<テーマ11> クライアントは弱い人か
(11-1)自分を知ってしまうこと
(11-2)弱さはどういう形で現れるか
(11-3)事例~「時間が解決してくれる」
(11-4)人間らしい弱さ
(11-5)事例~自分と剥きあえない前科者
(11-6)クライアントは弱い人か
(11-7)注と補足
(11-1)自分を知ってしまうこと
私はカウンセリングを一生の仕事にしていこうと決めた人間ですので、こんなふうに考えてしまうのかもしれませんが、あらゆる人はカウンセリングから多くを得ることができると信じています。全ての人にとって、カウンセリングは有益となると信じているのであります。
いろんな人の人生があって、カウンセリングと縁のない人もたくさんおられます。むしろそういう人の方が多いと思います。カウンセリングなしでも、人は普通に生きていけるものであります。それでもなお、カウンセリングは全ての人に有益であり、必要であると私は信じております。
パスカルは『パンセ』において、人が自分自身と向き合うことの困難さを繰り返し書いています。人は自分自身から目を背けてしまうのであります。人々はパーティーのお喋りに明け暮れ、ギャンブルに耽ったりするのであります。自分自身を見ないためにそれらをするということなのです。そして、戦争さえもが、人をしてその人自身から目を背けさせるのに役立ち、利用されているとまで述べております。
パスカルは17世紀の人でしたが、21世紀に生きる私たちも事情は変わらないと私は思います。むしろ、自分自身に目を向けさせなくするツールは現在の方が充実していると私は感じております(注1)。
なぜ、私たちは自分を知ってしまうことを恐れるのでしょうか。自分自身に目を向けてしまうことよりも、外側の事柄に目を向けている方がはるかに楽だと感じられるのはどうしてなのでしょうか。
それは私たちが自分自身の中に不都合なものをたくさん抱えているためだと思います。そして、それに直面する強さを私たちが備えていないからです。人の強さとは、その部分に関わってくるものと、私は捉えております。腕力や権力の強さは、決してその人自身の強さを表すものではないのです。
(11―2)弱さはどういう形で現れるか
カウンセリングを受けに来るクライアントは自分が「非常に弱い人間だ」と体験されていることも多いのです。自分の問題を自分で処理することができない人間だと自分自身を捉えていたり、他人に相談することを恥ずかしいと体験していたりします。問題や状況に対して何もできなかった自分を「ダメ人間」と捉えていたり、すでに無力感に襲われていたりする方もおられます。自分の身に降りかかることはすべて「自分の弱さ」から来るものだと信じていたり、弱い自分を恥ずかしい存在だと感じている方もおられます。
しかし、ここで考えていきたいのは次のことであります。「はたして、カウンセリングを受けに来るクライアントは本当に弱い人なのだろうか」という疑問であります。
クライアントに限らず、私たちはいかに自分の問題を回避することが多いことでしょうか。問題に直面したり取り組んだりするよりも、「問題をなかったことにしよう」と否認してしまうことがなんと多いことでしょうか。あるいは、「たまたまそうなっただけだ」とごまかし、無理に自身を納得させることがいかに多いでしょう。また、「こうなったのはあの人が悪いからだ」と責任転換してしまうことがいかに多いことでしょう。私たち人間はこういうことをしてしまうのです。否認したり、ごまかしたり、責任転換する方が、問題に直面するよりもはるかに安全で苦痛が少ないと感じられるのです。そして、そういう安易な方向へ人間は簡単に流されてしまうのだと私は思うのです(注2)。
私たちはしばしば安逸な方向へ流されてしまうものです。それに直面し、取り組むだけの強さが私たちにはないのです。苦悩を引き受けるだけの強さがないのです。そうして、私たちは自分自身に生じている問題でありながら、自分自身を見ることに耐えられないのです。カウンセリングに訪れないのは、むしろこういう人たちなのです。そして、このような人たちがしていることは、強さではなく、弱さの表れなのです。
(11-3)事例~「時間が解決してくれる」
一つ事例を掲げることにします。
このクライアントは最初の面接を受けた後、今後継続していくかどうかを求められました。彼は「いや、私の問題は時間が解決してくれるから、カウンセリングは必要ないです」と言って、断られたのです。私は、それは自分の問題を過小評価していますということを彼に伝えましたが、彼にはそれが理解できないのでした。彼はその問題を若い頃から抱えていましたが、私から見ると、明らかに「悪化」しているのです。ただ、彼自身はそれを「悪化」しているとは認識していなかったのです。「悪化」しているということは、指摘されれば彼には理解できるのでした。しかし、彼は「今は具合が悪くなっているだけだ。じきに元に戻る」ということを述べられたのでした(注3)。ここでも彼は時間が解決してくれる式の考え方をされているわけであります。
「時間が解決してくれる」という考え方は、この方に限らず、しばしば耳にするものです。実際は時間が問題なのではなくて、その人たちがカウンセラーやカウンセリングで行う作業を避けているという所に問題の本質があるのですが、その点は脇に置いておきましょう。ここでは「時間が解決してくれる」という思考そのものを取り上げます。
この考え方は一面ではとても正しいのであります。なぜなら、私たちが問題を克服するということは時間のかかるプロセスであるからです。成長や成熟、あるいは変化、変容ということはとても時間がかかるものです。時間がかかる、もしくは、時間をかけるという意味においては、この考えは正しいのです。
しかし、解決の主体は誰なのかということが、この考え方では正しくないのです。この考えでは、解決の主体は「時間」にあるのであって、当人にあるのではないということになっています。従って、その人が自分の問題を解決するかどうかは、今後の時間だけにかかっていることになります。これはつまり、自分の問題の解決を運任せにしようという思考であり、一つの自己放棄なのです。
もし、ある人の問題を「時間が解決してくれた」というような例があるとすれば、それはその人が成長や成熟の方向へ水路づけられていたからだと私は捉えています。変化へと動機づけられていない場合、いくら時間が経過してもそのままの状態で留まるはずなのです。「神経症」的な人は、しばしばそういう形で自分の問題を先送りしてきているのです。
事例のクライアントの場合、もし本当に「時間が解決してくれる」のであれば、彼はこの問題を十五年も抱えていなかったはずです。とっくにその状態から抜け出ていなければおかしいのです。彼は、若干辛辣な言い方をすれば、いつか望ましいことが起きるということを信じて、指をくわえて十五年を過ごしてきたのと同じなのです。私以前に何人もの臨床家の門を叩いたと彼は語りました。しかし、その都度、彼は同じような持論を展開して、離れていったのだと思います。つまり、彼自身は何一つそれに取り組んではいなかったのです。
誤解のないようにここで注意しておきたいことは、彼を非難するつもりは私にはないということです。ただ、その考え方が正しいものではないということを述べているだけなのです。そして、「時間が解決してくれる」と一途に信じているということに、彼の抱える「弱さ」があるのです。彼に必要なのは、時間ではなくて、少しでも自分自身に目を向ける「強さ」であったのです(注4)。
(注)本項は長文でありますので、ここで二項に分けることにします。続きは次項に引継ぎます。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)