<テーマ8> DV「被害者」とのカウンセリング

 

(8-1)「被害者」とのカウンセリングでの私の反省点

(8-2)どこでズレが生じるのか

(8-3)事例1:どう付き合ったらいいですか

(8-4)事例1続き:いい人に変えてほしい

(8-5)事例2:まっとうな人間にしてほしい

(8-6)事例2続き:相手をおとなしくさせたい

 

 

(8―1)「被害者」とのカウンセリングでの私の反省点

 私のカウンセリングを受けに来たDV「被害者」のうち、その6割が継続しなかったり、十分な改善が見られる以前にカウンセリングから離れてしまったということを、私は前項で述べました。

 上手く行かなかったケースにおいて、私自身に拙かった点があるということを私は正直に認めるのであります。いくつかの要因があるのですが、中でも大きかったのは、私自身が暴力から目を背けてしまったということにあります。私は暴力がすごく恐ろしいのです。目の前のクライアントが配偶者からボコボコに殴られるというような話を聴いていると、私自身が痛みを感じるように体験されてしまうのです。中には痣を作って来られる方もありました。それを見るのはなんとも痛ましい限りなのです。

 私が暴力を回避しようとしてしまうために、クライアントは充分受け止めてもらったとか理解してもらえたという体験をせずに終えられたのだろうと思います。あるいは、私がその部分を避けるので、何か見当違いの介入をしていたという場合もあったでしょう。いや、実際にあるのです。自分でもそれが分かっていて、そうしてしまっているということに気づいているのです。

 私が暴力的な話が苦手なのは、どうしてもそこに痛みを覚えてしまうからです。そして、苦しくなってしまうのです。苦しくなるから、そこから目を背けてしまうのです。最初から背けるということはない、できるだけ私も耐える、忍耐の限界が来ると、どうしてもそこを避けてしまっている自分に気づく。こうして、私とクライアントとの間にズレが生じ、ズレが生じたカウンセリングはどうしても上手く進展していかないのです。これが私の反省すべき点なのです。

 

(8-2)どこでズレが生じるのか

 しかしながら、私は私で反省し、それを克服していくことを目指すとして、やはりクライアント側にある要因にも目を向ける必要があると考えます。以下、クライアント側に焦点を当てて、考察することにします。

 先述したように、上手くいかなかったケースでは、常にクライアントと私との間でズレが生じてしまっているのです。まったくズレが生じない面接というものはないのですが、この場合、クライアントにとって肝心な部分でズレが生じてしまっているために、問題となってしまうのです。

 ところで、このズレには、私が暴力から目を背けてしまったがために生じたズレもあれば、クライアントが焦点を当てている部分と私が着眼している部分との間に生じるズレもあります。後者のズレに関して、以下、二つの事例を挙げたいと思います。

 私がカウンセリングの場でお会いした「被害者」はしばしば、「彼とどう付き合ったらいいか教えて欲しい」とか「彼をまっとうな人間にするためにはどうすればいいでしょうか」といったことを訴えるのです。これをカウンセリングの主訴、動機とされるのです。

 これは方法を求めているということになります。その方法を私が仮に伝えたとしても、恐らくこの面接はそれだけで終わることでしょう。因みに、こういう質問を受けて、私が答えることは「私には分かりません」というものです。

 クライアントの質問に対して、「分かりません」と答えるのですが、それはそう答える以外にないからなのです。「どう付き合ったらいいか教えて欲しい」という質問は、そういう質問が出てくるということ自体、既に相手との関係において何か良くないことが生じているということの証拠です。どういう種類の良くないことが起きているのか、そしてクライアントと相手との間にどのような関係の歴史があるのか、更にクライアントがどうなることを望んでいるのかを知らずに、これに答えることはできないでしょう。

 もう一つの「彼をまっとうな人間にするには」という質問は、さらに答えることのできない種類のものです。その「彼」はこの場にいない人です。この場に居ない人を変える方法を教えて欲しいと言うわけですから、それは無理があるというものです。そもそも、彼をまっとうな人間にすると言っても、それは誰にとってまっとうであると映る必要があるのかを取り上げなければならないでしょう。

 このような問い自体はそれほど意味がないものです。意味がないと言うとクライアントには失礼かもしれません。クライアントは真剣にそういう問いをされるのです。でも、私はクライアントがそのような方法を求めたくなっている気持ちの方に関心が向いてしまうのです。クライアントは逆にそこを隠そうとされることが多いのです。ここにズレが生じていることがよく起きるのです。

 

(8-3)事例1:どう付き合ったらいいですか

 さて、事例を取り上げてみましょう。

 ある女性クライアントは「暴言を吐く彼どんなふうにして付き合ったらいいのか分からない」という訴えを携えて来室されました。

 彼女の話では、そのことで相談機関を何軒か回ったそうでした。でも、思うような答えが得られなかったのでした。私がお会いした時点で、かなりの相談機関を転々としてこられていました。

 案の定と言うべきでしょうか、彼女は、やはり、私とのカウンセリングにおいても思うような解答が得られなかったということで、一回きりで私からも離れていかれました。

 精神科医やカウンセラーを転々としてきている人は、私の印象では、かなり状態が悪いと言えるのです。私は彼女もそうである可能性が高いと思っていました。

しかしながら、彼女の話を追求していくと、彼女が求める答えというのは、彼が「病気」であるかどうかということに尽きるのでした。彼は彼女に暴力や暴言を振るうのです。彼がそういうことをするのは、彼が病気だからだという説明を誰かにしてもらう必要が彼女にはあったのでしょう。そういう説明を聴くまでは絶対に諦めないという態度でした。しかし、会ったことのない人に対して「病気」であるとかいう「診断」はできないものです。そこで、多くの臨床家は答えられずにいたのでしょう。彼女は自分の決めた解答と同じものを与えてくれる臨床家を探し続けることになるのでしょう。

 面接では、私は彼女の訴えに沿うように努めました。まず、「彼とはどのように付き合っているのですか」ということを尋ねます。すると、彼女は彼がどういう人間であるかを話し始めるのです。彼がいつ、どんな状況で、彼女にどういうことを言ったとか、ある時はどんなふうに彼女のことを無視してきたかといった話が連続するのです。

 私の問いかけは、関係を尋ねたものでしたが、彼女は彼のことしか話さなかったのです。私の問いかけがうまく理解できなかったのかもしれませんし、彼女が無意識的にそこを避けているのかもしれません。どちらも起こり得るでしょう。しかし、彼女が彼のことに話を集中すればするほど、彼女は自分がどんなことを体験しているかを見る余裕を失うのでした。

 私は自分の失敗を認めるのに躊躇しません。私はここで失敗をしているのです。彼女が自分自身を語ること、それを手伝うことに私は失敗しているのです。そして、恐らく、私以前に彼女が会った専門家たちも同じような目に遭った可能性もあるでしょう。

 私の見立てでは、彼女は自分自身に目を向けるだけの成熟を達成していないという感じを受けています。もしくは、抱えていることの困難さのために目を向ける気力や余裕がないという可能性もあるでしょう。しかしながら、前者の方がより大きな要因として働いていると私は捉えていました。

 それでも、彼女の話によれば、私の説明は他のカウンセラーの説明よりかは「腑に落ちた」と語られました。それはそれで結構なのですが、私としては「これで良かったのだろうか」という思いがどこかに残っているのです。何か、彼女にとって大事なことが取り上げられていないのではないかという気がしてなりませんでした。

 そこで、面接の最後に、「あなた自身のことについても、今後、話し合っていきませんか」と誘いかけたのです。彼女は「それもいいことだと思います。だけど、今しばらくは自分で何とかやっていきたい」と答えられたのです。結局、この一回きりで彼女とのカウンセリングは終わってしまったのです。(補遺:この女性のこの答えは回避的な傾向の強い人に典型的に見られるものであります)

 彼女はあくまでも「暴言を吐く彼との付き合い方」について、その方法を求めていたのです。その姿勢を頑として譲りませんでした。そういう頑固さが彼女からは感じられていました。それ以外の事柄は、触れられると嫌な思いを体験してしまうのかもしれません。そして、自分自身に話が触れないように、彼女は頑ななほど、その「方法」という側面にこだわり続けていたのでした。

 少しだけ余談を付加すると、彼女がそのような態度を崩さないのは、臨床家がそれ以外の事柄に触れると、彼女自身が大きく動揺してしまうからだろうと思いました。もし、自分で制御できないほどの動揺をこの場で体験するとなれば、彼女はかなり危険な状態にあるはずなのです。つまり、それだけ自我境界が破損しているということが言えるからです。そういう所が私には見えていたので、彼女が一回きりでカウンセリングから離れていくことに対して、危惧する思いが私に生じていたのです。つまり、彼女の経緯をもう少し追って見ていく必要があると感じていたのでした。

 

 

(注)本項とても長文でありますので、2回に分割することにします。続きは次項引き継ぎます。

 

(文責:寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

 

 

 

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