<テーマ133>怒り不安自己感情(2) 

 

(133―1)事例2回目以降~問題の隠れた本質が見え始める 

 前項に引き続き、私たちはこの激しい怒りを内に抱えた女性の事例を追っていくことにしましょう。 

 初回面接が終わりました。この時点ではあまり彼女自身のことに関してはよく分からない部分が多くありました。何かしら激しい怒りを抱えていて、それが近所の二軒の家に集中されているということ、それは半ば妄想と言われても仕方がないほど、彼女の一方的な認知によってなされている攻撃を彼女が体験していること、この攻撃に対して反撃してしまったこと、そして、それは彼女の敗北につながったこと、こういうことが理解されてきます。 

 2回目の面接も、基本的には初回の延長でした。彼女は席に着くや、待ちきれないかのように、あの二軒への罵詈雑言を始めました。 

 話すことの内容は前回と大差がありませんでした。相変わらずお隣とお向かいには監視され、スパイされ、小さな嫌がらせをされるということ、いつどういうことをされて、いつスパイされたかということを逐一述べ、それに対して、怒りの言葉を放出するというものであります。 

ただ、次の二つの点は前回とは大きく異なることでした。 

 一つは、あなた自身のことをもう少し教えてほしいと私が頼んで、わずかですが、彼女がそれに応じてくれたことです。面接終了後、少しだけ時間を取って、いくつか質問していったのです。彼女は意外と落ち着いた態度で答えられました。 

 二つ目は、前回ここで話して、この一週間、相も変わらない日常の生活において、わずかでも落ち着いた時間を持つことができたと報告されたことです。 

 怒りの感情ではちきれんばかりになっているというのは前回と変わらないことなのですが、こういうところに、少しずつ、彼女の落ち着きが戻りつつあるのが感じられるのです。 

 3回目も同じような展開でありました。一時間、彼女に好きなだけ語らせて、そのあと5分程度、私が少し質問するという展開です。この質問の時間で、「お隣とお向かいの件以外にも、何かあなたの心を占めているような心配はございませんか」と尋ねた時、彼女は夫のことをまず挙げました。 

 帰宅した夫が「たった今仕事を辞めてきた」と言うのではないかと毎日気が気でないと彼女は言います。私は少し夫婦のことについて話を聞きます。そして「夫婦生活は幸せですか」ということを尋ねたところ、彼女は「幸せも何も、あの人たち(お隣とお向かい)のせいで台無しになっている」ということを述べました。彼女は微妙に私の質問をはぐらかしたのであります。 

 彼女の夫婦生活は、少なくとも彼女から見れば、不本意なものだったのだろうと窺われました。彼女が結婚に至るまでの契機は前項で述べたとおりであります。夫は裕福な家に生まれています。いざ困ったことがあったら、実家に頼ればいいというような考えを持っている方かもしれません。だから、お金に関しては、この夫婦は、一応の後ろ盾みたいな対象を有しているわけであります。ただ、夫の実家から援助を受けることを、彼女自身はあまり快く思えないようでもありました。 

 ところで、彼女は私の質問をはぐらかしたのですが、この夫婦は本当に幸せな夫婦生活を送っているのだろうか、この疑問は後々まで私の心に引っ掛かり続けるのでした。恐らく、愛情や信頼関係というものとまったく無縁な夫婦なのかもしれないと私は思うようになったのです。ご近所さんのことよりも、こちらの方に彼女の抱える怒りの本質的な部分があるのだろうと思われるのです。 

 でも、その後も彼女はご近所への事柄に拘り続け、彼女と夫のことにはなかなか目を向けることができませんでした。 

 

(133―2)事例4回目以降~祖父母の意義 

 4回目以降も、基本的な部分は変わらずです。彼女は入室するや、お隣さんとお向かいさんを激しく罵り始め、それで面接のほとんどの時間が費やされるのです。それも仕方のないことではありました。彼女にとってはその怒りが彼女自身なわけでありますので、そこにそれ以外のものを持ち込もうとしても、恐らく、彼女は抵抗するでしょうし、無理なことを要請していると彼女には感じられるかもしれません。 

 面接では、常に、ここでは自由に言ってもいいこと、どれだけ汚い言葉を用いようともここでは許されていること、どんなことを言ってもそのことで責任は追及されないこと、だから言いっ放しで構わないし、ここで話したことはあなたと私だけのことにしてあることなどを彼女に伝えるようにしていました。 

 これを読んでるあなたから見れば、そんなことでいいのかと思われるかもしれません。少し私の手の内を見せる必要もあるように思います。そうでないと、この作業に何の意味があるのかが見えてこないと思うのです。 

 私が彼女に伝えていることは、面接室では自由に語っていいこと、そしてその語ったことに対して無責任になっても構わないということです。つまり、小さな子供が語るのとそっくり同じことをしてもらっているわけであります。こうして彼女の心に依存心が芽生えればいいのです。依存心というのは適切な言葉ではないかもしれませんが、人に頼ることの安全感を体験するということなのです。この体験が後々信頼関係の形成に一役買ってくれるのです。信頼感が形成されれば、この面接に展開が生まれるはずなのです。そして、現実にそれは生じることになるのでした。それは追々見えてくることでしょう。 

 さて、彼女の現状を見ても、彼女にはどこにも頼る人がいないということが見えてきます。彼女は本当は頼りにできていないのです。そればかりか、夫の心配を彼女がしなければならないという状況であります。その上、子供のことも心配しなければならないのです。そこにご近所からの「攻撃」にまで晒されなくてはならなくなっているのです。彼女両親とは絶縁状態が続いています。こういう状態に置かれているので、彼女が他者に頼って安全であると体験できることは非常に意味のあることだということが理解できるかと思います。 

 6回目の時、いつものように面接を終えて、私の質問時間の時、少しだけ彼女の子供時代を訊いてみました。彼女はあまり詳しくは語りません。両親のことはほんの輪郭だけしか語りませんでした。この時、彼女の祖父母のことを私は知りました。 

 私は彼女の祖父母に非常に興味を覚えたのです。そこで祖父母のことを尋ねてみました。彼女はこのように答えます。「こんな気分の時にお祖父ちゃん、お祖母ちゃんのことは話したくない」と。私はきっぱりと拒絶されてしまったのです。 

 後悔しても遅いのですが、私はどうしてもこの祖父母のことをしっかり聴いておくべきだったと今でも思うのです。 

 彼女の拒絶の言葉に注目してみましょう。こんな気分の時(つまり怒りを抱えている時)に、祖父母のことは取り上げたくないと言っているわけであります。つまり、この祖父母は、彼女の中では怒りの領域以外の場所に位置しているわけです。あたかも、こういう怒りにあふれている気分の時に祖父母のことを持ち出したりしたら、祖父母が汚染されてしまうという感じではなかったかと察します。 

 従って、彼女の人生がどのようなものであったかはその時点ではよく分からなかったのですが、それでも尚、この祖父母は彼女が怒りを抱える以前の幸福だった時代を象徴しているのではないかと思われるのです。明らかに、彼女の心の領域において、祖父母は特別な位置を占めているからです。それは怒りとか、あるいはその他の汚い感情と隔てられているのです。貴重な宝物として、特別に奉納されているというイメージで捉えると理解しやすいかと思います。とにかく彼女にとって祖父母は特別だったようです。少なくとも父母以上に意味のある重要な人たちだったのだと思われるのです。 

 そして、この祖父母が特別なのは、彼女が良かった時代と結びついているからであり、祖父母との関わりにおいて彼女は望ましい良い自分を体験していたのだと思うのです。だから怒りの感情と結びつかないのです。 

 私が祖父母のことをどうしても知りたいと願っていたのは次のことのためであります。この祖父母は彼女にとって、彼女の「癒し手」なのです。祖父母を蘇らせることなんてできない相談ですが、この祖父母イメージが得られれば、彼女を援助する道が開けるように思うのです。実際、彼女の人生の不幸は、この祖父母がいなくなった時点から始まっていると捉えて間違いではないと思われるからです。 

 結局、私は、彼女にとって望ましい「癒し手」イメージ、彼女が望む「癒し手」イメージを得ることなく、手探りでそのようなイメージと関わることになっていったのです。 

 

次項へ続く 

 

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー 

 

 

 

 

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