コラム11~誰の何が問題? (約2400字)

 

 他人の会話を盗み聞きするというのは、私の趣味の一つであります。駅や電車の中、飲食店などにおいて、気になる言葉が発せられると、私はそれに耳を傾けてしまい、彼らの会話を聴いてしまうのであります。それは趣味というよりも、病気のようなものであります。しかも、まったく聞いていないかのように、あたかも彼らに関心がないかのように装いながら、しっかり傾聴し、観察しなければならないので、なかなか技術を要する趣味(病気)であります。

 先日、とある居酒屋さんで、私が一人で飲んでおりますと、すぐ近くの席で怒っている声が聞こえてきました。それとなく見てみますと、そこには二人の男性会社員が対坐しておりまして、怒っている方は四十前後、怒られている方は二十代前半くらいの人でした。明らかに上司と部下の関係であることが分かります。

 さて、この上司の方は、若い部下に、「新しいスーツを買え」などと怒っているのであります。私はトイレに立つフリをしながら、この若い男性社員の服装を見てみましたが、特におかしいとか乱れているとかいうようなことはありませんでした。なかなかしっかりしたスーツを着こなしていました。

 上司の方は、部下を叱り続けています。「新しい服を買え。金がないのか」などと迫ります。部下の方は黙々と上司の怒りの言葉を聞いていました。彼は反論するでもなく、上司に同意するでもなく、黙々とその場に佇み、ビールを飲んでいました。上司はそれ以外の事でもその部下を厳しく叱ります。部下の方は、相変わらず、黙々とビールを飲んでいます。上司はついに匙を投げたのか、部下を連れて店を出ました。

 ここにその一言一句を掲載することができれば面白かったのですが、そういうわけにもいきません。私が感じたことは、明らかに、この口論は上司の負けでありました。彼は、スーツを新調することが部下にどのような利益をもたらすかということを明示することができませんでした。ただ、新しいのを買えと迫るだけだったのであります。

 ところで、この議論、毎日同じスーツを着ている部下に問題があるのか、そういう部下を問題だと捉えている上司に問題があるのか、とても不明瞭であります。実は、人間関係にはこのような誰の問題であるかがはっきりしない問題というのがよくあるのであります。

 

 私がよく経験するのは、上司や教師とか親など、その人よりも権威のある人から「君はもっとこんな風になった方がいい」などと言われてしまい、そのことで悩んで、彼らの言うとおりの人間に変わろうとして、カウンセリングを受けに来る人たちであります。

 ある男性は「自分は社交的ではないので、それを改善したい」と訴えてカウンセリングを受けに来ました。私は「あなたが社交的ではないというのは誰がそう言ってるの?」と、話し合いの途中で彼に質問しました。彼は「上司がそう言うのです」と答えました。彼の話によると、飲み会か何かの場で、上司が彼に「君はもっと社交的になった方がいいよ」と言ったそうであります。彼にはその上司の言葉はとても意外なものでありました。彼自身は、自分は特に社交的ではないかもしれないけれど、それほど非社交的でもないというように自分自身を捉えていたのでした。しかし、上司の一言は彼の自己像に疑問を投げかけることになってしまったのでした。

 彼が社交的かそうでないかは実は問題ではありませんでした。彼が社交的ではないというのは、その上司の視点であって、その上司の見方がそのまま彼に持ち込まれてしまって、それが自分を見る見方になってしまっているということの方が問題だったのであります。分かりやすく言えば、彼が非社交的であると見ている上司の側の問題が、彼自身の問題になってしまっているということであります。実際、上司のその言葉を受けるまでは、そのことは彼には何ら問題にはなっていなかったのであります。

 また、ある母親は「うちの子供に問題があって、一度見てやってほしい」と訴え、子供をカウンセリングに行かせると言いました。私は、お母さんが子供の予約を取るのではなく、子供に自分で予約を取ってほしいと頼みました。いまだにその子供からの予約の電話はありません。ここでも、子供に問題があるのか、子供に問題があると見ている母親に問題があるのかということは明確ではありません。社交的になった方がいいと上司に言われたクライアントは、実際に面接を受けることで上司のいいなりになったのですが、この子供は少なくとも母親の言うとおりには動きませんでした。この母子の対決は、子供の勝ちでありました。

 

 人間関係というのは複雑で、それが誰の問題であるか、誰にとっての問題であるかがはっきりしないことも多く、それは自分の考えや物の見方なのか、誰かの考えや物の見方なのかということも一つ一つ確認していかなければ見えてこないものもたくさんあります。人が人間関係に悩むのは、人間関係で生じるこういった複雑な交錯がもたらす混乱が絡んでいるということは確実であります。一つ一つ解きほぐすには、自分一人では難しいものであります。なぜなら、その人は既に、何が最初から自分にあったもので、何が後から他人によってもたらされたものであるかが不明確になってしまっているからであります。

 

 さて、居酒屋で見聞した二人のことに戻りましょう。部下に問題があるのか、部下に問題があるとみなしている上司に問題があるのか、それは分からないまま終わりました。ただ、この勝負は部下の方が勝ったということであります。それ以外のことは何一つ確実にはできませんでした。しかし、一つだけ確実に言えることは、この二人の会話を楽しんで盗み聞きしている私に問題があるということであります。それは彼らの問題ではなく、私の問題であります。

 

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

 

 

 

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