<解説> 

(1)Cのトイレの夢から始まる。何か十分に出せていないものを感じるとCは言う。この夢は示唆的である。Cは出すべきものを出せていないということである。それも自分の中にあるものだ。出せていないのだけれど、出すべきものを抱えているという体験はしているようである。 

(2)Tの応答である。かなり直接的な問い方であるが、これは相手がCだから通用するのである。 

(3)十分出せていないのは感情であるとCが答えている。これは恐らく正しい解釈だろう。Cは書くことで感情を表出することの困難を体験している。 

(4)Tの応答。(3)のCの発言を補う形のものである。より探究的に応答しようとすれば、「どのような感情をもっと出すべきだって思われるのでしょうか」と尋ねることもできる。 

(5)ここで感情表出が困難であることの一つの要因が語られる。それはCと聴き手であるTとが同一人物によるということだ。相手がいた方がいいというのが、彼の希望である。そして、相手が別に存在する方が、感情を表出しやすい、あるいは表出する価値があると感じているのではないだろうか。自分とは異なった他者をCは求めているわけであり、これは自己の確立の一つの証明と考えられる。 

(6)Tの応答。これは(4)と同種の応答である。よりCに沿おうとすれば、「あなたはあなた以外の人に、あなたの感情を表現できることができれば、どれだけいいかって、本当にそう思うのですね」などと答えることもできるだろう。TはCの願望ではなく、Cの困難の方に焦点を当てることになっている。 

(7)Cの体験している困難は、感情に目を向けるのではなく、書く方に意識が向いてしまうということのようである。感情にまで意識が届かないということだ。それをこの対話編のやり方のためだと捉えている。しかしながら、こういうやり方でなくても、Cが感情を表現できるのかどうかという疑いは残る。 

(8)TはCの訴える要因をそのまま受け入れている。Cの抵抗かもしれないのだが、Tは抵抗とみなさず、あくまでもCに沿おうとしている。そして、「違和感」ではなく、「しっくり来ない感じ」と言い換えて、同種の質問をしている。あくまでもCが体験している困難を明確化しようという動きを見る思いがする。 

(9)Cが体験している困難が語られる。この困難は言い換えると、彼が感情を感じる時、あるいは感情が込み上げてきていい場面で、何かそれをブロックするようなものが彼自身の中にあるということのようだ。彼はその妨害するものを自覚しているようである。その妨害物のために、彼は不全感を残しているということだ。Cは感情を表現することが禁じられているようであるが、それはCが感情体験をしていないという意味ではない。 

(10)Cの困難を言い換える対応である。別に流れを遮るわけでもなく、無難な応答ともいえるが、悪いものではない。個人的には、Cの言う「不全感」をもう少し取り上げいと思う。例えば「不全感が残って、どういう気分になるのでしょうか」といった対応である。この「不全感」を通して、Cが望んでいることがどのようなものであるか、それによってどのようなことが達成されそうに思うのかを取り上げることができるだろう。 

(11)Cの話が広がる。この対話編で体験している「不全感」を取り上げたいところだが、Cは普段の人間関係で体験している「不全感」にまで話を広げている。どちらも共通の体験であるかもしれないが、とにかく「やり遂げた感じがしない」という点が問題であるようだ。 

(12)Cの話の広がりにTもつられている。TはCの流れを遮らないような対応をここまで重ねている。むしろ、Cの流れを促進するような感じである。 

(13)Cは実際の面接場面でクライアントとの間で体験する不全感を例として挙げている。ここでのCの発言は注意深く読む必要があると思う。クライアントはそれなりにCに感謝することもあるのだが、この感謝をそのまま受け入れるということが難しいのかもしれない。つまり、Cに不満があっても、クライアントが感謝してくれているのであれば、少なくともクライアントに対してはそれなりにいい仕事を提供できたはずなのである。Cはそれが受け入れがたいのかもしれない。理由は分からないが、どこか自己否定している感じが読み取れるのである。 

(14)TはCの完全主義傾向を感じとり、そこに焦点を当ててしまっている。Cが完全に仕事をしようと考えている可能性はあるとしても、それが完全主義から来ているかどうかは実はよく分からないのである。少しTが先走りしてしまっているのだ。それよりも、「クライアントは感謝してくれるのに、あなたは自分がそれに値するだけのことをしたのか、それに値するだけの人間であるのか、そこが本当に分からなくて、疑問を感じてしまうようですね」と、Cがどこかで自分を価値下げしているかもしれないという可能性に焦点を当てる方が望ましかったと思う。 

(15)しかし、Cはもう一つの新たな可能性を述べることになっている。終えた面接を振り返り続けて、彼はその面接を終えることに抵抗しているのかもしれないという可能性である。従って、一つの面接を終えるということは、Cにとってはどのような体験であるのかということを知りたいところである。 

(16)Tは「やり直しが効かない」ということを述べているが、これはTの一方的な解釈である。「やり直しが効かない」というのは、いくつかある可能性の一つでしかない。Cはもっと、その面接の余韻に浸っていたいのかもしれないし、クライアントとの別れをそうして引き延ばしている可能性だってあるのだ。従って「やり直しが効かないというのは、あなたが体験している辛さの一つなんですね」と、あまり限定しない応答が望ましかったと思われる。 

(17)Cが避けたいのは、後悔してしまうことだということが、一つ明確になる。後悔を残さないように万全を期そうとするから、完全主義的になり、不全感を残すのだという理屈である。 

(18)後悔というのも一つの感情であるから、Tはそこを取り上げてもよい。いや、取り上げた方が良かったというべきだろうか。Cはどんなことを後悔するのだろうか、後悔してCはどうなるのだろうか、そういう面を取り上げたいところである。Cはそこに触れられないようである。Tはそこに共謀的に関わっている。 

(19)ここでは自己卑下と洞察とが混在している。後悔を残さないように完全にしようとすれば、何もできなくなるというのが一つの洞察である。これはとても筋の通る洞察である。自己卑下は、彼が自分の書いたものなんて人はそんなに真剣に読むはずがないという部分である。あたかも自分の書いたものには価値がないといわんばかりである。 

(20)Tの応答は、「それだけの価値がないのだから、もっと手抜きしてもいい」という方向に話を向けてしまっている。これもまたCと共謀的な関わりをしていることになる。むしろ、「そこまで入念にチェックしてまで書いているのだから、真剣に読んで欲しいって思うのではないですか」とか、「頑張って書いたものだから、価値を認めてほしいって、本当はそう思うのではありませんか」と、Cが内面で体験している願望を取り上げる方がいいのではないかと思われる。もし、これが直接的すぎるようであれば、「なんだか自分の書くものにはそれだけの価値がないんだって言い方ですね」と、Cが実は価値下げしているという点にまず触れることもできるだろう。後の(22)の応答でTはこれに触れかけている。 

(21)Cの不安を語っている。誰にも読まれることのない原稿を書いているのではないかということだ。もし、Cが単に自己満足で書いているのであれば、このことが彼に不安をもたらすことはないだろう。だから、やはりどこかで彼は読んで欲しいという気持ちを抱いていると推測できるのだ。 

(22)前述のように、Tはここに至って、ようやくCの価値下げを取り上げることになる。そして、それはCの願望の方にも目を向けることになる。 

(23)「本当はそう思いたい」と、Cは自分の正直な願望に触れ始めている。しかし、触れ始めた途端に、彼は自分の願望を否定する動きを見せる。数字としてはアクセスがあるが、それでも彼は人は読んでいないと受け止めているわけである。このアクセス数をそのまま信用していないということであるが、それ以上に彼のサイトに読者があるということが信じられないようであり、他者不信の表明なのかもしれない。 

(24)Tの応答。方向としては間違っているとは思えない。しかし、Tが尋ねるのは、Cがそのように考える根拠を問うているのであるが、これでは理由を問うているように聞こえる。Cが理由を問うているのだなと受け止めれば、続くCの応答は知的なものになるはずである。だから、ここではTは「そう思う根拠が何かあるのですね」と正確に伝える必要があった。個人的には「あなたは自分の書いたものは価値がなくて、多くの人は読まずに無視するだろうって、そんな気がしているのですね」と反映したいところである。「そんな気がしている」と言うことで、Cの感情に沿うと同時に、それが必ずしも事実ではないかもしれないという可能性を示すことになるからだ。 

(25)案の定、CはTが理由を尋ねたのだと捉えている。幾分、C自身から離れて、知的な解釈が語られることになっている。 

以下中絶 

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

 

 

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