<解説> 

(1)若干忙しい日を送ったということから話し始める。精神的な疲労感、イライラ、焦燥感の存在を語る。その後、Yさんとの話になりここには二つの問題点がある。一つはCがYさんに対して、怒りを出さないようにしようとしているということ。これはつまり感情を出さないようにしているということである。それはなぜなのだろうか。問題点二つ目はYさんが無意識的にしている事柄がCの神経を逆なでしているということだ。どういうことがYやCの中で、あるいはその関係の中で生じているのか、ここでは語られていない。 

(2)TはCが何とか自分を制しているという部分を押さえている。Tがここに価値を見ているということである。しかしながら、(1)での問題点を明確にしておくこともできただろう。「あなたを困らせているのは、感情をYさんの前で出さないということと、Yさんの無意識的な何かにあなたが反応してしまっているという、この二つの事柄なんですね」というように。ここを押さえておくと、後の対話が方向づけられていただろうと思われる。 

(3)Tの応答を引き継いで、抑制していたことがしんどかったと語るC。彼は実は独りになりたかった自分があったのだという気づきを得ている。「僕は自分勝手だったかもしれない」というCの発言に引っ掛かる。 

(4)Tの応答はもう少し言い換える必要がある。「Yさんと会っていながらも、本当は独りになりたいと気づいて、自分勝手なことをYさんに対してしているなあと感じられるのですね」というように。この応答は、自分勝手に振る舞った対象を明確化している。(3)で引っ掛かると述べたのは、Cが誰に対して自分勝手であったかを語っていないという点にある。対象をぼやかしているのである。なぜ、それをぼかす必要があるのだろうか。文脈から判断すると、それはYさんに対して自分勝手だったように感じているということだろう。もちろん、Yさんを通して、Yさん以外の人が対象となっている可能性もある。従って、「誰に対して自分勝手だと思うの」と尋ねてみても良いだろう。 

(5)Cは少し自身の核心に触れている。彼は自分の中に何か救われる必要があるものを抱えているということがまず窺われる。それをYさんを通して実現しようとしたわけだ。しかし、実際には、彼は独りになって鎮める方を望んでいたのだと気づいたと語る。つまり、彼はYさんを自分のために利用しようとしたことに対して罪悪感を抱いているということになる。そこが彼をして自分勝手だと思わせているわけである。しかしながら、彼は自分がYさんを道具のように利用しようとしていたという事柄に対して目を背ける。彼は話題を変えている。夢の話に持ち込んでいる。 

(6)Tは夢を聴こうとしている。Cの抵抗にTが応じている。もちろん、ここで夢の話に移ってもいいだろう。一方で、TはCが目を背けた事柄を把握しておく必要があり、後でそれを取り上げる準備ができていなければならない。 

(7)夢の内容。200番台という数字が付与された女性、父が批評して心を入れ替えると誓った場面、シャワー室で長蛇の列ができているという場面という、三つの場面からなる夢だったという。 

(8)その夢に対してのCの考えなり印象なりを尋ねている。 

(9)200番台という数字は、その女性の成長のレベルを表しているということであるらしい。頭の2という数字がそれを表すということだそうだ。Cが述べている通り、何段階評価の2なのかは不明である。「2」までは成長しているということが分かっているが、全体としてはどこまであるのかが見えないということだろうか。そして、Cの連想がこれに続く。200番台という数字から、Yさんとの旅行で宿泊した部屋の番号を連想している。番号のつけ方が似ているということだ。部屋番号の200番台は、最初の2が二人部屋を表しているということだ。現実には人数を表す「2」が、夢では成長のレベルとなっていることになる。この転換にどのようなことが読み取れそうであるか。Yさんに関する連想と結びついているので、その関係がCには「2」レベルしか達成されていないということなのかもしれない。この「2」がCにはどのように感じられているかを問うてみたいところである。高いのだろうか低いのだろうか。恐らくレベル「2」は低い方に属するのではないかと思う。そして、そういうことがあった後、夢では大勢の人の前でCが父親に批評されているという、いささか懲罰めいた場面が続く。Cを批評するこの存在のために、この女性の成熟度はレベル2となっているのかもしれない。この父親はCの超自我でもあるのだろう。つまり、Cをして「僕は自分勝手だった」と言わしめた部分である。彼はこの懲罰を引き受ける。つまり、罰せられる自分を生きようとする。シャワー室の場面がそれだ。これはちゃんとした浴室ではないようだ。しかも、大勢の人が待っているという緊張感と羞恥感情を煽る展開が続く。彼は大勢の面前で罰せられ、辱められる存在になっているわけだ。これが、その時、Cの体験している世界だったのかもしれない。ところが、Cは自分が罰せられている、罰を受けるに値する人間だという部分には触れない。集合的云々というところで、そこが曖昧にされてしまっている。もちろん、集合的な部分が流れ込んできたというCの解釈が的外れとも思わない。これを語った時のCには本当にそのように感じられていたかもしれないからだ。 

(10)ここでもTはCの抵抗に加担してしまっている。集合的云々というのは抵抗であると仮定すると、Tがここに話を焦点づけるのは、Cの抵抗を促していることになる。むしろ、「あなたは夢の中で罰を受けたように思われるのではありませんか」と尋ねたいところである。 

(11)Cのこういう所がいいのだが、彼はどこかで自分の抵抗感を感じ取っていたのかもしれず、彼はそこに目を背けないようにしようとしている。もう一度、この夢を批判的に見直している。先ほどの疑問がC自身から語られている。彼はまず200番台という数字に、Yさんとの関係やYさんを見る時の彼の感情を取り上げている。そして、「2」という数字は低いものだと解釈している。父の懲罰、それに従うC、そういうCを急き立てる人々の流れを追っている。 

(12)TはCが追った流れを要約して返している。 

(13)Cはさらに自分が迫害されるという恐怖感、彼が子供時代に抱えていた恐怖感をも連想させると語る。新たな要因というか、新たな連想を持ち出したわけである。 

(14)Tは新たに持ち込まれた連想に対して、十分に対応できていない。そこで、Tの方から「もう少し考えてみよう」と提案している。この提案は、一旦ここで立ち止まって考えてみようという意味合いである。新しい連想に対して、Tがついていけてないのである。 

そして、Tが再び集合的なものへと焦点を当てている。これはCの方の抵抗だったものだ。最初にCの方がこの抵抗を示した(9)わけであるが、Cはそれを克服しようとしていたのだが11)、ここでTが(9)に戻ろうとしているわけである。 

(15)CはTの誘い掛けに応じてしまっている。Tとの共謀にのってしまっているわけだ。しかしながら、Cはさらに新たな要素をここで持ち出している。群衆ではなく、視線という連想を持ち込んでいるのである。この視線という連想は、集合的云々というよりもCの真実に触れる部分が大きいだろうと思われる。視線に晒されているのである。それも突き刺さるような視線である。そして、この視線が現れる前に、Yさんとのことを連想させる夢の部分があるわけだ。この辺りのつながりを見ていく必要があるだろう。 

(16)Tの応答は、視線に晒された時のCの感情と挙動を表現している。一言で言えば、視線に対してCは無抵抗なのだ。 

(17)Cの述べることは、もし自分が視線に晒されたら、速やかにその場を離れなければならないということであり、そうすることが正しいことであり、適応するとはそういうことだと感じられているようである。 

(18)Tのあまり上手くない応答である。しかし、正しい部分もある。Cは集合的な部分から夢を捉えようとしている。それは彼に抵抗感を惹起する事柄がそこにあるからだ。むしろ、Yさんとの関係、あるいは夢の中のこの女性から見て行かなければならなかったのではないかと思う。 

(19)これはCの弁解である。(18)でTが方向づけを明確に述べなかったので、このような事態になったのだろう。Tは別の方向からこの夢を見直してみてはどうだろうかと持ちかける方が良かったのだ。Yさんのことを中心に据えて解釈し直してみてはどうだろうと持ちかけて良かったのだ。 

(20)話は堂々巡りの様相を帯びてくる。集合的な部分は現実の群衆であり、それは視線を表し、そういう視線はCに脅威を与えるという、最前まで語られていたことが繰り返されている。 

(21)これも先ほどから語られていることの繰り返しである。群衆の視線に対して抗うことも自己主張することもできず、そそくさと引き上げるという内容の繰り返しである。 

(22)これも繰り返しである。その場から離れた方が安全だと感じられるということをTが押さえている。(18)でのTの応答がこの流れを作ってしまっているのだ。 

(23)Cの話であるが、これも先ほどから語られていることから離れていない。何か気づきのようなものが得られた感じがするかもしれないが、先ほどからの繰り返しである。つまり、(18)以降、生産的な対話がなされていないということであり、流れが停滞しているわけである。 

(24)下手なやり方であるが、この流れを変えようと、Tが取ってつけたように質問する。無理矢理にでも突破口を開こうとしたかのように見える。 

(25)Tの質問に答える。少しでもこの堂々巡りから抜け出ようとCの方も懸命になっているかのような印象を受ける。 

(26)非常に拙いやり方であるが、ここでようやくTはYさんを持ち出している。そもそも今回の対話編はYさんとのことから始まっているのであり、それこそ現在のCの心を占めている事柄であるはずなのだ。ようやく原点に回帰したかのような感じである。 

(27)Cも積極的に話を戻そうとする。双方、もしくは片方に抵抗感がある場合、その対話場面は面接している双方に相当居心地の悪いものとして体験されることが多い。そこで、それを打破しようという動きがどちらかから起こされる。(24)において、Tがそれをやろうとしているわけである。そして、TもCも双方が、この居心地の悪い場面から抜け出そうと団結しているように思われる。 

(28)Tの応答はCの在り方を示唆するものである。不機嫌という言葉を使っているが、これは確かに間違いではないであろう。「みんなの機嫌を損ねるくらいなら、その場を立ち去った方がいいって思うんですね。それであなた自身が辛い思いをしても、その方が安全だと感じるのですね」としっかり応答したいところである。 

 

中絶 

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー 

 

 

 

PAGE TOP