<テーマ19>面接のプロセス

 

(19-1)カウンセリングとは一つの体験である

(19-2)体験を吟味する時間

(19-3)面接の三段階

(19-4)時間とプロセスに関する事例

 

 

(19―1)カウンセリングとは一つの体験である

 私のカウンセリングが一回60分であることについて、特になぜ30分を二回や20分を三回に分けるのが望ましくないかということについて、もう少し説明しようと思います。

 話し合いには、通常の場合においても、ある程度の時間を要するものです。それは双方がその話し合いの議題についての回答に至るまでに時間を要するからです。従って、もし、あなたがカウンセリングなんて10分もあれば十分だろうとお考えになられるとすれば、それは次のことを意味しています。あなたは問題を抱えており、私がその問題に対する回答を知っており、ただそれを教えてもらえばいいとあなたが考えておられるということです。おそらく、あなたはそこで何も体験することがないでしょう。ところが、私は「あなたの答え」など持ち合わせてはいませんし、個々の人間の抱える問題に対しては公式も正解もなく、お互いに考え合って各々がそこに至らなければならないというのが現実なのです。

 物事を吟味し、理解していくには時間が必要です。また、何かを体験するとなれば、ある程度の時間というものがやはり必要になります。

 カウンセリングは一つの体験であります。クライアントがどのようなことを体験するかは個々のクライアントに依るものであり、私が与える類のものではないでしょう。しかし、そうした体験はクライアントの何かを動かしていくことになります。少しでも動き始めるということがとにかく重要なことであり、答えだけ聞いて、観念的に理解するのであれば、立派な学術論文を紐解かれる方が遥かにましなことであると思います。

 

(19―2)体験を吟味する時間

 どうして動きが生じるのかと言いますと、そこにプロセスがあるからです。何らかの過程が始まるからです。一回の面接でも、恐らくクライアントの方々は気づかれないと思いますが、多くの展開やプロセスが見られるものなのです。このプロセスが進行していくためにも時間は必要なのです。

 10分や20分では、クライアントはそのようなプロセスを体験する間もないかもしれません。また、長すぎる面接では、クライアントが自分でも処理しきれないくらいの情報と体験を得てしまうかもしれません。それも望ましいこととは思えないのです。

 過去に二時間連続して面接を受けたいと希望されたクライアントがいました。私はそれなら一時間の面接を二日続ける方がいいと伝えたのですが、どうしても二時間ぶっ通しで受けたいと譲りませんでした。私は、それでも一時間経過したら小休止を入れましょうと伝えたのです。クライアントはそこは妥協してくれました。

 さて、そうして二回分を続けて行ったのですが、双方が疲れ果ててしまうという結果になりました。クライアントもかなりお疲れになられた様子でした。疲労はまだしも、その二時間で話し合われたことが多すぎて、クライアントも処理しきれないような感じでした。長すぎてもよろしくないということであり、一時間くらいで一旦終え、その一時間をしっかり吟味して自分のものにしていって、そして次の回を受ける方がどれほど有意義だったかと思います。

 

(19―3)面接の三段階

 前項において、面接の最初の10分と、中盤の10分、最終の10分とでは、違った話し合いをしており、クライアントが体験していることも異なるということを述べましたが、それについて説明しておくことにします。

 かつて、私は「面接は三部構成である」と表現したことがありました。理想的なカウンセリングは次のような三部構成になると私は考えています。

 まず、最初の段階があります。これはクライアントが最近体験したことなどが語られます。ここではクライアントの話はクライアントの外側のことがメインになります。

 また、クライアントによっては世間話や挨拶、社交辞令のようなやりとりを最初にされる方もおられます。そういうところから会話を始めないといられないといった人もおられるので、それもまた意味のあることです。

 いずれにしても、この最初の段階を踏むということは重要なことであると私は考えています。これは、つまり、その時のクライアントにとって安心できる領域から話し始めているということなのです。このことは初回のクライアントであれ、継続しているクライアントであれ同じなのです。クライアントは安全な領域のことから話し始めるのであります。

 この段階にどれだけの時間が費やされるのかと言いますと、クライアントにより異なるとしか言いようがありません。ほとんどの時間をこの段階で終えられる方もいらっしゃいます。それはその人にとっての安全領域でカウンセラーと出会おうとされているのだと思いますし、それはそれで意味のある話し合いでもあると私は考えています。

 しかし、大体10分から15分くらいでその段階を終えられる方が多いという印象を私は持っていますが、あまり法則のようにこの時間を捉えないようにしていただきたく思います。時間よりも、クライアントの心の動きの方が大切で、動き始めるまでに時間がかかる人がいるとしても、その人にとってはそれが自然なこと、少なくとも今のその人には自然なペースなのだと思います。

 

 次に来るのは、話の深化と広がりであります。クライアントはより内面的な事柄、個人的な事柄、過去の様々な体験を語り始めるようになります。

 なぜ、そうなるのかと言いますと、クライアントの心が動き始めるからです。心が活動し始めることによって、連想や想起が活発になってくるからです。この心の活動は感情面でもクライアントを動かすことになるので、クライアントはもっと話したいとか、何とか分かって欲しいというような感情を経験し始め、それがまたクライアントの言語活動を促進することになるのです。

 この段階において、クライアントはしばしば自分の問題、カウンセリングを受けにくることになった問題に対して、違った視点があること、自分の体験に関して違った側面を感じたり、違った一面を見るという体験をすることもあります。それはつまり自分自身の理解が進行しているということを意味しているのです。

 そして、肝心な点は、クライアントがもっとも表現したかったこと、理解してほしいと願っていたことなどが、この段階で語られるようになるということです。秘密を打ち明ける気持ちになるという人もありますし、密かに思い描いていた願望や空想を語る場合もあります。

つまり、クライアントの日常では表現できない本心や秘密が語られるのがこの段階なのです。それを話してみるという体験、他者と共有するという体験は、クライアントの負担をかなり軽減するのです。

 ところで、これはあくまでも理想的な一回のカウンセリングという意味であり、初回からこのような体験をする人は少ないものです。継続的なカウンセリングの初期の段階では、表面的な事柄から少しだけ深い部分が語られるという程度である場合もあります。徐々に語られる領域が広がっていくにつれて、クライアントはよりパーソナルな部分を打ち明けるようになるのです。

 ここまで読んで、なんだかよく分からないとお感じになられる方もおられるかもしれませんが、この段階がカウンセリングの命だと言ってもいいくらい重要な部分であることを理解していただければそれで結構であります。クライアントは自分が安心して話せる領域のことから話はじめます。その領域を私も守ることができ、支えられているという体験をクライアントがしていくほど、クライアントは徐々に構えを取り除き、心の動きに任せていくようになるのです。そうしてより内面的なものが語られていくようになるわけであります。

 

 一回の面接の最後の段階は、カウンセリングを終了するための話し合いであります。

 ここでは、例えば、今回の面接を振り返ってみたり、次回につなげるような話し合いをしたり、また、クライアントの日常生活の話に戻ったり、クライアントが安心して話すことのできた領域に戻ったりといったことをするわけなのです。

 中盤の話し合いというのは、クライアントが日常では得られない体験であることが多いのですが、クライアントは彼の日常に戻ってもらわなくてはなりません。これは後に「場所」の項で再度取り上げることになりますが、クライアントにはクライアントの生活があり、生を営む場所があるわけです。それがどれだけ辛い世界として体験されていたとしても、クライアントはやはり彼の日常と現実に戻ってもらわなくてはならないのです。そのための準備の時間が最後に設けられるのです。

 

 上述の三部構成はあくまでも理想的なカウンセリングであります。なかなかその通りに行くという人も少ないのですが、それでもその片鱗は初回の面接から見られることもあるのです。

 また、上述のような展開はクライアントによって変動するということも述べておく必要があるでしょう。クライアントが、例えば、心を自由に解放することに抵抗感があったり、あるいは私を非常に恐れていたり疑っていたりする場合は、最初の段階がそれだけ長くなるでしょうし、最初の段階にたくさんの時間をかける必要が生じるでしょう。

 また、いきなり自分の深い部分のものを表現しようとする人は、却って無防備すぎるということなので、最初の段階の時間を入れるようにこちらから働きかけたり、最終の段階をしっかり確保するということも生じます。

 

(19―4)時間とプロセスに関する事例

 以上述べたところから、一回の面接には段階があるので、ある程度の面接時間を確保しなければならないということはご理解していただけるかと思います。

 本項も最後に事例を一つ掲げて締め括りたいと思います。

 クライアントは中年の女性で、主婦ということでした。彼女は不安があまりにも強すぎて、そのため日々の生活に支障をきたしていました。特にこの数日は不安と抑うつ感が激しくて、一歩も外に出られないという状況でした。彼女は何とかしなくてはと思いながらも、外には出られないという状態の中で悶々と数日を過ごされていました。

 そういう状態なので、彼女は電話カウンセリングを求めてきました。私はできれば面接形式でやっていきたいという旨を伝えしました。それでも、彼女は外出はできないと訴えるので、私は滅多にしない電話カウンセリングに応じることにしました。

 その際に、彼女は時間を30分にしてほしいと述べられたのです。30分の理由をお尋ねしたのですが、他の方々同様、時間を短縮してほしいということの確かな根拠を有してはおられないようでした。

 そこで私は「とにかく60分はかけた方が望ましい」とお伝えして、その上で「どうしてもしんどくなったり、苦しくなったりしたら30分で切り上げましょう。ただし、時間と料金は60分取ります」という提案をし、彼女はこの提案を受け入れてくれました。

 ここで一つ説明しておくと、このような妥協案を受け入れられるということは、彼女の心にはまだ柔軟性が残されており、多少の不都合にも耐えることができるだけの強さを有しているということを表しているのであります。頑なになっている人ほど、こういう妥協案を受け入れることが困難になり、自分の望む通りのことを何が何でも強引に押し通そうという傾向が強まるのです。

 彼女にはそうした柔軟性と強さが残されています。そのことが私に希望と安心感をもたらしたのです。私の体験したこの感じは、後のこの人との電話カウンセリングにおいても大きく役立ったのです。

 さて、当日、約束の時間に彼女は電話をかけてきました。プライバシーに触れるようなことは割愛しますが、最初の30分は彼女の抱えている問題の状況や経緯、その他、表面的な事柄を話すことで費やされました。これは、しかし、通常の展開でもあります。初めてお会いするクライアントの場合、私はその人のことを何も知らないので、クライアントはそれだけ私への説明に多くの時間をかけることになります。

 もし、彼女の要求に従って、初めから30分ということにしていれば、この段階で面接を終了しなくてはならなかったところです。彼女自身、後で認めてくれたことなのですが、ここで終わっていたら、この後に続く展開を経験することなく終わっていて、結局、何の意味も体験もなかったという面接となっていたでしょう。

 この前半30分があったおかげで、後半30分がより活きたものになっていったのです。彼女はより内的な部分、本質的な部分について触れるようになっていきました。私はそれを共有するのです。そうした体験をするということが彼女には良かったのです。この電話カウンセリングの最後の段階で、私は再び時間のことを取り上げてみました。彼女は「60分でよかった」という感想を述べられたのです。

 後日、彼女からカウンセリング料が私の通帳に振り込まれていました。そのことは、つまり、彼女が外出して振り込んだということを意味しているのです。それも、日付を見ると、その電話カウンセリングの翌日でした。外には出られないと言っていた人がそういうことをできるようになっているのです。

 このカウンセリングはほんの入り口の段階でしかありません。本当はもっと取り上げられるべき事柄やテーマが彼女にはたくさんあったのです。やり残したことはたくさんあるのですが、それよりも大切なことは、このカウンセリングを30分で切り上げていたら彼女にそういう進展が見られただろうかということであります。

 

(文責:寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー

 

PAGE TOP