テーマ8>DV被害者とのカウンセリング続)

 

(8―4)事例1続き:いい人に変えてほしい

 この女性のような例は決して珍しいものではありません。DV「被害者」が援助を求める時に、自分が苦しいから助けて欲しいというように訴えないことも、案外多いのです。そして、代わりに「どう接したらいいか」とか「相手をどう変えたらいいか」という訴えをするのです。だから、そのような訴えは、本来の訴えの偽装であると言っても構わないのです。

 上記の女性も、付き合い方を変えればそれで上手くいくのだと、頑なに信じているようでした。そして、自分がどのような体験をしているかということに関しては、ほとんど語られることがありませんでした。自分の内面や感情にほとんど開かれていないという印象を私は受けました。そして私がそういう印象を受けた「被害者」の方も、けっこう多いのです。

 事例を続けましょう。

 私は彼女に、彼との付き合い方が変わると、何が変わるように思われるのかを尋ねてみました。彼女の答えは「彼が『いい人』になってくれる」というものでした。

続いて、私は「彼がいい人になると、あなたにどういうことをしてくれるの?」と尋ねてみました。

彼女の答えは「彼が優しくなる」ということでした。「彼が私に優しくしてくれる」というように答えなかった点は注目すべき部分です。彼女の話には常に彼女自身が欠けているのです。それは次に続くやり取りからも窺われるのです。

私は「誰に優しくなるの?」と尋ねます。

彼女は「いろんな人に優しくなる」と答えたのです。決して、彼女自身を出さないのです。

 なぜ、彼女が自分自身を出さないのかということに関しては、十分に理解できませんでした。一回の面接ではそこまで取り上げきれなかったのです。私の察するところでは、彼女は常にバリヤーを張り巡らす必要があるからだろうということです。常に自分の身を守っていなければならないから、話し合いの場でも自分を出すことに躊躇いや恐れが生じているのでしょう。

 その後、私は思い切って言ってみたのです。「彼との付き合い方を変えたとしても、彼が『いい人』になるとは限りませんよ。仮に『いい人』になったとしても、何年もかかってしまうかもしれませんよ」と伝えました。彼女は「それでも構わないです」と答えました。

 こういうことを伝えるのは残酷かもしれないと心のどこかで感じながら、敢えて伝えたのでしたが、それは彼女にもう少し問題の本質的な部分に触れて欲しかったからです。私は、「その時が来るまで、痛みに耐えるおつもりですか」と尋ねました。

 「痛み」や「耐える」という言葉に彼女は幾分反応したようでしたが、彼女は平然と「そうします」と答えたのでした。

 こうして見ると、彼女は大事な部分には目を向けていないのです。大事な部分というのは、彼がどういう人間であるかということではなく、彼女が彼との関係で痛みを体験し、その痛みにもはや耐えることができないというところなのです。すこし誘い水をかけてみたのでしたが、少しの反応は見られたものの、彼女はあくまでも痛みについては語ろうとしませんでした。

 そもそも、彼が「いい人」になったとしても、それで彼女が愛されるようになるとは限らないのですが、彼女はそういう可能性に対しては、まったく盲目でした。自分が助かるのであれば、別に彼から愛されなくても構わないと思われていたのかもしれません。

 でも、一方で彼女は「彼も苦しんでいるのかな」と語ります。彼とのことでしばらく話し合いが続いた後でした。確かに「加害者」には「加害者」の抱えている苦しみがあります。しかし、彼女はそこに目を向けなくてもいいのです。カウンセリングでは、彼女は彼女自身が体験している苦しみに向き合えばいいのです。ところが、彼女は「彼が苦しい」ということで、自分の苦しみに目を向けるのです。こういう投影同一視をする辺りに、彼女の未成熟な部分があるように思われました。

 

(8―5)事例2:まっとうな人間にしてほしい

 上記の女性のクライアントに限らず、「加害者」を変えようとする「被害者」は少なからず見受けられるものです。もう一人のクライアントの事例を掲げます。

 この女性クライアントは、「夫をまっとうな人間にするために知恵を貸してほしい」と訴えました。この女性は、実は、仕事に関してはとても有能な人でした。よほどでないと就けないような職に就いていました。それだけ有能な女性なのですが、男性関係においてはいつも同じことを繰り返していたのです。彼女が交際する男性は、いつも決まって彼女に暴力や暴言を振るうのでした。

 「どうしてあなたが彼をまっとうな人間にしてあげなければならないのでしょうか」と私は尋ねます。彼女は「私がしんどいからです」という答えをされました。自分のしんどさに気づいており、それを言語化できる分、先ほどの女性よりは成熟度が高いようです。

 私は、「じゃあ、彼をどうこうする前に、あなた自身のしんどさがなんとかなる必要があるのではないでしょうか」と振ってみました、でも、彼女は「いえ、彼がまっとうな人間になることが先決なのです」と答えられたのです。

 夫をまっとうな人間にするということが、彼女にとっては切羽詰った至上命令のように体験されていたのでしょう。これに関しては、彼女に畳み掛けてくる勢いがありました。

 夫との関係で起きたことを、私は彼女から聴いていきました。それは壮絶なもので、容赦なく浴びせる暴言と、手加減のない暴力の連続でした。それでも彼女は夫と別れるのではなく、夫を「改善」する方を望んでいるのです。

 彼女は夫の「治療者」になろうとしています。そして夫の「母親」役も担おうとされています。すでに彼女は夫の「殴られ」役であり、「責任を負う」役であり、「夫の悪や不運を担う」役をしてきています。一体、彼女自身は何者だろうと、そんな不思議な思いを経験したのを私は覚えています。

 

(8-6)事例2続き:相手をおとなしくさせたい

 私が「被害者」に取り組んでほしいと思うのは、この部分なのです。

 彼女たちのような「被害者」は、「加害者」の「改善・矯正」を求め、専門家に押し付けているのです。しかし本当に必要なのは、彼女たち自身の「改善・回復」であり、自分自身を取り戻すことにあるのではないかと私は考えております。

 「被害者」の中には、「相手がこうなったのは自分に責任がある」と信じている場合があるように思います。「こうなったのはお前のせいだ」とか「お前が怒らせるからだ」というような言葉を投げつけられ続けてきたことも関係しているかもしれません。

 私から見ると、そうした見解はまったく根拠のないことで、しばしば「加害者」の言いがかりのようなものであったり、「被害者」の思い込みのようなものだと思います。

 「加害者」も「被害者」もそれ以前から内的に所有しているものをその関係上に提示します。「被害者」と出会う以前から抱えていたものを「加害者」が今の「被害者」との関係において顕在化してしまっていることもあるかもしれません。

 お互いが抱えているものを関係に持ち込むことで関係の様式が形成されていくので、そうであるとすれば、「被害者」に原因があるとか、「加害者」が悪い、だから「治せ」という発想から抜け出る必要があるように私は感じています。

 さて、先ほどの事例の続きを述べましょう。

 「夫をまっとうな人間にしたい」と訴えた彼女は、結局、怒って、お帰りになられました。案の定、一回限りの面接となってしまいました。

 私が、「そこまで夫にしなければいけないことでしょうか」と尋ねたことが決定打となりました。

 彼女は呆れたように私を見て、「わたしが夫を愛しているということがあなたには分からないのですか」と言い放ったのです。

 彼女はひどく気分を害されたようでしたが、その一言で、今度は私が仰天する番でした。彼女の言う「愛」って、一体、どういうことなんだろうと思うのです。

 一回きりで終わってしまいましたが、「彼とどう付き合ったらいいだろうと」訴えたクライアントも、「夫をまっとうな人間にしたい」と訴えたクライアントも、本当に望んでいるのは「相手をおとなしくさせたい」ということではないだろうかと思うのです。そして、「相手を自分の望むとおりの人間にしてほしい」もしくは「それを手伝ってほしい」と訴ているようなものでないでしょうか

 こうなると、本当の「加害者」はどちらだろうという気がしてきます。

 

(文責:寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー

 

 

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