<T024-23>高槻カウンセリングセンター便り集(23)
(本ページの内容)
・高槻カウンセリングセンター便り:67通目~悪化する人たち(7)
・高槻カウンセリングセンター便り:68通目~悪化する人たち(8)
・高槻カウンセリングセンター便り:69通目~悪化する人たち(9)
・終わりに
高槻カウンセリングセンター便り:67通目~悪化する人たち(7)
権威に対する態度のうち「嫌悪」「嫉妬」「服従」の三態度を取り上げています。それぞれの態度はどれも「反抗」につながる可能性があるのです。
これらの態度を取るクライアントたちは、しばしば臨床家や治療に「反抗」を示すことがあります。
これは直接的で能動的な反抗から、間接的で受動的な反抗までさまざまな形態をとることがあります。どのような形態をとるかはその人のパーソナリティによるところが大きいのであります。
ある人たちは臨床家と議論したがるのです。この人たちは、治療ではなく、治療者をやっつけることに懸命になっているようなものであります。治療を不毛にする人たちであります。
ちなみに私は適当なところでこの議論に負けるのであります。私がそこで負けても大した痛手はないのでありますが、クライアントの場合、そこで負けることはその人の存在基盤を揺るがす体験になるかもしれないからであります。
間接的で受動的な形での反抗というのは、これも比較的穏やかなものから激しいものまであるのですが、必ずしも直接的な反抗よりましであるとも言えないのであります。
この種の反抗としては、例えば、遅刻するとか、予約をすっぽかすとか、そういった形のものがよく見られるように思います。
さらに極端になると、臨床家が価値を置いている部分に対しての反抗を示すのであります。例えば、症状を治癒することに価値を置いている臨床家の場合、その価値に反抗するような形を取るわけであります。つまり、治らないという結末に、あるいはより悪化したという方向にその人たちは向かってしまうわけであります。
こうした反抗的な行動は、臨床家からは反抗的と見えるのですが、彼らには反抗しているという意識はないことも多いのです。彼らは自分の行為に対しては意識しているものでありますが、その行為の動機に関しては無意識であることもよく見られることであります。
ところで、話の順序がおかしくなったように思うのですが、なぜ権威に対する態度というものが分かるのかということを述べておきましょう。
権威に対しての態度は、その人のエピソードに繰り返し現れることが多いのであります。親とか教師、あるいは立場的に上の人に対して、良好な人間関係を形成していなかったり、そういう人たちと何かともめてきたりなどといったエピソードが語られることが多いのであります。
さらに、そうしたエピソードを検討していくと、その人なりのパターンがあるということが見えてくるのであります。そこで、どうもこの人は権威のある人に対して嫌悪しているようであるとか、嫉妬しているようであるとか、あるいは最初は従順で後で反抗するパターンを繰り返しているようだといったことが窺われるわけであります。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)
高槻カウンセリングセンター便り68通目~悪化する人たち(8)
さて、権威に対する態度について簡潔にまとめておいましょう。
どの人も子供時代を経験しているので、権威に対するなんらかの態度を形成しているものであります。どの人にとっても、最初の権威者は親(または親代わり)であります。どの人も親子関係を経験しているが故に、どの人も権威に対する何らかの態度を形成しているわけであります。
臨床家は権威を付与されることが多いものです。だから、その人は権威に対して身に着けた態度を臨床家に対しても見せるわけであります。精神分析でいう「転移」の一部はそういうものであります。
ここで問題になるのは、権威に対して否定的な態度を形成してきた人たちであります。その否定的な態度をカウンセラーや治療者に対してもとってしまうわけであります。
否定的な態度として、嫌悪、嫉妬、服従という三つを取り上げてきた次第でありますが、端的に言えば、この人たちは臨床家と良好な関係を築くことに困難を覚えることがよく見られるのであります。
そういう人たちは臨床家と会いたがらない、治療を受けたがらないという傾向を示すかもしれません。仮に治療やカウンセリングを受けても不毛な活動に従事することも多いと私は思います。これも端的に言えば、彼らは治療の場で治療以外のことをするのであります。つまり治療が成立しないのであります。
また、こういう人が治療やカウンセリングを受けた場合、臨床家と会うたびに陰性感情が掻き立てられてしまうという事態も生じるのであります。その場合、カウンセリングは不愉快な経験をする場になってしまい、この人はそこで望ましいことや好ましいことを経験しないのであります。
そして、こういう人たちにとっては治療が「成功」するということは「敗北」を意味してしまうのであります。権威者の望み通りになることは、彼らには敗北と感じられるのであります。
なかなか信じてもらえないかもしれませんが、治療者の失敗を誇らかに語る人もあるのであります。本当は自分の治療の失敗なのに、治療者の失敗を彼らは喜ぶところがあるのであります。自分の人生を棄損してまで、言い換えれば、そこまでの犠牲を払ってまで権威者に「失敗」させたいと望むような人もあるのであります。
治療やカウンセリングはしばしば闘争のような場になります。でも、治療が成立しないので、彼らは治療者とは会っているけれど、実際には治療の入り口にも立っていないのであります。そうするうちにもその人の問題は大きくなっていき、症状も進行するのであります。病や問題は進行していくものでありますが、彼らはその進行を放置してしまうのであります。
従って、表面的には「治療」を受けているけれど、実際には悪化を放置してしまっているようなことを、こういう人たちはしてしまっているのであります。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)
高槻カウンセリングセンター便り69通目~悪化する人たち(9)
専門家とか治療者とかいった人には権威が付与されてしまうものであり、それは避けられないことであると私は考えています。
カウンセラーも然りであり、クライアントはカウンセラーになんらかの権威を感じ取ってしまうものであると思います。
権威に対して、例えば尊敬するとか信頼できるとかいった肯定的な態度を取ることのできる人もあれば、すでに述べてきたような嫌悪とか嫉妬などといった否定的な態度を取ってしまう人もあるわけであります。
私が思うに、「相性が合わない」という形で表現されているものの多く(すべてではないけれど)は権威に対する反応であるのです。権威に対して何らかの反応を起こしているのだけれど、当人にはそれが分からず、そのために「相性が合わない」といった形でしか言い表せないのではないかと考えています。
また、それと類似のものでありますが、生理的嫌悪感であるとか、なんとなく好きになれないとかいった表現も(やはりそのすべてがというわけではありませんが)、権威に対しての反応を含んでいるのかもしれないと私は考えています。
つまり、相手の権威が明確に感じられている人もあれば、あまり明確ではないという人もいるように私は思うわけであります。後者の場合は少し漠然とした表現をされることが多いように私は考えている次第であります。
もう一つ付け加えておくと、私たちは誰もが権威に対して自由ではないと私は考えています。何らかの権威を感じ取る傾向があり、反応してしまう傾向があると私は思うのです。それはどの人も子供時代を経験しているからであります。親とか教師とか、多くの権威の中で生きてきた経験があるからであります。その中でどの人も権威に対する態度を形成しているものであります。権威に無関心というのも一つの態度なのであります。
ただし、権威に対して、非常に敏感な人もあれば、鈍感な人あるいはさほど敏感でもない人はいるかもしれないと思います。鋭敏に感じとり、速やかに影響されてしまうという人もあれば、あとから感じられるようになってきて、緩やかに影響されてしまうという人もあることでしょう。そうした個人差があるものであります。
さて、権威に対して否定的な態度を取ってしまうということは、権威者と会うたびに陰性感情を掻き立てられてしまうという事態が生じてしまうのであります。嫌悪感情であったり、嫉妬感情であったり、畏怖感情であったり、治療者と会うたびにそれらの感情に襲われてしまうということになるのであります。
従って、カウンセリングや治療は彼らには苦しい経験をする場になるのであります。権威に対する態度だけでそれが決定されるわけではないけれども、その一因になることもけっこうあるように私は考えています。苦しいのをガマンしてまで「治療」を受けて、いつかその感情が爆発するということも起きるように私は思う次第であります。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)
<終わりに>
このページでは高槻カウンセリングセンター便りの67通目から69通目までを再録しています。内容はすべて「悪化する人」たちに関するものであり、継続中であった「権威に対する態度」を中心に述べています。内容は具体性を欠き、いささかまとまりが欠け、自分で書いておきながら、今一つスッキリしない内容となっています。
67通目は、権威に対する態度は「反抗」を引き出すことがあり得るということを述べました。これは治療や治療者に対して実現化されることがあり、直接的な形を取るものから間接的な形をとるもの、陰性的な形を取るものまでさまざまである。
68通目も、その続きと言いますか、その延長にある内容です。私たちは子供時代を経験しているので、権威に対する態度を身に着けているものであります。それがカウンセリングの場でも持ち込まれることになるのです。
69通目は、権威に対して、そこまで否定的ではないけれど、さほど肯定的でもないと評価できそうな例を取り上げています。相性が合わないとか、生理的嫌悪感があるとか、そういう言葉で処理されていることのうちにも権威に対する態度が含まれていると思うのです。
(2023年7月)
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)