<自己対話編―15> 平成24年6月17日
<対話>
C:実際は6月18日になっているけれど、前日の日付で行う。今、夜中の1時。睡魔は襲ってきているけれど、心の中ではもっと活動したいという気持ちになっている。恐らく、今夜は徹夜するだろう。最近、物凄くエネルギーに溢れている感じがしている。今日、仕事を終えた後、喫茶店に入って、明日からの一週間の予定を組んだ。やらなければならないこと、やりたいこと、やっておきたいこと、すべてリストに書き上げた。どこまでできるか分からないけれど、やるべき作業を常に用意しておかないと、このエネルギーが浪費されそうで。(1)
T:今はとても活動的になっている。それはなぜだと思う。(2)
C:人によっては躁的だと言うかもしれない。でも、僕は内面が動いているからだという感じがしている。意識と無意識と、両方が動いている感じがしている。感受性も高まっているように思われる。何気ないことでも気が付いたり、注意が行き届いたり、あるいはいろんな発想が湧いて来たりしている。(3)
T:そういう状態にあるということはあなたにとってはどういうことになるのでしょう。(4)
C:望ましい状態の一つだと思っている。でも、この感覚は新しいものではない。かつて覚えがある感覚なんだ。昔の僕はこんな感じだったのではなかったかと、思う。(5)
T:昔というのは、いつ頃のこと?(6)
C:高校生くらいによく経験したな。兄を追い抜くという一つのことに集中していた時代だ。あの当時、目標は間違っていたかもしれないけれど、僕の状態はとても望ましいものだったのではないかって、今では思う。それを毎日維持していたんだな。朝起きて、陸上部の朝練習に出る。それから授業だ。夕方には再び陸上部の練習だ。練習は5時半頃に終わっていた。それから帰宅する。6時くらいになる。夕食を摂り、その後の7時までが唯一の自由時間だった。僕は音楽を聴くことにしていた。7時から勉強する。そして10時くらいには寝る。こういう生活を毎日送っていた。友達たちは練習が終わると、寄り道して遊んだりしていたけれど、僕はそういうことをしなくなった。初めの頃は付き合いでしていたけれど、二年生になると、そういうことを一切しなくなった。毎日、練習と授業と自宅での勉強で、それを苦も無く続けていた。遊びやテレビのことなんかまったく考えていなかった。(7)
T:そこまで頑張れた時代があったのですね。(8)
C:僕の通っていた高校は、当時あまりガラが良くなくて、僕みたいな大人しい人間は必ずいじめられると思っていた。でも、いじめられない人もあるということに気づいた。それは面白いことができる人間と勉強ができる人間だ。面白い人間というのは、要するにいじめっ子たちの太鼓持ちになるようなものだ。僕には性格的にもそれはできない。だから勉強の方で何とかしようと思った。それもただ勉強ができるというだけではダメなのだ。テストでカンニングさせてやらないといけないんだ。僕は喜んでカンニングさせてやったね。彼らがそのために僕よりもいい点数を取ったとしても、僕はまったく気にならなかった。それどころか、お前にはいつもテストで助けてもらっているからって言って、いろいろしてくれたりもした。彼らは意外と義理がたいんだ。他のクラスの連中に絡まれそうになっていると助けてくれたりとかもあったし、酒やタバコも彼らから教えられたよ。要らないと言っているのに、無理矢理裏ビデオを貸してくれたりとか。中学校と違って、高校では留年があるから、勉強は嫌だけれど、テストでは何とかして乗り切らないといけないからって、彼らは必死だったな。カンニングの方法は簡単。まず問題用紙が渡され、テスト開始の号令がかかる。僕は最初の10分で全問解かなければならなかった。終わると、僕は机に肘をついて考えているふりをして、後ろの席の奴に答えを見せるんだ。そいつに見せるだけでいいんだ。後はそいつから四方八方に僕の答案が広がっていくんだ。だから僕の答えがどこまで広がったのか、僕自身にも分からないっていう状態なんだ。何にしろ、僕はともかく10分程度で答案できるように勉強しておく必要があったのだ。(9)
T:それは高校生活を生き残るための策でもあったのですね。(10)
C:そうだ。もしいじめられたとしても、正直言って、先生には何もできないと思っていた。今でこそスクールカウンセラーなんてのがいるけれど、当時、仮に僕の高校にいたとしても、絶対にお世話にはならなかっただろうと思う。どういうわけか、僕は自分でどうにかしなければいけないって思っていた。(11)
T:それで辿り着いたのが勉強策だった。(12)
C:そう。それで、僕の成績は当然上がる。クラスで上位にいる。母にはこれが嬉しかったらしい。兄はエリートで、高校は進学校に進んだのだけれど、周りはもっとできる人たちばかりで、兄は常に下の方の成績だった。進学校でビリ争いしているよりも、アホな高校で上位争いしている方が、母には気持ち良かったようだ。それで、当時、僕は普通科に通っていた。普通クラスだったのだ。他に体育クラスというのがあったな。それと進学クラスだ。進学クラスは二つに分かれていて、特進クラスと準特進クラスとがあった。特進クラスは三年間入れ替わりがないクラスだった。準特進は多少入れ替えがあった。そこから普通クラスに落ちてくる人もあれば、普通クラスから上がって行く人もいる。三年生の時、僕は普通クラスから準特進クラスへと移った。昇進したわけだ。でも、僕は嬉しくなかったね。そのクラスがとても怖い所のように思えた。周りはみんな勉強できるだろうし、それに大半の生徒は一年生の時から同じ顔ぶれで、その中に僕が入って行くというのは、どうしても嫌な気持ちだった。普通クラスでは上位だったのに、準特進クラスでは最下位になるんじゃないだろうかと思って、冷や冷やものだった。(13)
T:ちょうどお兄さんが体験したようなことを自分も体験してしまうのではないかということでもあるのですね。(14)
C:そういうことになる。でも、蓋を開けて見れば、準特進クラスでも僕は充分通用したんだ。自慢話のように聞こえるかもしれないけれど、賞も貰ったことがある。その賞は未だに残してある。ちょっとした辞典を頂いたんだ。今でも活用しているんだ。僕はとても自分を自慢したい気持ちだった。自惚れていたのかもしれないし、自己陶酔していたのかもしれない。でも、僕は塾にも通ったことがないし、家庭教師を雇ったこともない。そういうのなしで大学に合格したんだ。その大学が高校と姉妹校だということで、幾分枠があり、推薦してもらったとは言え、学校の授業と自習とで合格したんだ。(15)
T:それはすごいですね。(16)
C:だから塾というものがどういう所なのか僕は全く知らない。家庭教師のお兄さんに来てもらうということがどういう体験なのかも知らない。そういう体験もしておいた方が良かったのかもしれない。当時としては、僕は快進撃をしていたような感じだった。生きていて、毎日が充実していたかもしれない。(17)
T:それで現在はその当時と同じような状態にある自分を体験しているのですね。(18)
C:そう、ある意味で肝が据わってきたという感じでもある。7月からキャンペーンをやろうと企画している。別にそれはコケても構わない。ただ、そういうこともしていますよということをアピールできればいいし、それでサイトを見てもらえたらいい。何かを始めたい。バイトも始めようかと思っている。これは一年間だけと決めている。なぜ一年なのかということだけれど、これは負債を減らすためのバイトなんだ。高槻で開業し始めた頃に拵えた負債があって、それらに順次ケリをつけていこうということなんだ。もし、負債が減らせれば、面接料を値下げすることもできるからなんだ。(19)
T:そうして今後のクライアントに還元したいと思っている?(20)
C:もしくは休日をもう一日増やす。これは既に決めていることなんだけれど、バイトをするようになったら、定休日をもう一日増やすことにしている。今の状況ではそれが可能なのだ。火曜日以外に金曜日を定休日にしようと思っている。金曜日に来れる人は木曜日でも来ることができるという場合がけっこうあるんだ。どうしても金曜日でなければいけないということであれば、僕の方がスケジュールを調整すればいいだけのことだ。(21)
T:そして、バイトして、自分自身にも還元できたらいいかもしれないということなのですね。(22)
C:そう、こういうことを考えている時、僕は自分が生きているという感じを体験する。自分の人生を送っているという感じを体験する。(23)
T:お兄さんの人生でもなく?(24)
C:もちろん親の人生でもない。僕は職場に貝殻を置いているんだ。数年前にお寿司屋さんで食べた時、その貝殻の色合いに惹かれて、思わず貰って帰った。それは今でも職場に置いてある。先日、Yさんと旅行した時も貝殻の詰め合わせを土産物屋さんで買って帰った。それも飾ってある。貝殻というのは、外側がどんなに汚く見えても、内側がとてもきれいなんだ。それぞれの貝殻にはそれぞれの色合いがある。それがいいなあと思っている。しかも、それは貝が死ななければ人目に触れることがないものなんだ。貝殻に住人がいる間は、貝殻の内側は見えないんだ。貝が死んで初めて、僕たちはその色合いを見ることができるんだ。そこが儚いなあと感じる。ひょっとしたら、というか、当然のことなのだけれど、貝は自分が生きている間にどれだけ美しい物を内に抱えているかということを知ることもなく死んでいくのだろうなと思う。(25)
T:内側に美しいものや自分のカラーを抱えているのに、それに気づくことなく死んで、死んでからそれを見てもらうことができるというところに共鳴できるのですね。(26)
C:貝のようになりたいと思う。内側をきれいにしたいのだ。他の人たちは外側をきれいにすることに躍起になっているけれど、外側は汚くてもいい、中身がきれいだったら本望だ。生きている間に、それが認められなくても構わない。どの貝もそうなのだ。僕は一つの貝よりも劣る存在だ。(27)
T:貝のような生き方には到底及ばないと自分で感じているのですね。(28)
C:内側がそれほどきれいな人間だとは自分でも思えない。それに生きている間にそれが認められたいなどと考えている。とんでもないエゴだと思うよ。僕は長生きしたいとは思わないけれど、せめて50歳までは生きたいと思っている。後10年生きられたらそれでいいと思える時があるんだ。小さくても一つ花を咲かせたいと密かに願っている。それが死に花になってもいいじゃないかと。僕のちょっとした野望みたいなものかもしれないけれど、僕はまだくたばるには早すぎる。まだ、生きなければならないと思う。僕のことを嫌う人や恨んでいる人もいるだろうけれど、僕がどれだけ嫌われても恨まれても、僕はまだくたばってしまうわけにはいかないのだ。(29)
T:あなたは何かを成し遂げたいと思っている。(30)
C:今まで何かを成し遂げたという感じがしないのだ。高校時代、大学の最初の頃、僕は確かに何かを成し遂げた。でも、成し遂げたものは僕自身から出てきたものではなかったのだ。それは兄のものだったのだ。(31)
T:それを悔いている?(32)
C:勿体ないことをしたという気持ちに襲われることはある。一時期はその感情がとても強かった。今はましだけれど。(33)
T:どんなふうにして、ましにしていったの?(34)
C:英語を勉強したのは兄の影響からだった。今は英語を勉強したいと思わない。でも、それが役に立っていると実感する場面がある。Yさんも英語を勉強している人だから、共通の話題になる。それに、学問なんて、その少なくとも3分の1は専門用語を覚えて使いこなすというところにあるんだ。フロイト心理学にはフロイトの用語がある。エスだの超自我だの、カセクシスだのリビドーだのだ。ユングにはユングの用語がある。元型とか影とかアニマとか。どの学問にも専門用語がある。社会学ならアノミーだとか、サンクションだとかあるし、物理学にしろ数学にしろ言葉を覚えるんだ。パソコンにだって専門用語がある。みんな普通に「マウスをダブルクリックしてアプリケーションをインストールして」といったことを言っているわけだ。これらはどれも、アップルはリンゴで、キャットはネコでと覚える作業と変わる所がないんだ。時には一人一人の個人に専門用語がある場合だってあるんだ。言葉を覚えるのが僕は割と早いようなんだけど、それは英語の勉強のおかげだったと思っている。だから、苦しいことを克服するというのは、僕の体験からしてこのように言えるんだ。「あの時代、あの体験があったばかりに」ということから「あの時代、あの体験があったからこそ」に変わっていくということなんだ。兄の生を追い続けて英語の勉強をしてきたからこそ、それが今は役に立っている。陸上部で走っていたからこそ、山歩きでもそれが活きている。(35)
T:あなたはそうして過去に自分が体験してしまったことを受け入れようとしているのですね。(36)
C:受け入れるのではなくて、自分のものにしていくということなんだ。否認したりするのが一番よくないことだと思っている。内側に収めていくんだ。貝が自分のカラーを内側に作り上げていくように。(37)
T:あなたにはそれがもっとも望ましいことのように思われている。(38)
C:そうでなければ、ただ生きているだけという存在に堕してしまうように感じられるんだ。もし、僕が生まれ変わるとしたら、今度は貝を研究して生きてみたいとも思う。いや、ちょっと研究するだけなら、今からでもできる。やってみたいと思うことは、取り敢えずでもやってみるのがいいって、僕は常々思っている。もちろん、害にならない事柄であればということだけれど。(39)
T:自分の内側から湧き出る欲求に素直に従ってもいいのにということですね。(40)
C:やってみて、思っていたのと違うのであれば、止めても構わないことだ。途中で止めたからといって、それは何も恥ずかしいことではないんだ。この恥ずかしいという感情は人間の害悪だね。この恥の感情のために、どれだけ多くの人が体裁だけで生きていることやら想像もつかないくらいだ。そう言えば、兄や父がよく言ってたよ。僕は何をやっても長続きしないって。僕が子供の頃だ。三日坊主なんだ、何をしても。それがすごくダメなことで、悪いことだと僕は信じていた。でも、考えてみると、それがそんなに悪いこととも思えないな。飽きっぽいっていうのは、ある意味では執着しないということでもあるって、僕は思う。執着が、それがいい執着であればいいんだろうけれど、大抵の人、これはクライアントのことだけれど、当人にとっても望ましくないものに執着しているんだ。僕にはそう見える。(41)
T:それがあなたには困るんでしょうね。(42)
C:執着していると、それが強ければ強いほど、変わることを拒むんだ。自分を変えていこうと言っている人であっても、土壇場でその執着にしがみついたりしてしまうんだ。それを見ていると、何ともやりきれない。(43)
T:そういう苦い経験をいくつもしてきたのでしょうね。それもいずれ話してくれればと思います。では、今回は時間が来ましたので、ここまでにしましょう。(44)
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)