<テーマ71> クライアントの3タイプ

 

 カウンセリングに訪れるクライアントには三つのタイプがあると私は捉えております。一つは「自発的クライアント」で、もう一つは「強制的クライアント」であり、その中間として「推薦クライアント」がいると捉えております。こうした言葉は私の個人的な用語でありまして、専門的に使われる言葉ではありません。インスー・キム・バーグら、解決志向のセラピストたちは、「クライアント」と「カスタマー」を区別されていますが、これは私の用語では「自発的クライアント」と「強制的クライアント」にそれぞれ該当するものと私は捉えております。

 

 まず、この三者それぞれについて説明しておきます。

「自発的クライアント」とは、自ら必要性を感じて、自ら探して、カウンセリングを受けに来るといった人のことであります。いわば自発的な来談者であり、その人自身の動機づけに従って受けに来られるクライアントであります。

「強制的クライアント」とは周囲から半ば強制的にカウンセリングに送られるという人のことであります。そのために来談の動機が弱いかまったくないかという人が多いのです。そして、そこには、当然のことながら、その人をカウンセリングに寄越した「送り主」が存在しています。中でも家族によってその人がカウンセリングに送られるというパターンが多いのです。親が子供を連れて来たり、送ってよこしたりするということが、私の経験ではほとんどですが、「自称AC」の人が母親を送り込んでくるという場合もこれに含まれます。家族以外の人では、その人の友人が送ってよこしたり、職場の上司などが部下を送りこんでくるという場合があります。いずれにしても、当人はカウンセリングの必要性をほとんど感じていなくて、義務的に受ける場合が多いように私は感じております。仮に、自身でカウンセリングの必要性を多少なりとも感じている「強制的クライアント」であっても、そのカウンセリングはどこかその人自身のためではないという雰囲気に包まれてしまうという印象を私は受けるのであります。そこには常に「送り主」の存在が背後にあるのであります。

「推薦クライアント」とは「自発的クライアント」と「強制的クライアント」の中間にあって、カウンセリングの必要性を自分では感じているのですが、誰かに勧められてそのカウンセラーを訪れるといったタイプの人であります。これには「推薦者」の存在があります。この「推薦者」はかつて「自発的クライアント」であったという例が、私の経験では、ほとんどであります。この中には特定の「推薦者」はなくとも、「口コミ」で受けにきたというような人も含まれています。「強制的クライアント」と比較してみると、「推薦クライアント」は一応、自分の決定で受けに来ているという点で「強制的クライアント」とは異なります。一方、「自発的クライアント」と比べてみると、その動機づけが非常に弱かったり、どこか他人事のような感じで受けに来られるという人も、「推薦クライアント」では見かけることがあります。

 また、「推薦クライアント」とは、自分で行動に移せなかった人、自身で決断できなかった人であるとも表現できるかと思います。カウンセリングの必要性を自分で感じていながら、誰か身近な人が先に受けて、その人を見てからでないと、自分が受けるかどうかの決断がなかなか下せなかった人たちであると私は思います。

 

 私はかつて「自発的クライアント」でした。二十代の頃でした。この経験のため、私が自分のクライアント体験から何かを語るときには、どうしても「自発的クライアント」の視点で語ってしまうことになるだろうということを予めお断りしておきます。私にはしばしば「強制的クライアント」の立場に立つことに困難を覚えたり、「推薦クライアント」の視点がうまく掴めないので、誤った疑問を投げかけてしまっているのではないかと心配になることがあります。それは私自身にそのような体験がないためであり、その分、私の推測や憶測に基づかざるを得ないという点をご理解していただきたく思います。

この「カウンセリングの過程」というページそのものも、「自発的クライアント」を前提として述べているという点をも併せて注意を促しておくことにします。また、「推薦クライアント」と「強制的クライアント」とは、「自発的クライアント」とは違ったプロセスを経る場合が多いということも申し上げておきます。

 

 さて、この三種のクライアントですが、これは大部分が最初の動機づけによって区別されているに過ぎないのであります。最初は「強制的クライアント」だった人が、後に「自発的クライアント」に変わっていったという例も少なからずあります。つまり、この三種のクライアント像は、いわば不動のポジションのようなものではなく、その過程によって流動していくものであります。そのようなものとして受け取られることを私は望みます。

 クライアントの動機づけだけではなく、私に対しての感情にも三者には違いがあります。「自発的クライアント」は私に対して、何らかの信頼や期待を抱いているのであります。既に私に対しての信頼が芽生えているのであります。「推薦クライアント」もある程度はそれが見られます。「強制的クライアント」になるとそうはいかなくて、猜疑心に満ちていたり、時には敵意をむき出しにしてお越しになられる方もあります。「強制的クライアント」にとってみれば、カウンセラーは「送り主」側の人間だと見られているのかもしれませんし、何よりも彼にとって重要なのは「送り主」であって、カウンセラーなんかはどうだっていいというような人もあるかもしれません。

 

 こうしたことの違いは、三者において、そのスタート地点が自ずと異なってくるということを示しているのであります。敢えて単純化して申し上げれば、「自発的クライアント」は速やかにカウンセリングのスタートが切れるのでありますが、「推薦クライアント」と「強制的クライアント」では、その前にしなければならない作業があるために、スタートが遅くなると言うことができます。

もしくは、「強制的クライアント」と「推薦クライアント」に関しては、彼らがカウンセリングに持ち込んだそもそもの問題以外に問題になっていることがあるために、作業が増えるのだと表現してもいいかと思います。それをクライアントの来談動機となった直接の問題を話し合うことと同時進行で取り上げなければならないのであります。

 

 先述のように、私は「自発的クライアント」の視点でこういう原稿を書いています。このページだけでなく、その他のページに関しても、やはり同様なのであります。続く項目において、私は「推薦クライアント」と「強制クライアント」のそれぞれの事例を提示して、そこでどういうことが問題となるのか、「自発的クライアント」とどういう点で多くの作業をしていかなければならないのかということを述べるつもりでおります。そして、「推薦クライアント」や「強制的クライアント」であるということが、何も悪いことではなく、彼らが「自発的クライアント」になっていくことを私は目指そうと試みているのだということをも、事例を通して見ていくことにします。

 

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー

 

 

 

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