<テーマ1>本HPで何を目指しているか

 

(1-1)一人の人間としての私

(1-2)私の姿勢

(1-3)私に何が語れるか

(1-4)あなたに読んでほしいこと

(1-5)注と補足

 

 

(1-1)一人の人間としての私

 サイトを閲覧してくださる皆様に感謝します。

 あなたはカウンセリングについて何かを知ろうとされているでしょうし、自分自身について何かを得たいと願っていることだと思います。こうしたサイトを探している時点で、あなたはすでに引き返すことのできないところまで来ているのです。あなたは先に進むしかないのです。私はそれでいいと思いますし、私なりにそういうあなたのお役に立てることがあれば尽力したいとも思っています。

 さて、このページ(テーマ1)では、このホームページ(HP)において、私が目指しているもの、そして皆様に知っていただきたいと私が思っているところのものを述べたいと思います。

 何よりも知ってほしいと願うのは、一人の人間としての私ということであります。私自身を知ってもらいたいと思います。私の考え方、物の見方ということだけではなく、また、カウンセラーとしての私ということだけでもなく、一人の人間としての私ということをも含みます。

 確かに、私もカウンセラー、臨床家の一人ではありますが、自分では決して完成された人間ではないと認めています。上手く行く時もあれば失敗してしまう時もあります。常に公平であるとも限らず、偏ったりすることだってあると思います。極論に走ってしまうこともあるでしょう。決して完全な人間ではないのです。

 そして、同時に、私は一人の個人であります。人間であるが故に犯してしまう過ちもあれば、偏りもあり、未熟な部分も抱えている存在であります。苦悩し、不安に苛まれ、痛みを経験するという極めて人間的な体験を普通に体験している一個人であります。

 このサイトでは私のそうした部分も見てほしいと思います。

 

(1-2)私の姿勢

 次に知ってほしい、見てほしいと願うのは、臨床に対しての私の姿勢という部分であります。

 臨床心理学とか精神分析といった学問分野は、その人の個人的な経験や思想が大きく影響する学問でもあります。よく「臨床家の数だけ理論がある」というように言われることもあるのですが、その臨床家の打ち立てる理論はその人の個人的な体験に裏打ちされているということを示しているのです。(注1)

 理論は技法にも通じます。臨床家の経験に裏打ちされている理論は、その人の技法に結実していくものであります。どの技法が素晴らしいかよりも、その臨床家が自分の理論に基づいた技法を持っているということの方がはるかに重要だと私は考えています。

 また、私は「それに対する姿勢は方法に優先する」という考え方をしております。その人がどんな仕事をしているかということよりも、どんな姿勢でその仕事に取り組んでいるかの方がずっと重要なことだと考えているのです。彼がどんな臨床技法を用いるかということよりも、どんな姿勢で臨床に臨んでいるか、どんな姿勢でクライアントと向き合っているかということの方が重要なのだと思うのです。(注2)

 しかしながら、その人の姿勢はその人の方法を生み出すものであるから、両者は厳密には区別できないかもしれません。ただ、その人の方法を見るのは比較的容易ですが、姿勢を見ることは難しいと思います。伝える側からしても、こういう方法で行いますと伝えることは容易なのですが、こういう姿勢で臨んでいますということは伝達困難なのです。

 上記のように私は考えていますので、このサイトを通じて、臨床に対する、仕事に対する私の姿勢が読んでくださる方々に少しでも感じ取られることがあれば、私は非常に嬉しく思うのです。

 

(1-3)私に何が語れるか

 上述のように、私の姿勢や取組も知ってもらいたいと思うのですが、そのために私がしなければならないことは、私の個人的な経験を述べることだと私は信じております。私が伝えることができるのは、私が経験したことだけだと思っております。

 例えば、こういうサイトにおいて、他の人の本や言葉を抜き出して、それを並べるだけでも作ることはできます(注3)。実際、そのようなサイトもお見かけしたことがありますが、それなら私よりももっと優れた臨床家たちがたくさんおられるわけだし、その方々の著書などを紐解かれるとよろしいと思いますし、わざわざ私のこのサイトに入る必要もないわけであります。

 しかしながら、そうした引用だけのサイトでは、私を知ってもらうという目的を果たさないのです。その目的にためにできることと言えば、私は私自身が体験し、見聞し、それについて考え、感じたこと述べるだけなのであります。従って、本サイトにおいては、私が経験した事例などを中心に述べていくことになると思います。

 だからと言って、同僚や先人たちの経験や業績を無視するつもりはありません。他者の考えや理論ということも同じように大切にしたいと思うのです。それらは、きっと、私が独善に陥るのを防いでくれるでしょうし、私個人が体験できる限界を補ってくれるでしょう。そのため、必要に応じて、他者の経験や言葉を引用することもあります。

 

(1-4)あなたに読んでほしいこと

 私は以後それぞれのテーマに関して、私自身を語ることになります。それを読んだうえで私がどんな人間であるかについて、あなたがどのように判断されても構いません。

 ちなみに、私は自分が「こういう人間です」と胸を張ってあなたに伝えることができるようなものを何も有していません。とても残念なことだと思います。私は私のことしか語ることができず、私がどういうことを体験し、どういう人とお会いして、その人をどんなふうに体験し、考えたか、そしてその人にどういうことを伝えたのか、そういうことを述べるしかないのです。あとは読む人の判断に任せるしかないのであります。

 でも、その部分こそあなたに読んでもらいたいと願っているのです。今後はいろんなクライアントが登場するでしょう。その人たちはきっとあなたに似た人たちだと思います。彼らを通して、私はあなたに伝えたいと思うのです。

 以下、いくつものテーマについて書いていくことになります。すべてを読む必要はないかと思います。あなたが興味を持っている事柄、あなたが現在取り組んでいる事柄に関係している部分からお読みいただければよろしいかと思います。

 それであなたがどう評価しようとも構いません。「このカウンセラーはダメだ、何もわかっちゃいない」と評価されてもいいし、「いや、このカウンセラーの言うことはよく分かる」と評価していただいても構いません。多少なりとも後者のような体験をし、少しでも私とう人間が信用できそうだと思っていただければ、そして、このカウンセラーに会ってみたいという気持ちを起こしてくださるとすれば、私にとってこれ以上に望ましいことはないと思っています。

 

(1-5)注と補足

 (注1) 臨床家の個人的な経験や哲学、世界観、人間観が、彼の理論の背景を占めているということは、同じクライアントを見ても、見る人によって違った理論を立てるということを意味しています。このことを示す有名な例はユングの「タイプ論」です。事例検討会において、ひとりの症例を検討している時に、フロイトはフロイト流の解釈をし、アドラーはアドラー流の解釈をして、ユングはどちらの言っていることも正しいと感じたのです。この解釈の違いはどこからくるかということをユングは考察していって、これはフロイトとアドラーのタイプの違いにあると結論したのであります。

 従って、同じ症例に対して、あるいは同じ種類の問題に対して、ある臨床家はこう言っているのに、他の臨床家は違うことを言っているというような事態が頻繁に生じます。どれか一つの理論だけを絶対視しないようにする必要が私たちにあるのだと思います。専門家、非専門家を問わず、一つの理論や考え方に固執することは正しいことではなくて、どちらも正しいという観点、どちらにも賛成できない箇所があるといった観点も私たちは有しておいた方がよいと個人的には思うのです。

 

 (注2)「姿勢は方法に優先する」ということ。私にとってある仕事がうまく行った時、それはその時の方法が良かったということだけではなくて、その時の姿勢が望ましいものであったからだと捉えております。

 「神経症的」な人は、逆に方法の方を優先してしまうのです。方法だけを知ろうとされるのです。そのような人は他者に「どうやってするのですか」という方法ばかりを尋ね、その人が「どんな風にするのか」からは学ばないものです。そして、なお悪いことに、他人の方法をそのまま模倣するといったことを彼らはされるのです。それで上手く行かないのは当然のように私には思われるのです。あるいは、模倣は模倣として有益であるとしても、その奥にあるものを体得されないのであります。

 

 (注3)サイトに限らず、この方法で論文も完成させることができます。学生の論文はしばしばそういう傾向に陥りやすいと聞いたことがあります。彼らには実際の体験がないので、関連したテーマに関して、成書から引用する割合が増えてしまうのです。しかしながら、大学の教授の書いたものであっても、引用から成り立っているだけの論文を見かけることもあります。その教授の読書量は凄いと思うのですが、彼には語るべき体験や自己がないのだろうか、それとも何一つ体験が自己に内在化されていないのだろうかと私は不思議に思うのです。このHPがそのような形態に陥らないようにしたいのです。

 私が経験を積めば積むほど、私には伝えたいと思うことが増えていくでしょうし、そして一つずつお伝えできればと、そう願うのです。

 

(文責:寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー

 

 

 

 

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