<テーマ76> 依存症と家族 

 

 私自身もアル中でしたし、他のアルコール依存の方々、ギャンブルやそのほかに依存している方々の話を聞いていると、そこには依存症者の家族の問題が浮かび上がってくるのであります。

 家族の問題と書きましたが、正確に言えば「関係の問題」と言うべきかと思います。しばしば夫婦、親子の関係の中でそういった依存症の問題が生じてくるからであります。

 

 次の例は、ある既婚女性が語ったことであります。彼女の抱えていた問題はもともとは夫とは無関係だったのですが、たまたま夫婦生活について話した時に次のようなエピソードを語られたのであります。

 彼女の夫は、最近は仕事が忙しいのか、帰ってくるのも遅く、お酒の量も増えたみたいであります。彼女は夫の飲酒量の増加を気に病んでいます。と言うのは、結婚当初、夫はほとんどお酒を飲まなかったからであります。お酒を飲むのは構わないのだけど、夫の人間が変わるのか、とても尊大で大口を叩くので、彼女は酔っぱらった夫の対してはうんざりしているのであります。暴力や暴言があるというわけではないけれど、そういう夫に対して時には恐怖感を覚えることもあると彼女は言います。今では、それを避けるために、夫よりも先に寝てしまうようにしていると彼女は言うのであります。そして彼女は、「夫にはよっぽど仕事のストレスがあるのかしら」と付け加えます。

 彼女のこのエピソードは、依存症の周囲の人がする反応で、ある種の典型的な反応を示しているように思います。

 まず、彼女の夫が以前よりも遥かに多くアルコールの力を必要としているという点を押さえておきたいと思います。この夫を依存症と断定していいのかどうかは不明な点が多いのでひとまず置いておくとしても、アルコール依存の初期であるかもしれません。とにかく、結婚当初以上に彼はアルコールに助けを求めているのではないかと予測できるのであります。

 彼女は夫のアルコール問題において、あくまで部外者の立場に立とうとしているようであります。自分とは無関係に夫がアルコールにハマっているという形で彼女はそれを話します。飲酒量の増加や人間が変わることなどについて、彼女は十分気づいています。気づいていながら、それは「仕事のストレスからそうなっているのではないか」と述べられているわけであります。それが彼女の理解している「夫の問題」であります。彼女はそういう夫を避けるようにして、夫よりも先に寝てしまうという対処を取られているのであります。

「ご主人の飲酒とあなた自身には何も関係がないかのように話されますね」と私が思っていることを指摘しても、彼女は平然として、「だって、飲むか飲まないかは夫次第ですもの」というように答えられたのであります。さらに彼女は「夫の飲酒量が増えたのは確かですけど、結婚前から多少なりとも夫はお酒をたしなむ人でしたし」とも語りました。

 彼女の言い分は一見してもっともなように聞こえます。夫は結婚前からお酒を飲む人でした。それが今でも飲んでおり、たまたまストレスが多いのか、飲酒量が増えてしまっているのだという解釈をされているのであります。彼女がそれを述べる時、そこには一貫して、それは夫の問題であって、自分には関係がないという彼女の立場を示しているように私は感じ取りました。

確かに、彼女の解釈は正しいのかもしれません。しかし、夫の飲酒量増加に自分が何か関係しているかもしれないという可能性を、彼女は考えてみることができないでいるようでした。その可能性に関しては、彼女は完全に閉ざされていたのであります。

 彼女のカウンセリングにおいて、問題になっていたのは彼女自身の抱えている事柄でありましたので、夫の問題にはそれほど触れられることはありませんでした。恐らく、彼女が自分自身の事柄に囚われ続けているために、夫は置いてきぼりを食ってきたのだろうと思います。それは、飲酒量が増加し、大口を叩くというような、夫が以前とは違った行動を通して伝えようとしていることに対して、彼女は先に寝てしまうという対処をしているということからも窺われるのであります。夫は信号を発しているのにも関わらず、夫はいつも置いてきぼりを食っているのであります。私にはそういう姿が思い浮かんでくるのですが、そういう夫の姿が彼女には思い浮かばないようであります。こうして、夫のアルコール問題は彼女によって無視されてしまっているのであります。そして、妻の無視に対して、更に反応して、夫の飲酒量は増加していったのかもしれません。夫は問題を大きくしてまで訴えているにも関わらず、妻は無視しているわけであり、妻の無視がさらに夫の問題を大きくすることにつながっていたのかもしれません。

 このことは、彼女の夫から直接話を伺ったわけではありませんので、あくまでも私の推測の域を出ないことでありますが、しばしば、依存症家庭においては、そのような関係が見られることもあるのです。

 

 このことはどういうことかを簡潔に申しますと、依存症の人に気づいてくれる人が家族の中にいないということであります。特に、感情的に気づいてくれる人がいないということであります。周囲の人は依存症者の問題行動に前々から気づいていながら、それを自分とは関係ないものとみなし、無視してしまうということが生じるのであります。無視すると言っても、悪意があってそうしてしまうわけではないのであります。ただ、それが自分とは無関係にその人に生じていることであるというように周囲の人が捉えてしまうのであります。

 

 ここまで読んでこられた方の中には、それでは依存症というのは周囲の人たちの無視や無関心によって生み出されるのかというように思われた方もいらっしゃるかもしれません。でも、決して、そういうことを私は述べているのではありません。そのようにお考えになられる方は、恐らく、ある人にある行動が生じ、その行動が促進、維持されていくことと、その行動を生み出した要因とが、あたかも一対一の関係で生じるのだと捉えてしまっておられるのだと私は察します。むしろ、詳しく見ていくと、多くの要因がある人の一つの行動に関与しているということが分かるのであります。当事者自身にもその要因があるのと同じように、周囲の人も知らず知らずの内にその要因の一つになってしまっていることも珍しいことではありません。知らず知らずの内にと述べたのは、周囲の人が意図的にそうしているのではないということを強調しておきたいからであります。従って、私は周囲の人のことを責めているわけではありませんので、そのようにお受け取りになられないことを願っております。ただ、依存症の問題において、気づかないうちに自分がそういう要因の一部を成していたかもしれないということに気づいていくことも、周囲の人には必要であると私は捉えております。

 

 少々脱線しましたが、話を元に戻しますと、依存症者とは気づいてもらえなかった人だというように私は捉えております。特に、その人の感情に気づいてもらえず、感情的な部分に関わってもらえなかった人なのであります。周囲の家族は悪意があってそういうことをしたのではなく、彼ら自身がそういうことに不得手だった場合も多いように私は思います。

 先述の女性の例で言えば、彼女に対してもっとも必要な助言は、「自分自身のことにとらわれ過ぎないで、少しは旦那さんのことにも目を向けなさい」というものであっただろうと思います。夫の飲酒は、私から見ると、そのことを如実に物語っているのでした。ただ、彼女自身は少しもその必要性を感じていないのであります。カウンセリングの期間を通じて、彼女は「自分の問題は夫とは無関係だし、夫の問題も私には関係がない」という態度を一貫していました。何度かその態度を覆してみようと試みてみましたが、彼女は頑なに自分の立場を固持したのでした。恐らく、夫の飲酒問題は深刻化していっただろうと思います。

 依存症者に対して、周囲の人は何ができるか、どういうことをするのが望ましいかということに本項では焦点を当てています。依存症に陥っている人はなかなか自分から進んで援助を求めることがありません。そのためにも周囲の人たちが彼らの「適切」な援助者になることが必要であると私は考えるのであります。「適切」と表現しましたのは、しばしば「不適切」な援助(当人たちはそれが「不適切」であるとは認識されていないのですが)をしてしまう場合があるからであります。「不適切」な援助の例は、また別の機会に述べることができればと思っておりますが、まず、その「適切」な援助の第一歩が、依存症者の内面の事柄に気づくということであります。その上で、それに関わるということであります。このことは周囲の人が感じているほど困難なことではないかもしれませんが、状況によってはそのようなことが困難であるという例も多いことでしょう。そうした点については項を改めて考えてみることにします。

 

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー

 

 

 

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