<テーマ92>「抑うつ前駆症状」~他者への接近と回避
「抑うつ前駆症状」として述べてきましたが、これが最後の症候であります。今回は「他者への接近と回避」ということであります。いつものようにウェイナーの記述から始めることにします。
このことに関するウェイナーの記述は若干長いものですが、そのまま引用してみましょう。
『伝統的なうつ病の症状を現さない青年における潜在性うつ病の最後の手掛かりは、人間への過剰な接近あるいは逃避である。他者への接近はすでに述べた孤独への恐れにおいてよくみられ、その中で、多くのうつ病の若者によって感じられた圧倒的な孤立の感覚は恒常的な友好関係への要求をつくり出す。たとえば基底にある愛されていない、求められていないという感情を避けようとする緊急の必要性は、青年を無差別な性的行動に走らせる。そしてその中で、関心と情愛を示す他の人間との親密な身体的接触は、いかなる理由でも大きな満足を与えるものである。
『うつ病の青年は見捨てられ無価値であるという感情のために、人に接近するよりしばしば人を避けようとする。抑うつ代理症としての逃避は、普通、人間関係への関心を抑制する伝統的な抑うつ的無気力と関連せず、また精神分裂病的ひきこもりによる制限された社会的能力とも関連していない。むしろうつ病の青年は、彼が人から見はなされはねつけられていると感じる思いを回避するために、一次的に人々を避けているのである。
『(略。関心を他者から引き離して、それを動物に向けること。動物を愛の対象として選び、世話されている動物との同一化を通して、満たされない依存欲求を代わりに満たすこと、が述べられている)』
他者への接近と回避は成人においてもしばしば確認されることであります。ただ青年のように性的行動に走ることはそれほど多くないかもしれません。
また、一人の人に接近と回避が同時に見られるということも起こります。ある男性は、「うつ病」と診断される以前に、妻に甘えることが多くなって、妻から煙たがられたという話をしました。その一方で、賑やかな場所や人が集まるような行事を避けるようになっていました。彼は、以前は大勢の人の中にいることが何一つ苦痛ではなかったのに、ある時期から、そういう場面が耐えられなくなってきたのだと語りました。彼の場合、人間関係が苦痛だったとかいうことではなくて、自分以外の人たちがみんな自分よりも有能で優れているというように感じるようになったのでした。従って、人の集まる場所に出向くということは、彼の視点に立てば、自分が一番最低の人間であるということを思い知らされてしまう体験となってしまっていたのでした。人が集まる場所において、彼は自分が価値のない、ダメな人間だと感じてしまうのでありました。その感じは、彼を孤立へと追い込むことになっていたのであります。しかし、彼はこの孤立感には耐えられず、その分妻に対しては接触行動が増えたのではないかと思います。この妻は、彼にとっては唯一彼に苦痛を与えない存在だったのですが、残念なことに、彼女は彼の「うつ病」がなかなか理解できなかったのでありました。そのために、彼は長い間、孤立感と低い自己価値観を抱えながら、誰にもすがりつくこともできず、苦悩されていたようでありました。彼の「うつ病」がかなり悪化して、妻は初めて夫が「病気」だったのだと知ったのでありました。
「うつ病」と診断されたある男性クライアントは、自分が「うつ病」だということがどうしても腑に落ちないと感じていました。確かに彼には抑うつ的な気分に支配されていましたし、そこだけ着目してみれば、「うつ病」という診断は頷けるのであります。それでも彼は自分が「うつ病」であるとは完全には信じられないのでした。
私は「なぜそう思うのですか」と尋ねてみました。彼は「うつ病だったら、性欲が抑制されるものでしょう。でも私はそんなことなくて、今までよりも性欲が高まっている」から「うつ病」ではないのだという説明をされました。
なるほど、「うつ病」の臨床像を紐解いてみますと、確かにその症候の一つとして「性欲減退」が挙げられています。私は「診断項目に挙げられていることがすべて生じるわけでもないのですよ」と押さえておいて、その上で「性欲が高まるというのはどんな感じだったのですか」と尋ねてみました。
彼は独身だったので、やたらと自慰をしたり、女性が相手をしてくれるような飲み屋を梯子したりといったことをしていたと答えるのであります。「性欲というよりも、人と一緒にいたいっていう気持ちが強かったのじゃありませんか」と私が尋ねますと、彼は何か思い当たることがあったようでした。それをさらに尋ねますと、その頃、彼は会社の後輩(これは男性であります)と飲みに行った時、後輩に帰られるのが嫌で、何とかして引き留めようとしてしまったことが何度もあったと言うのであります。彼は性欲だと捉えていたのでしたが、それは純粋な性欲とは言えないもので、むしろ接近欲求が高まっていたのだということが理解できたのであります。
私の経験した範囲では、「うつ病」の先駆けとして、接近よりも回避の方がよく見られるという印象があります。「回避」という言葉が示すほど強くはなくても、他者に対して「一人になりたい」とか「放っておいてほしい」とかいう感情を抱かれることも多いようであります。つまり、積極的に「回避」しているわけではないけれども、こうした感情も一つの「回避」行動であるわけであります。
本項では一部省略しましたが、動物との同一視を通して、満たされない依存欲求を満たすということにウェイナーは触れられております。この動物への関わりということもよく確認されることであります。実際、「うつ病」と診断された人で、「ペットを飼いたい」と望まれた方もおられましたし、既にペットを飼っているという人も少なからずおられました。ある女性はどれだけひどい「うつ状態」を経験していても、ペットの世話だけは欠かしませんでした。また、「うつ状態」の真っただ中にあった男性クライアントは、「今の会社を辞めて、動物園で働きたい。動物の飼育をしたい」と呟かれたことがあります。
このような例を見ていくと、アニマル・セラピーにはそれなりの有効性があるのかもしれません。しかしながら、自分の依存欲求に基づいて動物の世話をするということであれば、それが満たされるなりして、飼い主がその状態から抜け出したりした場合には、動物への関心が薄れていくかもしれません。しばしば飼い主が最後まで面倒を見ずにペットを見捨ててしまうということが社会問題として取り上げられますが、その背景には案外「うつ病」が潜んでいるのかもしれないと私は思うのであります。
(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)