕の方で一方的に決めているのだけれど、ユーザーのニーズなんか度外視している。
書くだけ書いて終わりというものばかりで、もう少し閲覧者への気遣いなんかも欲しいところだと思っている。ともかく読み手のことをもっと意識したいと思うのである。
宣伝もちょっとくらいなら許してもらえるだろう。たまには宣伝的なことを含めてもいいかなとも思っている。
その他、諸々の反省点や改善点がある。
どれくらいの人がこの「便り」を読んでいるのか分からないけれど、読んでくれる人には感謝します。少なくとも、その人はセンター並びに僕に多少とも興味を持ってくれていると思うからであります。
来月もまたよろしくです。当分は続けようと思っています。
(2022.6.30)
(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)
高槻カウンセリングセンター便り~21通目:「保険は使えますか」
「保険は使えますか」
17年もやっていていまだにこの種の問い合わせを受けてしまう自分も腹立たしいのでありますが、それは別として、私が医師ではないこと、当センターが医療機関ではないことは一目瞭然であります。
どういうわけかカウンセラーは医師と同一視されてしまう(他に宗教家と同一視される場合もある)のですが、いつかそれについても書こうと思っています。
さて、医療保険制度について押さえておきましょう。
医師が診断をします。この診断はすでに保険の対象ともなるのですが、診断が決定してから治療が決まるのであります。この病気にこの治療を施した場合、その治療に保険の適用を認めますよ、という制度であります。
従って、診断が下され、治療が決定されない限り、保険適用かどうか、あるいはいくらくらい治療費がかかるかということは言えないのであります。
以上を踏まえて、次の点をよく覚えておいてほしいと思います。
僕のところは面接料金が一回6000円であります。こんな風に最初から明確に値段を提示しているところは保険適用外なのであります。
美容整形などがわかりやすいでしょうか。二重まぶたの手術は何万円などと明記されていることがありますが、あれは保険適用外の施術だから値段が書けるわけであります。
ともかく、最初から値段が明記されているものは保険適用外とみなして間違いないと思います。
余談でありますが、バカなオヤジがいまして(この人は本当にバカだなと思っています)、この人が肋骨に怪我をしたのです。それで病院に行くと、肋骨にひびがあるからコルセットで固定しましょうということになったのです。
このオヤジ、それに反発して、そんなたいそうなもんはいらん、テーピングを巻いてくれたらそれでいいなどと言って医師に歯向かうのです。加えて、テーピングを巻いて保険適用にせいなどと無理難題を吹っ掛けたのであります。
このオヤジが保険制度を理解していないことはハッキリしています。どんな施術にも保険が適用されるわけではなく、この治療は保険適用を認めます、これは認めませんというのが決まっているということを知らないのであります。本当に困ったオヤジであります。
もう一つ余談を。
これはちょっと僕のデータが古いので今はどうなっているのか知らない(というか興味がない)のですが、カウンセリングは保険適用が認められていないのであります。精神分析療法は、一応保険適用が認められていたのですが、30分の分析療法で、かなり安かった(つまり医師が儲からない)のを覚えています。
カウンセリングが保険適用になったら、誰もカウンセラーなんかにはならんのじゃないかと僕は思っている。
最後にもう一度おさらいを。
僕は医師ではないし、カウンセリングは医療行為ではないし、保険適用も認められておりません。
以上。
もう「保険は使えますか」という質問からはいい加減解放されたいのであります。
(2022.7.1)
(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)
<終わりに>
今回は19通目から21通目までを掲載しました。
19通目は「躁鬱」に関する事柄です。本当は鬱から躁に転じただけなのに、治ったなどと早合点してしまう人がおられるので、敢えてここで注意喚起しておこうと思いました。
16通目の予防論のところで触れましたが、心の病は反復するという傾向があります。治るというのは、ある意味では、この反復がなくなるということでもあります。従って、鬱的な状態から気分が高揚することは快復の目安にはならないのであります。鬱状態が反復されるかどうか経過観察して初めて治癒とか快復とかいうことが言えるわけであります。鬱から躁に転じたということは、次の鬱が待ち構えているということを意味しているだけなのであります。
20通目はこの「便り」に関する内容であります。2022年6月1日に1通目を書き、この20通目で一か月が経ったことになります。それを記念してというのも変な言い方なのですが、なぜこれを書くのかということを改めて記しておいたのでした。といっても、何らの方向性もビジョンもなく始めたものなので、1か月を経てそろそろ内容とか方向性が見え始めたということなのかもしれない。
21通目は「保険は使えますか」というウンザリする問い合わせに応じて書いたものであります。そんなものHPを見れば分かる話なのであります。バカなオヤジの例も本文中に記しておきましたが、案外、一般の人は無知なのだな、と改めて思う次第であります。
(2023年7月)
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)