<T010-06>夢の旅(6)
(夢26)「同居、勉強会、壊れたトラックの夢」
(夢27)「音の出ないレコードの夢」
(夢28)「動かない体の夢」
(夢29)「雑誌と記録を読む夢」
12月21日
夢を忘れた。朝、起きた途端に家族内のゴタゴタがあって、それに感情的に巻き込まれたため、せっかく見た夢を思い出すことができなくなってしまった。
12月22日
(夢26)「同居、勉強会、壊れたトラックの夢」
家に兄夫婦が同居することになった。ただし、兄夫婦は家庭内別居を始めるつもりのようだった。兄は自分の部屋を陣取り、嫁は私たちの居間を自分の部屋にしようと、荷物を整理している。嫁がそうしている間に、兄はどこか外出してしまう。私も自分の用事があるので出かけなければならなかった。
勉強会のようなものに参加している。それは広い日本間で、くつろいだ感じの勉強会だった。ただ、参加した人たちは銘々自分勝手なことをしていて、一向にまとまらない。私はもっと真面目に勉強会に参加したいのに、自分勝手に振る舞う人たちのために、常に妨害され中断されてしまうのである。私は遠くの方に知り合いの女性を見つけた。彼女は私の先生と話し合っている。私は時間がないと思って焦っている。彼女たちの話に参加したいのだけど、それだけの余裕がなかった。
その後、何か仕事の指示が出て、私を含め4人でどこかに行かなければならなかった。駐車場に出る。運転する人がこの車で行くと言って、私たちを誘う。それは小型のトラックで、いたる所に穴が空いており、そうとうなポンコツだった。二人は荷台に乗らなければならなかった。私は助手席に座る。そのドアには大きな穴が空いていて、私はそこから手足を出して、安全かどうか確かめていた。
(連想と感想)
今日の夢は、三つの場面から成っている。ユングによれば、人が夢に見るのはその人の困難や病であり、夢の中で場面が変わるのは、困難や病の質が変わったことを意味するという。そう仮定すれば、この夢を三つの個別の場面として捉えることができる。
最初の場面は、兄夫婦が同居することになったということである。以前、実際に兄夫婦が同居していた時期があった。それは兄の事情でそうなったのである。ただし、その時は兄と最初の奥さんとその子供が同居したのであった。その時の奥さんとは離婚している。
兄の家族が同居することで、母は私に結婚願望みたいなものが起きてくれればいいなと期待していたようだった。幸せな家庭と接していたら母の思惑通りになっていたかもしれない。しかし、私が当時見たものは、夫婦間の不和であり、母と子の間の対立だったり、家族全体にみなぎる緊張感だった。夫婦生活がそれほどいいものとは、私にはどうしても思えなかった。
「娘と会ってやってほしい」と私に頼む老夫婦は、若いうちは一人でもいいけれど、年を取ると一人ではさびしいよと言ってくれた。私もそれは分かる。孤独死こそ人間本来の死に方だと考えている私に、果たしてそんな風に感じる日がくるだろうかとも思う。いずれにせよ、どうも私にとって、家族とか夫婦とかいうことは地獄のように荷が重い感じがあるのである。
夢では、兄夫婦がすでに別居状態にあり、私はまたその姿を見せつけられている。私はふだんから、兄の夫婦がうまくいっているのか疑問に思うことがある。兄には一人目の妻があり、子供までいるのだが、彼らのことが気にならないのだろうかと思う。二番目の妻にしても、夫の前妻と子供がどこかで生きているということがわかっていて、平気でいられるのだろうかと不思議に思うことがある。前妻と子供は、一体、彼らにとって何だったのだろうと思う。
次の場面は勉強会の場面である。私は真剣に取り組もうとしているのに、それを許してくれないというジレンマがある。私には場をまとめるだけの力がない。それにどういうわけか時間に追われている。また、勉強会や学会、シンポジウムなどに参加してみたいという願望はあるのだけど、時間的に余裕がなかったり日程が合わなかったりで、参加できないということが続いている。そういう感情も手伝っているようだ。また、雑用がいくつも溜まっていて、勉強に時間が割けないという現在の悩みともつながっているようである。
夢に出てきた昔の知人女性と先生は、ともに私がカウンセリングの実習をしていた頃の人たちだ。一緒にやってきたのだけど、今や、無縁の存在になりつつあるように、この夢から思われる。
勉強会に参加した人たちは、みながばらばらで統一されていない。私の今の心の状態がそういう感じになっているのかもしれない。エネルギーはあるのだけど、一つのことに向けられていないというような、そんな感じである。それを統一させようと焦っている。それには時間的な余裕がないということでもあるようだ。
三番目の場面は男4人でどこかへ向かうという所である。オンボロの車に乗っている。この車で行くことは、不安が伴っている。まともに走る車なのかどうかも怪しいのである。
ここで登場している男性たちの中で、運転手だけは、私がよく行くバーのバーテンダーを思わせる。私の酒飲み仲間たちを連想するのであるが、彼らとの付き合いは、オンボロで(しかも乗れないからと言って荷台に人が乗るような)危なかしいトラックに乗り込むようなものである。最近、彼らとの付き合いも止めてしまおうかと考えているが、夢では、彼らとの交際は健全なものではないということを示しているようである。
運転手は別として、私が助手席で二人が荷台に乗るということであるが、夢ではこの二人が自ら荷台に乗ったような感じであったと記憶している。乗ってみて、分かるのであるが、正直に言えば、荷台の方がはるかに安全である。運転席は助手席よりも損傷が少ないようだった。つまり、私が一番危ない場所に座っているということになる。そういうところから、彼らと一緒にいることは、私自身を最も危ない位置に追いやることになるのではないかと感じられたのである。
12月23日
(夢27)「音の出ないレコードの夢」
家にいる。兄のレコードを整理している。そのうちの何枚かをプレーヤーにかけてみた。しかし、音は出ない。また、以前買ったレーザーディスクも見てみる。画面は映るけど、同じように音は出ない。
(連想と感想)
これは、最近、現実にあったことで、実家の天井裏から昔のレコードを見つけ、持って降りたのである。そこには、私が買ったレコードもあれば、兄が買ったものもあった。それで、30年近く前に買ったドーナツ盤をプレーヤーにかけてみると、今でも十分聴くことができるので驚いた。昔の物は長持ちするものである。CDではとても無理ではないかと思う。
現実には聴くことができたのであるが、夢では音が出ないことになっている。LDでも同じことが起きている。正直に言えば、30年前のレコードが聴けなかったらよかったのにという気持ちもあった。天井裏で見つけた時は、懐かしいな、今でも聴けるかなと、胸躍らせたのであるが、実際にレコードをかけてみると、懐かしいというよりも、虚しいような気分に襲われたのだ。当時のレコードを聴いて、楽しい思い出など蘇るはずはなかったのである。あのまま天井裏に封印しておくべきだった。そういう感情が夢で現れているように思う。つまり、レコードがもはや聴けなくなっていたらどれだけ良かっただろうということである。
12月24日
(夢28)「動かない体の夢」
私は布団に入って眠っている。トイレに起きる。再び布団にもぐったのだけど、部屋の扉が開いていて、廊下の電気が点けたままになっていた。私は起きて、消灯し扉も閉めようと思うのだが、金縛りにあったように体が動かない。
目が覚めると、私は布団の中にいて、扉も閉まっているし、廊下の電気も消えているのを確認した。あれは夢だったのかどうか一瞬はっきりしなかった。
(連想と感想)
前日、テレビで超常現象の特番を見た。司会はビートたけしさんで、オカルト肯定派と否定派に分かれて、ゲストが討論していた。なかなか面白くて、思わず真剣に見入ってしまったのだが、それが影響しているのかちょっと不思議な夢だった。
ところで、私は心理学と出会う以前に、少しだけオカルト研究に手を染めたことがある。当時、不思議な体験をよくしたからなのだけど、自分の体験を理解するためにはオカルトの研究が必要だと考えたのだ。
あのままオカルト研究を続けていたら、恐らく肯定派に与していたことだろう。今では、否定派とまでいかなくても、私はかなりの懐疑派である。例えば、心霊写真や心霊映像というものはかなり怪しいと考えている。幽霊とは死んだ人の霊魂だという主張には反対しない。ただし、その霊魂が生前の姿のまま現れるというのは、私には疑問である。なぜなら身体は物質だからである。しかし、身体と霊魂とはそれほど切り離せられないものだと言われれば、私は反論する根拠を持たない。ならばそこまでは認めるとしよう。しかし、衣服はまったくの物質であり、その人と密接に関係しているとは必ずしも言えないと思う。従って、あらゆる幽霊は裸でなければならないはずである。ところが、ああいう写真や映像は、テレビで放映できるようにという幽霊側の配慮があるのか、きちんと服を着ていたり、局部が移らないように上手に姿を現わしてくれている。そこがおかしいと思う。
オカルト研究では、常に「そこはおかしい」という部分が少なからず見られる。その「おかしい」と思われる部分について、納得のいく説明がなされないことが多いので、私はどうも懐疑的になってしまうのである。
12月25日
(夢29)「雑誌と記録を読む夢」
書店に行く。近所にある店だ。中は薄暗く、寂れている。昔集めていたEQMM(エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン)を見つけて、思わず手に取る。今でも続いているのだと思った。しかし、中を開くと、全然知らない作家の作品が連載されている。私は本を元に戻した。
その後、職場にいる。以前のカウンセリングの記録を整理している。クライアント一人一人の名前を見てはその人のことを思い出している。中には、もう思い出せない人もいた。記録を読んでも果たして私がやった仕事なのかどうか不確実に感じられた。
(連想と感想)
書店は実家の近所にある店で、子供の頃はそこでよく本を買っていた。初めてEQMMを買ったのもその店だった。今でもその店はあるのだけど、繁昌はしていない。馴染みのあるお店が寂れるのを見るのは、何となく切ないような気持ちになる。
EQMMは、ハヤカワが出していた方ではなくて、光文社から出ていた方だった。それは隔月に刊行される雑誌で、私は1990年から95年にかけて購読していた。95年で中断したのは、ミステリよりもカウンセリングの本の方が面白くなっていたからだった。実際は93年頃からミステリ小説はあまり読まなくなっていた。あのまま、購読を続けていたらどうなっていただろうか。どうも98年ころに廃刊になったようなのだが、夢では刊行され続けている。手に取って内容を確認するも、私が知っていた頃のEQMMではなくなっていたわけである。昔のものはすっかり変わってしまっているという寂寥感を覚える。
12月26日
前夜は忘年会があって、ちょっと飲みすぎてしまった。夢どころか、二日酔いで目覚めた始末である。
私はお酒に強い方であるらしい。自分ではそう思わないが、周りの人はみんな認める。相当な深酒をすると、私は別人になる癖がある。これは人間が変わるという意味ではなく、アイデンティティが変わるのである。昨夕、私はドラマーだった。割り箸をドラムスティックに見立て、食器はシンバルということで、延々とリズムを刻んでいたようである。
過去には、私はカメラマンになったこともある。使い捨てのカメラ(当時は写メなどなかった)で、林家ペーさんのように写真を撮りまくったのである。ダンサーになったこともある。踊った覚えはないけれど、私が踊ってるところをしっかり写真に撮られている。シンガーになる人は多いけれど、私は酔っ払っても歌わない。人形造形師になったこともある。串と焼き鳥で人形を作った(食べ物で遊ぶのはやめましょう)のである。両腕は手羽で、両足はつくねで作った。我ながらよくできたと思った(ロールシャッハテストの図版で、その焼き鳥人形とそっくりなのがある)。ちなみに、その焼き鳥人形は、その後、しっかりと私の胃袋に収まった。
飲むとバカなことをしてしまうのだけど、酔っ払って、カウンセラーになったことは一度もなかった。昔はカウンセラーをしてますと周りに言うことができていたのだが、これを言うと、飲み会の席で必ず相談をもちかけられてしまう。お酒を飲む席でも、私はカウンセラーでいなければならないことなる。それに耐えられず、今では私は誰にも、私がカウンセラーであるということは伝えていない。飲み仲間からは「一体、何の仕事をしているの?」と訊かれるのだけど、その都度、「それはひ・み・つ」と言ってごまかしたり、「ご想像にお任せします」と茶化したりして逃げている。
最近はお酒を飲むことが苦痛になっている。今回は前々からの約束だったので出席した。年内にもう一回、忘年会がある。それが終われば、酒から離れようと考えている。カウンセラーとして生きている以上、カウンセラー以外にものになる必要はないだろう。
12月27日
夢を忘却してしまう。
<6週目を終えて>
どうも昔を思い出させる夢が多かったように思う。ただ、その昔は、現在とはつながっていないという印象がある。それは悪い意味で断絶しているのではなく、昔の物は昔のままにしておいて、現在にもちこまないようにしようと語っているようである。30年前のレコードもEQMMも、兄夫婦たちと同居した経験も、現在に持ち越すのではなく、記憶の中に留めておきなさいということではないだろうか。
あと、25日の忘年会を始め、お酒を飲む機会が多かったので、夢にも何らかの影響があったかもしれないし、そのために夢を覚えていないということもあった。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)