<テーマ176>I氏の事例(1) 

 

(176―1)I氏との最初の接触 

(176―2)I氏の別居生活まで 

(176―3)別居状況 

(176―4)妻と義母による「更生」 

(176―5)妻と義母の暴走 

 

(176―1)I氏との最初の接触 

 本項よりDV「加害者」としてカウンセリングに訪れたI氏の事例に入ることにします。 

 I氏はまず、予約を取る際に、事前にFAXを送りたいと申し出ました。個人的にはこういうFAXはあまり賛成しないのです。私は面接で話していただければいいのだけど、そうしたいのであれば構いませんよとI氏には伝えました。 

 そして、長文のFAXが届きます。一応、目を通させてもらいました。 

 簡単な自己紹介の後、I氏は自分はDVの「加害者」だと主張しています。いくつか書籍を読んだり、セミナー参加を経験して、自分がまさしくDVの「加害者」だと認めるようになったと、そのいきさつが記されています。 

 私のサイトをご覧いただいている方は薄々感づいておられることと思いますが、私は相当なへそまがり者で、DV「加害者」が自分は「加害者」だと自認しているところを見ると、直感的に何か「怪しい」と勘ぐってしまうのです。 

 DV「加害者」は、大抵の場合、自分が「加害者」であることを認めたがらないものです。もし、それを認めていたら「被害者」との関係がもっと違ってくるはずなのです。I氏は自分から「加害者」だと主張し、それでいて妻とは別居生活を続けている、つまり関係が以前と変わっていないということなのです。それは何かがおかしいと私には感じられたのです。 

 H氏の事例を述べた際に、私は「加害者」という言葉は人格的な要因を含まないこと、それはある場面における両者の役割を示す言葉に過ぎないということを述べました。そのように述べるのは、I氏のような「加害者」が出てきてしまうからです。 

 I氏はすでに「加害者」という刻印を自らのものにしていました。「加害者」という判断はまず「被害者」によって付与されているものです。そして多くの「加害者」にとってDVという行為は認めても、「加害者」というアイデンティティはなかなか受け入れがたいものです。人格的な部分に踏み込まれている感じがするので、行為を認める以上にそれを受け入れることは困難であるはずなのです。 

 

(176―2)I氏の別居生活まで 

 I氏との初回面接が実施されました。 

 I氏は30代後半で、精力的で精悍な感じのする男性でした。一目見ただけで、かなり厳しく自分を律する人であるという印象が伝わってきました。 

 I氏は非常に優秀な人でした。学業においてもそうでしたし、仕事においてもそうでした。彼は某有名企業でそれなりの地位にある人でした。経歴も社会的な地位も、けっこう立派なのでした。 

 そのような人がDV「加害者」としてカウンセリングに来られるわけですので、人というものは分からないものだと思います。 

 初回の面接では、主にこれまでのI氏のDVの経緯が話されました。時間順に述べていくことにします。 

 別居のきっかけはこういうものでした。その日、I氏は妻と子供との旅行の帰りでした。その帰途でのことです。高速道路が事故かなんかで渋滞していたそうです。ノロノロとしか進まない車の列に、ハンドルを握るI氏は思わず「なにやってんねん!」などと独り毒づいたそうです。ドライバーとしてイライラする場面であることは確かだと思います。 

 後部座席に座る妻と子供はI氏の独言を聞かされてしまいます。狭い車内だから当然耳に入ってしまうわけです。ちなみに、前部には運転席にI氏が一人で、後部座席に妻と子供が座っているという配置はなかなか象徴的だと思います。後ほど取り上げることにしますが、I氏の家族関係の在り方が窺われるように思いました。 

 さて、どうにかこうにか自宅にたどり着いたのですが、その途端、妻がI氏に「出て行って!」と要求したのです。I氏は訳がわかりませんでした。詳しく聴くと、妻が車内でのI氏の独言に非常に不愉快な思いをしたし、そういう言葉を子供に聞かせてしまうことも良くないことだということでした。 

 I氏は、当然、弁解します。あれは妻や子供に向かって言ったのではなく、交通渋滞に巻き込まれてイライラしてつい呟いてしまったのだと言います。それでも妻は「不快だった」と言って、反抗します。 

 妻の感情状態が思わしくないので、I氏はここでひとまず自分が引き下がった方が得策だと考え、彼はその日、取るものも取り敢えず家を出て、ホテルに泊まったのでした。 

 翌日、彼は妻に電話します。妻の怒りは治まっていなかったようでした。妻は夫のそういう言動がいつも不快だったと言います。前日だけのことではない、結婚してからの10年以上、いつもそれを経験してきたと訴えます。だから帰ってきてほしくないというのです。 

 こうして、I氏は自宅に戻ることもできず、しばらくホテル暮らしを続けることになってしまったのでした。 

 

(176―3)別居状況 

 I氏という人は、それほど暴力の問題を抱えていたとは私には思えませんでした。確かに、自分の価値観、自分が正しいと考えていることを周囲に押し付けてしまう傾向は強かったかもしれません。でも、そのおかげで彼は仕事では成功しているわけです。状況を判断し、適切な決断をしていくことができたからこそ、彼は仕事で上手くやれているはずなのです。ただ、それを家庭でされると、それを押し付けられてしまっているように体験している妻にとっては耐えがたいことだったようです。妻はそれもまたDVだと言っているのでした。 

 I氏はとにかくいつまでもホテル暮らしをするわけにはいかないから、何とかして妻と話し合おうと試みました。妻は取り合おうともしなかったのですが、最終的に妻は次の条件をI氏に提出して折り合いをつけたのです。 

 確かにいつまでもホテル住まいを続けることはお金もかかることだし、勿体ないと妻は言います。そして、妻の実家で暮らしてほしいと彼に要求します。両親には説明しておくからと妻は言います。こうして奇妙な別居生活が始まったのでした。 

 妻はI氏名義の家に住み、I氏の自動車も使います。I氏は妻の実家にて、義理の親と生活を共にしなければならなくなっているのです。いささか不条理な話です。大抵の場合、妻の方が子供を連れて実家に戻るのですが、I氏の例ではそれが逆転しているのです。 

 私は、それは少しおかしいですねと尋ねました。I氏いわく、妻が子供を連れて実家に戻ってもいいのだけれど、妻の言い分では、子供の環境が変わってしまうから良くないということでした。 

 I氏は自分の家に帰ることもできず、妻が許可した週末以外は妻の実家で生活していました。妻は週末だけ帰宅を許可することで、慈悲を見せたつもりでいるのかもしれません。それでも、I氏は帰宅することのできない家のローンを毎月支払っているのです。I氏の車も妻が使い、ガソリン代だけは毎回I氏に請求してきます。自分の方に非があると信じているI氏はそれに従うしかなかったようでした。関係を回復するには、妻の言い分に従うしかないように、当時のI氏には思われていたようでした。 

 妻と母親は密に連絡を取り合っているようで、I氏は「まるで義母に監視されているようだ」とおっしゃられましたが、まさしくその通りだったと思います。I氏が変わったかどうか、母に監視させ、母の報告によって妻が決めようとしているわけです。主導権は今や妻が握っています。 

 I氏がカウンセリングに訪れた時、こういう理不尽な別居生活をすでに半年ほど続けていました。このカウンセリングも妻の実家から通っているということでした。 

 

(176―4)妻と義母による「更生」 

 ところで、I氏のカウンセリングはI氏自身が求めたものではありませんでした。こういう話によくあるように、「被害者」とされる妻がI氏に要請したのです。カウンセリングを受けることを今後の条件の一つとして挙げたのです。 

 さらに、私のサイトを見つけたのは、妻ではなく、妻の母親だったそうです。義母はI氏にここに行くようにと指示します。その頃にはI氏は自分がDVの「加害者」だとすっかり信じきっていました。 

 妻と義母はI氏のためにいろんな本を買ってきてくれます。DVに関するものやACに関するものなのです。そればかりか、DVに関するサイトやセミナーなんかも積極的にI氏に勧めます。妻と義母のこの積極性は特に問題であります。 

 二人にとって、I氏はDV「加害者」でなければならなかったようでした。彼はそれを受け入れていますが、それは家族、夫婦関係を取り戻したいがためでした。そのうち、いつしか彼は「加害者」の役割を自ら認めるようになっていたのでした。 

 私は正直に申し上げますが、初回の面接からI氏にひどく感情移入してしまいました。I氏はカウンセリングの目標として「妻とやり直したい」とおっしゃられたのでしたが、私も口では「それを目指して一緒にやって行きましょう」と言ったものの、どこか空々しさは隠せなかったようです。後日、I氏がそれを指摘して、そのことですごく悩んだと打ち明けられました。不必要な苦悩をI氏に与えてしまったようで、私としては悪いことをしたなと思う次第です。 

 なぜ、私がI氏の挙げる目標に素直に賛同できなかったと言いますと、妻と義母のやり方にその原因がありました。 

 妻と義母は、I氏に一方では「あなたはDVの『加害者』だ」ということを言っているわけです。他方では、「でも、あなたは悪くない。あなたをそうしたのはあなたの両親なのだ」というメッセージをI氏に送り続けていたのでした。 

 すごく巧妙なやり口だという思いがしました。一方であなたは悪いと言い、他方であなたは悪くないということを同時に伝えているのです。二重拘束と呼ばれる状況にI氏が追いやられています。こうした矛盾したメッセージを同時的に受け取ると、混乱してしまうというのが通常なのです。 

 しかし、妻と義母は、その混乱に対しての逃げ道をもちゃんと用意しているのです。悪いのはあなたの両親だという逃げ道です。こうして、妻たちは問題の埒外に身を置くことができ、同時にI氏を自分たちの方へ引き入れることができるのです。 

 ここで少し補足しておかなければなりません。まず、I氏の両親と妻の両親とは、双方がいがみ合っているという背景があります。I氏の両親は妻を快く思っていませんし、その親に対しても反感を覚えています。妻の側も同じ感情をI氏側に対して抱いていました。妻や義母がどう思っていたかは不明ですが、自分たちにとって都合のよいことは、I氏とI氏の両親との関係が切れてくれることだったのではないだろうかと、私はそう思うのです。 

 そうすると、妻や義母にとっては、このDV問題は一挙両得と言ってもいいでしょう。自分たちの望ましい状況がこうして得られそうだということになれば、それこそ積極的になり、そのために一生懸命になるでしょう。それをI氏のDV「治療」という名目でやろうとしているということになるのです。 

 

(176―5)妻と義母の暴走 

 先述のように私はI氏にひどく感情移入しすぎています。そのため、妻や義母に対しての私の見解が悪意や敵意に満ちているとこれをお読みの方は、お感じになられるかもしれません。そのような批判も私は敢えて受け入れるつもりでいますが、それでもいかがでしょうか。妻たちの言動にはある種の「行き過ぎ」な感じは受けないでしょうか。 

 確かに妻は10年以上も夫の価値観で押しつぶされていたかもしれません。でも、夫名義の家から夫を追い出し、夫所有の車も自由に使い、費用だけは夫に請求し、尚且つ、夫が実家に戻ることを許可せず、夫と夫の両親の関係まで疎遠にできる権限がこの妻にはあるでしょうか。 

 週末は自宅に足を踏み入れることがI氏には許可されていました。子供は父親が帰ってきたので喜ぶのですが、父子の接触もままならないうちに、妻が子供を連れ出したり、「パパは忙しいから」と子供に行って、家を出るようにという圧力を暗にI氏に加えたりします。週末だけと言っても、I氏が自分の家に留まることができるのは限られた時間でしかないようでした。 

 当然、I氏にとってそんな生活が楽しいはずはありません。I氏は仕事を終えると寄り道するようになりました。妻の実家で生活していても落着けないわけだから寄り道の一つもしたくなるでしょう。 

 これを見かねた妻と義母はいわゆる門限をI氏に課します。義母はI氏の寄り道を問題から避けているとみなし、不誠実だと言ってI氏を咎めたてるのです。妻もまた同じようにI氏に詰め寄ります。こうして、I氏には一つの逃げ道が塞がれたような形になってしまったのです。 

 このカウンセリングも予約がいつで何時に終わるのかということを、I氏は義母に報告するよう求められていました。そして帰宅が遅かったりすると、何をしていたのだと詰問されたりするのです。そこまでI氏は監視下に置かれていたのです。 

 ただ、妻も義母も一つだけ誤算がありました。それはI氏のカウンセラーに私を選んだことでした。私はI氏のDVを「治療」しようなどとは微塵も考えていませんでした。ましてや妻や義母のために仕事をする気もありませんでした。 

 

 カウンセリングを受けるまでのI氏の状況を中心に述べてきました。本項は長文になりましたので、続きは次項に譲りたいと思います。 

 

(文責:寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー 

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