<テーマ141> 「ひきこもり」の「特有感覚」(2)
(141―1)「特有感覚」と周囲の反応
(141―2)「特有感覚」は短所でもあり長所でもある
(141―3)就職活動を開始した「ベテラン」の事例
(141―4)大人社会への憧れと恐れ
(141―1)「特有感覚」と周囲の反応
「特有感覚」とは、取り敢えず私がそう名付けている現象であり、その対義語は「共有感覚」(コモン・センス)となります。
「ひきこもり」をしている人が独りでいる時は、こうした感覚は問題にはなりません。でも、彼らが人の中に出た時、社会的な場面に入った時に「特有感覚」が問題になるのです。
彼らは自分と周囲の人たちの差異を体験してしまうのです。その体験は「自分だけが浮いている」とか「場違いな感じ」「ズレている」「輪の外にいる感じ」というように表現されるのです。あるいは、周囲の人からそのように評されてから、それに気づいたという場合も少なくないようです。
このような体験は、彼らをして疎外感や自分が異邦人であるかのような感じに導いてしまうこともあるようです。
彼らは、そこで、自分が他の人たちとは何か違うとか、隔たっているといった感情に襲われるようであり、それはとても大きな衝撃であり、深く傷つく体験になってしまうのです。
私は彼らの「特有感覚」と呼んでいますが、これを理解してもらうのはなかなか難しいと感じています。どうも上手く言葉にできない事柄であるように感じています。
彼らの「特有感覚」が発揮された時、周囲の人がどのような反応を示しているかを見るのも、このことを理解する一助になるかもしれません。次に私が実際に「ひきこもり」のクライアントたちから感じたことや、彼らから話されたことを述べていきます。
まず、周囲の人にとって、それは驚愕なのです。「なんでそんなことをするの」とか、「なんで今それをやるのかな」とか、「どうしてそんなことが言えるのか」とか、周囲の人はそういう反応を示すことが多いようです。
彼らが間違っているとは指摘されないのですが、「どういう感覚をしているんだ」といった反応を返されることが多いように思います。中には「なんでそんなことも分からないんだ」というように驚愕されたと報告したクライアントもおられました。
彼らの「特有感覚」が発揮されると、周囲の人はまず理解に苦しむという体験をされるのではないかと私は思います。どうしてそういうことを言ったりやったりするのか分からないという体験なのです。そこで、恐らくですが、周囲の人たちも彼らとの間に感覚的なズレを感じてしまうようなのです。
彼らと面接している私も時には「どこからそういう言動が出てくるのかな」と首をかしげたくなる思いを体験することがあるのです。それがどういう意味合いを持ち、どういう背景から発せられた言動であるかということは置いておくとして、とにかく、それは彼らに特有なもののように思えて、どこかズレとか差異のようなものを最初に感じてしまい、すぐには彼らがそれをする理由が把握できないという体験を私はするのです。
(141―2)「特有感覚」は短所でもあり長所でもある
「ひきこもり」歴のある男性クライアントが仕事に就きました。ある時、休憩時間でしょうか、仲間たちが輪になって談笑しています。そこに彼が入って、その中の同僚の一人に仇名を考えたと言います。皆は興味をもって、それがどんな仇名なのかを彼に尋ねます。彼がその人に付けた仇名は、いささかその人に失礼なものなのです。彼の話では、誰もその人のことをそんなふうに呼んだりはしないそうです。彼は無邪気にこのエピソードを私に話してくれたのですが、もしかしたらその場が凍りついたかもしれないなと私は思ったのです。
ある意味では、これは礼儀とかマナーとかいう領域に関わっていると言えるかもしれません。でも、そういう領域だけの話でもないのです。
私が言う「特有感覚」とは、確かに輪郭が曖昧で分かりづらいかと思います。私自身、適切な表現が見当たらずに苦心してきたのです。ブランケンブルグの症例アンネの言う「自明性の喪失」はそれに近いかもしれません。周囲の人にとって自明な事柄が失われているとか、自分に備わっていないというような体験のことであります。
「世間知らず」とか「非常識」とか「礼儀知らず」と言った言葉は、一部分については該当するかもしれないのですが、でも、それだけではないのです。それにそうした言葉が含むほど否定的なニュアンスのものばかりでもありません。
彼らの「特有感覚」は、時には彼らが周囲の人と交わる際に役に立つこともあります。独特の感性とかユーモアを持っていたりするので、それが人間関係にうまく働くこともありますし、仕事の上でも独自の発想になったりする場合もあるようで、必ずしもそれが悪いというわけではないのです。その「特有感覚」は、彼らに個性というか、ちょっと人とは違った雰囲気を醸し出していたりもしており、その人の魅力にもつながるものであります。私はそのように捉えています。
次節において、一人の男性クライアントの例を提示します。特に指摘はしないつもりですが、いくつもの「ズレ」が感じられるのではないかと思います。
(注:本項は長文でありますので、二回に分けることにします。
(文責:寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)