<テーマ150> ベテランの就労(1) 

 

前項からの続き 

 

(150―4)家族のこと~父親について 

 一方、父親の方にも目を転じてみましょう。 

 Fさんの父親という人は、家庭では影が薄い人のようですが、たいへんな働き者で、会社ではけっこうな地位までのし上がったという人でした。仕事一筋というところがある父親です。 

 なぜこのような父親の息子が、不登校になり、20数年もひきこもりをすることになったのでしょう。 

 これをお読みのあなたは、よくこのような現象について耳にされることはないでしょうか。例えば、警官の息子が犯罪を犯したとか、教師の息子が非行少年になったとか、お医者さんの子供なのにしょっちゅう病気ばかりして健康に気をつけないとか、消防士の子供が放火で逮捕されたとかいうものです。慈善事業に熱心な親の子供が陰湿ないじめばかりをしているとか、精神科医の子供が精神病になったり自殺したりとかいう例も私は見聞しています。これらは、要するに、親が価値を置いている領域において、子供がその価値に反するようなことをしているという現象であります。 

 これは一つの反抗なのです。親に対する反抗であり、抗議なのです。それを間接的に、あるいは消極的な方法でもって、子供が試みていると理解することができるのです。 

 このFさんの父親は、彼の話によるとですが、仕事熱心で、若い頃から下積みを経験して、現在の地位までのし上がってきたというような人です。彼はこの父親を嫌悪しています。この父親を嫌悪している息子が、ひきこもりで、まったく就労経験がないという生き方をしているわけなのです。 

 彼は父親に対する嫌悪と反抗を示しているのですが、それは直接的な形ではなされず、就労しないという形で父の価値観に反していることになります。そして、そこには彼が直接的な形で、もしくは適切な形でその感情を昇華することができないでいること、父親に対しては無力であるか両価的である自分を体験していることが窺われるのでした。 

 事実、今回彼が行動を起こすことになった、おそらく直接のきっかけは、父親が彼に「頼むから働いてくれ」と頭を下げたことにあります。今まで、父親が彼にそのような態度を示したことはなかったようです。彼は父親に勝利したと感じたかもしれません。だから、彼の態度にはどこか「父が頭を下げたからそのようにしてやってる」というような傲慢さも私には感じられたのでした。 

 

(150―5)家族のこと~妹について 

 彼の家族を述べるに当たって、最後に彼の妹さんのことにも触れておきます。 

 4,5歳離れた妹は、彼にとっては「永遠の幼児」のような存在でした。彼は「妹は僕が守らなければいけないと信じています」と語りました。親という身近な大人よりも、幼い妹の方に彼は親近感を抱いており、この傾向は後々まで彼の中で残ることになったようでした。 

 妹さんは当時30歳くらいでした。結婚して、実家を出て、旦那さんと生活しています。妹さんの結婚式のエピソードを彼は話してくれました。 

 妹さんの夫となった男性は地方出身の人で、結婚式にはお互いの親族に配慮して双方の中間の都道府県で挙げることにしたそうです。妹さんの結婚式にはFさんも出席しました。大阪から少し離れた県で式は行われました。 

 式場へ向かう時は、彼は両親と一緒に新幹線に乗りました。式が終わると、彼は独りになりたいという気持ちになったそうで、独りで帰ると両親に伝えました。そこで彼はタクシーに乗り、大阪の実家までそのタクシーで帰宅したのでした。そして、その料金を親に支払わせたのです。彼はこのエピソードを自慢げに、「してやった」といった感じで話されました。 

 私は妹さんの結婚が許せない気持ちがしたのでしょうねと伝えましたが、彼はそれを真っ向から否定し、「妹が結婚して良かったと思っている」と述べました。私はそれ以上深入りしませんでしたが、結婚式の後の彼の言動は、彼のその言葉の正反対のことを示していることが窺えるのです。もう少し正直に申し上げれば、私には彼のその行為が、あたかも失恋した男性が自暴自棄になってやるような行為のように見えてしまうのです。 

 ともかく、妹さんは彼にとっては特殊な存在であることが分かります。おそらく家族の中で自分に近い存在であり、仲間だったのでしょう。、彼は後に「自分は小さな女の子、幼児が好きだ」と打ち明けたのですが、妹さん関するエピソードをいくつも知るようになるとそのことも理解できるのです。 

 子供時代に、彼には一心同体と思えるほど自分に近い存在の人がいたのです。いつか彼はその人を失ったのです。その存在を取り戻したいという願望が彼にはあったのだと私は思います。彼はその存在を自分の一部のように大切にしていたのだと思うのです。妹さんの結婚式で、妹さんが自分の一部ではないということ、自分の世界から去ってしまったのだという事実をあからさまに彼は突きつけられたのだと私は思います。彼が独りになりたいと感じたのは、彼が本当にこの世に独りぼっちで見捨てられたかのように体験していたからではないかと思うのです。その怒りを彼はタクシー代を親に支払わせるということで捌け口にしたように私には思われるのです。また、彼がタクシーを選んだということは、その時の彼にはひきこもる空間が必要だったのだということも窺わせるのであります。 

 いずれにしても、彼が深い喪失を体験してきたという可能性は十分に考えられることです。同胞であった妹さんと、仲の良かった友達たちを彼はすでに失っているのでした。 

 

(150―6)見立て 

 一人のベテランひきこもりの就労過程を述べる予定で、一人の男性クライアントを取り上げていますが、本項では不登校ということと、主に彼の家族に関して述べてきました。 

 ここまでの見立てをまとめると次のようになります。 

 クライアントは人間に裏表があるということに耐えられない。裏表のない世界をアニメ作品の中に見出している。 

 母親は言いなりになる限りにおいて、彼には味方であると感じられている。感情的なつながりは希薄であるように思われる。 

 父親とは不仲で、ひきこもりは父親に対する消極的な形の反抗という意味合いがある。 

 妹はかつての同胞であり、感情的につながっていた対象であったが、すでに喪失してしまっている。その喪失に対して、妹をいつまでも幼児のままで留めるか、その代理となる対象を追求することで防衛している。 

 次項より、Fさんの就労過程に入って行くことにします。 

 

(文責:寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー 

 

 

 

 

 

 

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