<テーマ136>怒り・不安・自己感情(5)
(136―1)自己感情の低下は不安を惹起する
前項で予告しておいたように、ここでは不安を中心に考察することにします。
さて、ここでも不安を二つに分けてみましょう。不安もまた人間なら誰もが経験する感情であるわけで、人間が体験する自然な感情の一つとみなすことができます。そこにはやはり適切な不安と不適切な不安(神経症的な不安と言えるものです)とを分けてもいいでしょう。
不安で苦しむ人の多くは不適切な不安を体験しておられるものです。つまり、多くの人が不安を感じない場面で頻繁に不安を体験したりとか、今まで不安でなかったことが不安になり始めたとか、そういう体験なのであります。それらはやはり不適切なもの、当人にも不適切なものとして体験されていることが多いのです。
自己感情が低いとそれだけ不安を体験する機会が増えるということを述べましたが、これについて説明しておきましょう。これは何も難しいことではないので、すぐに理解していただけるのではないかと思います。
例えば、ある状況に対して「自分ならできるんじゃないか」と自己効力感を抱えている人と「自分ではダメなんじゃないか」と自己無力感を抱えている人とでは、どちらがその状況をより不安を喚起するものとして体験するでしょうか。
また、「私は良い」と信じている人(自尊感情)と、「私は良くない」と信じている人(自己否定感情)とでは、周囲の事物が違ったように体験されていることでしょう。「私は良くない」と信じている人の方が、周囲の事物に対して脅威を体験しやすいのではないでしょうか。
分かりやすい事例を挙げてみてもいいかもしれません。ある男性は自分の仕事にプライドを持っていました。ある時、上司にこっぴどく叱られて、彼のプライドが粉砕されたのです。つまり、「自分はできる」から「自分はダメだ」と自己感情が低下したわけであります。その途端、彼は不安に襲われるようになったのです。電車に乗るのが怖いとか、人と会うのが怖いとか、今まで平気でしていたことが悉く不安を喚起する対象となってしまったのでした。仕事をこなすのも、できるかどうか不安を覚えるのです。今まで普通に接することのできていた上司に対しても、目を合わせることさえ不安になり、その上司が同じ部屋にいるというだけで不安に襲われるのです。長年良好な関係を築いてきたお得意さんと会うことも不安になりました。
これをお読みになられている方も、ご自身の体験を振り返ってみられれば、何かそれに近いような体験を見出すかもしれません。その時のことをよく思い出してみて、その時の自己感情がどのようなものだったかを内省してみられると、このことがもっとよく理解できるかと思います。
私の些細な体験を述べましょう。ある人と会う約束をして、その人から、「7時にA地点で待っていて」というように私は言われたのです。私はその時間にその場所に向かいます。私は確かに「7時にA地点で」と聴いたのを確信しています。つまり、自己信頼感があるのです。だから何の疑惑も不安もなく、そこに赴くのです。ところがそこで待っていてもその人が来ないのです。約束していた時間になっている。最初は「少し遅れるのかな」くらいなものでした。つまり、まだ自己信頼しているわけであります。自分の耳にしたところのものがまだ正しいと思えているのです。ところがいくら待ってもその人が現れないのです。だんだん不安になってくるのです。そして、不安になり始めて、私はこんなことを考えているのです。「確かに7時にA地点と聞いたはずなんだけれど、もしかしたら間違っていただろうか」と。つまり、自己確信が揺らぎ始めているのです。やがて、これが「7時にA地点だと聞いたけれど、それは僕の間違いで、B地点だったかもしれない」などと思い始めると、完璧な自己不信であります。自己確信が揺らぎ始めてから、自己不信に陥ると、不安はさらに募っていきます。これがさらに「ああ、A地点だと僕が勝手に思い込んでしまっていたんじゃないだろうか」になると、それは自己否定であるということですが、もう不安を通り越して絶望的な気持ちになってくるのです。そして、「いや、待て待て、あの人がここに来る途中に何か起きたのかもしれない、交通事故に遭って病院に運ばれているかもしれない」などと考えると、これはその人に対しての攻撃感情を表明していることになるわけで、不安を怒りで処理していることを表すわけです。そして一時間遅れて相手が現れた時は、本当にホッとするのです。時間を間違えたのは相手の方だと分かると、それまでの不安が自分でもバカらしいものだと思えてきたりするのでした。
自己感情が低下するほど、その状況がとても不安なものとして体験されてしまうということの例だったのですが、ご理解していただけたでしょうか。
(136―2)第三段階に入っていたら
さて、事例の女性クライアントのことにも少し触れておきましょう。彼女とのカウンセリングが中断することなく継続していれば、第三の段階にいつか突入していたでしょう。この第三の段階というのは、彼女の低い自己感情に気づくというものです。
現実にはその段階まで至っていないので、あくまで私が憶測する範囲で述べることになります。
彼女のカウンセリングは、怒りから始まり、その怒りによって処理されている不安に至り、その不安を生み出している低い自己感情へと到達するという展開になるはずだったわけで、これは時間継起を逆に辿っているということであります。つまり、現実には、最初に彼女の自己感情の低下が生じていただろうということです。
彼女の自己感情は低かっただろうかと問われると、私はまず間違いなく低いだろうと答えます。それは実際に会っていると感じられるという部分もありますし、彼女の成育史からも窺われる部分があるのです。
彼女の育った家庭環境を思い出してみましょう。なぜかとても貧しかったということが分かっています。貧困ということは自己感情を低下させる一つの要因となり得るでしょう。劣位にあると感じられているものを抱えていると、それだけで自己感情は低くなる場合もあるのです。どんなものであれ、劣等意識というものはその人の自己感情に影響を及ぼすものであります。
そのことよりも、彼女の両親です。両親はとても不安の強い人たちだったかもしれないと私は仮定しました。不安の強い人たちの下で「自分は大丈夫だ」と自己信頼していくことは難しかったでしょう。「大丈夫だよ」と言ってくれるのは祖父母だけでしたが、その人たちは彼女のもとを去って行ったわけであります。
お隣さんやお向かいさんに対しての感情にも、彼女の自己感情の低い部分が見えてしまうのでしょう。彼女は「彼らのようになるべき」だったのですが、それもまた自己否定の一つの表れとも考えることができるのです。そして、「今の自分の境遇に耐えられない、受け入れられない」という感情もまた自己否定だと言えるのです。
彼女から低い自己感情はたくさん窺えるのですが、すべて挙げることは控えましょう。煩雑になるだけです。彼女があのような男性を配偶者に選んだことも、必死になって親元を離れたことも、その親と絶縁状態にあることも、自分が「攻撃」されていると体験されていることも、そのどれにも低い自己感情の存在を認めることができるのです。
彼女がどこかで「どうしてわたしはこんなに周りのことに振り回され続けるのだろう」とか「どうしてわたしはこんなに怯えて生きなければならないのだろう」とか、あるいは「どうしてわたしは周囲に対して堂々とできないのだろう」とか、そういう疑問を感じたとすれば、それは自己感情を見るのに適した時期となっていたでしょう。その根底では無力な自分、あるいは低い自尊感情しか持ちえないという自分をきっと体験しているはずだからです。
そして、「わたしはずっと周囲に対して無力なまま生きてきたのかもしれない」と発見すれば、それはたいへんな前進であります。自分が無力なままでいて、それでいろんなものにしがみつこうとしている自分に気づかれたらとても大きな変化につながったことでしょう。そういうところに気づかれたら、彼女は自分の生を変えていこうと動き始めるかもしれません。親の不安を生きるのではなく、自分自身の人生に初めて目覚めるかもしれません。
(136―3)自己感情の低下とその回復
ここで次のような疑問を抱かれる方もおられるでしょう。「では、どうすれば自己感情が高まるのか」という疑問です。
この疑問が生じるのはもっともなことであります。しかし、この問い自体が既に正しいものではないのです。問いを立てるとすれば、「なぜ自己感情が低くなるのか」というものでないといけないのです。と言うのは、もともと私たちの自己感情は高かったからであります。
機会があれば乳児を観察されてみるといいでしょう。自己感情の低い乳児というのを私は見たことがないのです。何かあると彼らは泣くわけです。泣き叫ぶわけです。もし、乳児がその時のことを述懐できるとしたらこんなことを言うのではないでしょうか、「私は必要があって泣いているのだ、何が悪い」とか「泣いたら誰かが来てくれると信じている」とか「泣いて求めたらその人が助けてくれると信じている」とか「私の状態こそ緊急を要する問題であり、周囲のことは構っていられない」とか、そういうことを言うかもしれません。自己中心的に聞こえるかもしれませんが、でも、その根底には確かな高い自己感情の存在が窺われるように私には思われるのです。
納得できないと言う人もおられるかもしれませんが、それでも、「今泣いてもいいだろうか」とか「ここで泣いたら後で叱られるんじゃないか」とか、「泣いて迷惑かけるくらいならこの不快な状態を我慢しよう」とか、少なくともそんなふうに感じている乳児にお目にかかることはなさそうであります。
簡潔に述べると、私たちは生まれた時、高い自己感情を有していたはずなのであります。それがその後の経験の中で、低くなっていくと考えるのが妥当なのではないかということなのです。だから初めから低いわけではないのです。かつて高かったから、それを取り戻すことも可能なのだと私は考えています。だから初めからその人になかったものを達成しようという意味ではないのです。
かつてあった自己感情が少し復活すればいいということなのです。「少し」と言うのは、乳児のようにならなくてもいいという意味であります。かつて自分にあったものが取り戻されればいい、それも今現在の生に耐えうる範囲で、将来に臨める範囲で復活すればいいということなのであります。ここを掘り下げると、話が煩雑になるので、先に進むことにします。
私たちの自己感情はもともとは高かったのです。それがその後の社会化の過程で制限されるのです。しかし、これは低められるという意味ではありません。この区別はつけておきたいと思います。自己感情の一部は制限される必要があるのです。でも、低められるわけではないという区別です。それが低くなるのは、その後の経験によるものであり、親とか周囲の人間関係において生じてしまうものなのです。私はそのような理解をしております。子供が無力感に襲われたり、傷つけられたり、あるいは価値を認められなかったりとか、そういう体験は自己感情を低下させるのです。子供の自我はまだ弱い部分もあり、影響を受けやすい部分もあるので、こういう低下は非常によく生じるものだと私は思います。だから、どうしても自己感情が低下してしまうという体験を私たちはしているのだと思います。
ここでもう一つ区別をつけておきたいと思います。それは自己感情が低下することと、低下した自己感情が回復することの区別です。この二つの過程は区別しておきたいのです。なぜなら、自己感情が低下することが問題となるのではなく、低下した自己感情が回復されることなく放置されてしまうことの方に問題の本質があるからです。クライアントが訴えることの多くは、自分が傷つけられたということよりも、傷つけられて何もしてくれなかったという部分に焦点があるのです。傷つけられたりとか、あるいは自己感情が低下してしまう体験をしたりとか、そういうことは人間にはどうしても生じるものであり、他者との関係で生きている限り避けられない現象であると私は思います。そして、人間はそういう体験に対して耐える力を有していると私は仮定します。耐えられないのは、その後に生じることの方なのだと思うのです。回復する過程に関わってもらえないことなのです。
ものすごく簡潔に述べることになりますが、子供が自分の自己感情が低下した時などにどういうことをするでしょうか。自己感情が低まるということは、自分を頼りにできなくなり、無力感に襲われるという状態です。こういう状態に置かれると、それだけ多くのことが不安になってくるのです。そういう時、小さな子供は何をするでしょうか。それは甘えるということをするのです。甘えが満たされて、自己感情が回復しているのです。もちろん、これはあまりに簡潔に図式化し過ぎた考え方であるということを再度強調しておきます。
事例の女性は、子供時代に甘えることのできる祖父母を持っていたということでもあるのです。祖父母に甘えることによって、彼女は自分の自己感情を回復していたのです。
彼女の両親は必ずしもひどい親だったとは言えないのです。ただ、彼ら自身が低い自己感情を有していたのではないかとは思うのです。両親は自己感情が低いうえに、それを回復するような対象を有していなかったのでしょう。そこにこの両親の不幸があると私には思われるのです。そして親の不幸はそのまま彼女の不幸になってしまうのでした。
状況は違うけれども、心的には彼女と両親とはそれほど違った生き方をしていなかったかもしれません。彼女もまた不安に翻弄される生活を送るようになっていたのです。この不安は彼女の自己感情を低め、低い自己感情がさらに不安を生むという悪循環を形成していたと思います。両親はその悪循環を逃れるために、必死になって仕事に没頭したのではないかと推測します。彼女の方は、それを逃れるために、「敵」を作ったのです。しかし、本当に必要だったのは、両者とも、自己感情の回復に関与してくれるような対象だったのではないかと、私は考えるのです。
だから、彼女がいかに両親の生き方を模倣してしまっているかに気づくことは、私の見解では、絶対に必要なことだったのではないかと思うのであります。
(136―4)終わりに
さて、こういう事例に関しては、いろんなことを学ぶことができるので、追っていくと次々にテーマが浮かんでくるのですが、これ以上、深く追求することは控えることにしましょう。既に多くのことを取り上げ、随分長い文章になっています。この辺りで、本テーマを終了することにします。でも、最後に再度強調しておきたいところのものを述べて終わりたいと思います。
この事例は、確かにありのままのものを述べたものではありません。一人の女性クライアントのケースに、他の複数の人のエピソードを交え、時には省略し、時には強調したりして、アレンジされているものであります。しかし、このような状況を生きている人が現実におられたわけであり、読まれる方には真摯に学ばれることを切望する次第であります。
決して自分には関係のないことだと思わないで、私が彼女だったらどうなっていただろうと、真剣に学ばれることを私は望んでいます。興味本位で、あるいは覗き見趣味で、こういう事例を読もうと思われる方には、私は読んで欲しくないと思うのです。
彼女の問題は、その他の事例も同様ですが、クライアントの抱える問題は、私たちすべてに関わる問題でもあると私は思うのです。決して他人事ではないのです。事例のクライアントと同じようなものを私もあなたも抱えているはずなのです。
だから、この事例の女性は私たちの人生に無関係の他者ではありえないのです。彼女は私であり、あなたでもあるわけなのです。私たちも同じようなものを抱えているかもしれません。違いは、彼女は真正面からその苦悩を体験されたのに比べて、私たちは適当に折り合いをつけているというだけのことなのかもしれません。どちらが健康であるとか、どちらが素晴らしいとか、そういうことは言えない問題であります。彼女の方が私たちよりも健全だと言えるかもしれません。
よく見落とされるのですが、健康な身体は病気に罹るのです。健康な部分に病気が現れるのです。病気の部分にさらに病気が生じても、それはせいぜい「副症状」とみなされるのがオチであります。私たちは健康であるからこそ病気になるのであり、病気が現れるのはそこが健康であったということの証でもあると、私は捉えています。
もし「心を病む」人が私の目の前に現れたとすれば、私にまず理解できるのは、その人の心が「健康」だったということです。「健康」だから、そこに「病」が生じているのです。これは不適切な言い方かもしれませんが、「心が不健康」な人は、まず自分の「心の病」に無自覚であります。「健康」だから、そこに「病」が生じると、それに気づくわけであります。私はそのように考えております。事例の女性を読んで、「ひどい心の病だな」とあなたが感じたとしてもそれはあなたの自由でありますが、そのことは取りも直さず、彼女の心がいかに「健康」であったかを示すものなのであります。そして、彼女の心が「健康」であるからこそ、彼女の事例から私たちは多くを学ぶことができるのです。
(文責:寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)