<テーマ132>怒り不安自己感情(1) 

 

(132-1)適切な怒りと不適切な怒り 

(132―2)事例~主訴 

(132-3)事例~クライアントの生活歴 

(132-4)事例~感情と同一化しているとその感情を内省できない 

 

 

(132―1)適切な怒りと不適切な怒り 

 怒りは人間が体験する基本的な感情の一つであり、それは周囲との関係において、自分の欲求が挫折しそうになるときの一つの反応であると私は仮定しております。その怒りは適切に対処されることが望ましく、そうでないとそれは誰か、あるいは何物かに対しての敵意となり、ひいては延々と長引く憎悪へと発展すると考えております。 

感情は常にその表出を目指すものであり、対象を必要とするものであります。怒りの感情表出の対象を求めるということは、怒りのはけ口を求めるということであります。そして、この対象は、当の怒りをもたらした対象に限らず、その対象を広げていくということも起こるのです。特に、当人がその怒りについての理解が少なければ少ないほど、対象の幅が広がっていくと考えられるのです。 

 そうして、怒りというものには、それが適切であるものと適切でないものとが生じてしまうと私は見做しております。 

適切というのは、その怒りをもたらした状況とその怒りの感情とが釣り合いが取れているという意味であり、その怒りに対して、第三者でもそれが了解できるということであります。 

 ここで言う不適切な怒りというのは、その場にそぐわず、過剰であったり、延々と長引いたりするものであります。時には怒りを向ける必要のない相手に対して、ひたすら攻撃を続けるというような事態を生じさせるものであります。第三者にも、なぜその人がそのことで相手を延々と憎悪し続けるのかということが理解しにくかったりするものであります。 

 怒りが不適切なものであるほど、それは怒りをもたらした状況以上に、その人の人格的な部分の関与が大きいと考えられるのです。 

 まずは、事例を挙げて、その事例を通じて、こうした不適切と言えるような怒りについての考察をしていきたいと思います。 

 

(132―2)事例~主訴 

 ある時、一人の女性クライアントが訪れました。30代前半の女性でした。彼女は非常に不機嫌な顔をして入室されました。面接への記入さえ非常に不満な表情でされました。何とか心の中のものを表に出さないように必死になって自制されているように私には見えました。 

 どういうことでお越しになられたのか、私が尋ねてみますと、彼女は隣近所におかしな人間たちがいるということを訴えます。おかしな人間というのはどういうことかを私はさらに尋ねてみます。彼女が言うには、常に彼女の家を監視し、スパイしているというのです。それだけでなく、その人たちが繰り返し嫌がらせをしてくると言うのです。 

 監視するというのは、彼らが彼女の家をじろじろ見て、彼女と目線が会うということなのです。それが彼女にはたいへん不愉快なものとして体験されているのでした。嫌がらせというのは、例えば回覧板を速やかに回してくれなかったり、挨拶をしてもきちんと挨拶し返してくれなかったりといったことなのです。 

 彼女の意見では、それは近所の彼らの方が異常だからであり、そういう異常な人たちに囲まれて、とても生活が苦しいとおっしゃるのです。 

 そして、このカウンセリングの前日、彼女はついに近所の人と正面対決をしたのです。現実に彼らの所に赴いて、ありのままの感情をぶちまけたそうです。ところが、近所の人は彼女の言っていることが何のことやらわからなかったようです。そして、彼女はまともに相手をしない彼らに腹を立てて、私のようなカウンセラーを探して来られたのです。 

 私は尋ねます。彼らが異常だということを証明したいのでしょうか、それともご自身の体験されている感情をどうにかされたいのでしょうかと。彼女は両方あると答えました。そこで私はもっと詳しく事情を説明するよう彼女に求めました。 

 誤解のないように申し上げておきたいのですが、怒りに身を震わせているというような状態にある人の話というのは、時に支離滅裂な傾向を帯びることがあります。彼女にもいささかそういう傾向がありました。だから、以下に記述するのは、彼女から窺った話を整理し、再構成したものであります。 

 彼女は近所の人たちとおっしゃるのですが、これはよくよく聴いてみると、彼女の家の左隣の人(これを「お隣さん」と呼ぼう)と、真正面の家の人(こちらは「お向かいさん」と呼びましょう)が問題になっているということが明らかになったのでした。 

 この二軒のお家のしていることが、彼女の神経に触るのです。隣からテレビの音が聞こえてきただけで彼女は居ても立ってもいられないような怒りに打ち震え、お向かいさんが玄関先の掃除をしている姿を見るだけでたまらなく腹立たしい思いをするのでした。そして、この二軒の人たちが彼女の生活を覗き見したり、偵察したりしていると言うわけです。 

 近所の人がジロジロ覗き見したり、スパイしたり、偵察しに来たりしているという訴えを聴くと、注察妄想だとか、被害妄想という診断を与えたくなるものです。確かに彼女の妄想であるかもしれませんが、仮にそれが妄想だとしても、その二軒のお家との間で現実に何かがあるはずで、彼女の中において何かが起きているはずなのです。 

 それに、近所の人たちと言っても、彼女が意識するのはこの二軒だけなのです。左のお隣さんとお向かいさんの二軒だけなのです。言い換えれば、対象が非常に限定されているわけです。この点に、まず彼女の訴えの特殊性、独自性を私は感じ取ったのでした。 

 そこで、私は興味を持って、右隣の人たちは何もしてこないのかと尋ねたのです。また、お向かいさんの両隣の家はどうなのかをも尋ねました。彼女の話では、右隣にはお年寄りの夫婦が住んでいるだけで、この人たちは脅威ではないようでした。お向かいさんの隣は、最近空き家になったそうです。それまで住んでいた人たちはその家を借りていただけなのです。その反対側の隣は、なぜかあまり彼女には脅威とならなかったのです。これは理由ははっきりとはわかりません。しかし、彼女によると、「その人たちは眼中にない」ということなのです。距離の問題か、そこに住んでいる人たちの問題かは、今の所、分かりませんが、ともかくお向かいさんの両隣は彼女の中で除外されているのです。 

 彼女の訴えが妄想である可能性はあるとしても、彼女自身の現実認識はそれなりにしっかりしているようでもありました。この二軒とそれ以外のお家との区別がしっかりついているところに、私はそのことを感じたのです。 

 そこで、この二軒の人たちの何が彼女をそこまで立腹させるのかということが疑問として浮かんできます。他の家にはないものがその二軒にはあるか、あるいは逆に、他の家にはあるものがその二軒にはないのか、とにかくその二軒だけ何か他のご近所さんと特別な違いがあるはずだということが理解できるのです。ところが、これは尋ねてみても、彼女自身も分からないと言うのです。「あの人たちを見たら、すごくイライラする」とおっしゃるのみなのです。 

 それはどういう種類の怒りなのだろうかと尋ねてみました。そんなこと分かりませんと彼女は答えます。許せないような怒りなのだろうか、それとも破壊してしまいたいような怒りなのだろうか、私は疑問をいくつか提示してみました。「どちらかと言えば、許せないというような気分になる」というのが彼女の答えでした。 

 彼女は専業主婦で、子供が生まれると同時に勤めていた会社を退職しました。その子も小学生になっています。彼女の一日はとても嫌な気分で始まるそうです。まず、起きて早々、あの二軒のことが気になるのです。それで朝はできるだけ彼らに会わないように心掛けるそうです。お隣はもう起きただろうかとか、お向かいが出てくる前に新聞を入れないといけないとか、そんなことを朝から考え続けるのです。だから、実際は彼女の方がこの二軒をとても意識していて、云わば、彼女の方が彼らをスパイしながら生活しているようなものなのです。 

 夫が起床して、子供を起こして、朝のごくわずかな時間だけ、彼女はあの二軒を意識しないで過ごせるようでした。夫を送り出し、子供が登校すると、途端に彼女はあの二軒に悩まされ始めるのです。その間、それはそれはとても激しい怒りを抱えながら家事をこなすそうです。 

 午後と言うか、夕方になると子供が帰宅します。子供の習い事に彼女はついて行きます。子供を送っていくという名目なのですが、実際には、その辺りで彼女の限界が来るようです。子供を送ると、買い物なんかをして帰るのです。少しでも帰宅を遅らせたいのかもしれません。 

日中は家を空けるわけにはいかないと、彼女は真剣に考えていました。留守の間に、彼らに何をされるか分からないと言うのです。勝手に入り込まれたり、何か盗まれたり、あるいは盗聴器やなんかを仕掛けられたりするのではないかと恐れていたようです。 

 子供が帰宅してから、少しの間だけ留守の状態になるわけですが、それは彼女には恐ろしくないのだろうか、私は尋ねてみました。もう少しすると夫が帰ってくるので、それは大丈夫なのだそうです。 

 習い事に子供を送って行って、買い物なんかをしてから帰ると、大抵、夫が帰っているということなのです。そして、夫が帰宅してから後の時間は比較的平穏に過ごせることもあるということでした。彼女はこういう生活をすでに何年間も送ってこられていたのです。 

 

次項へ続く 

 

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

 

 

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