12年目コラム(88):筆のすさびに

 開業して12年目。何か記念に残ることをしようと思って綴り始めたこのコラムも、そろそろ終了しないといけない。そして次のことに着手していかないといけない。そう思い始めている。

 思えば、何の方向性も持たず、何らの構成も持たずに、いきなり書き始めたシリーズだ。その都度、今度はこういうテーマで書こうと決めては書いて、また次を決めては書いてという具合に進めてきた。ずいぶんいろんなことを綴ったように思う。

 途中、怪我をしたりとか、他の作業に追われたりとかで、中断したこともあったし、必ずしもコンスタントに順調に進められたわけでもなかった。当初の予定以上に期間が伸びたし、予定以上にコンテンツも増えた。まあ、それでも、曲がりなりにもどうにか続けてこられたのは良かったことだ。

 開業した時は、とにかく10年続けられればいいという思いだった。そんな思いでスタートを切ると、ホント、10年目辺りで迷いが生まれてきた。無意識っていうのは怖いものだと思った。

 そこをどうにか乗り切ろうと奮闘してきた。乗り切ることができたかどうかは不明だけど、一つの区切りとしてこのコラム綴ってきた。

 結局、僕の信じているところのものが僕にとっての現実になる。これは本当にそうなのである。

 僕が自分は病気だと信じれば、僕は自分の中に病気を積極的に見出してしまうだろう。すると、その病気は僕にとっては現実のものとして迫ってくる。そして、いつしか、それは現実になってしまう。

 自分が健全だと信じていれば、僕は自分の中に健全なものを見出すだろう。でも、これは必ずしも病気を否認したりすることではないし、病識の欠如を意味するのでもない。病気は潜在要素として僕の中にあることも分かっている。そういうことではなく、僕が健全なものを自分から見出せば見出すほど、それが現実になってくるというだけのことである。

 従って、もうダメだと信じた時が終わりなのだ。それは現実になっていくからである。

 これまでも何度も浮き沈みを経験してきた。迷いまくった時期もあった。この一年なんかはけっこうたいへんな年だった。それでも自分がもうダメだとは信じていない。僕にはまだ向上と復活の可能性が開かれているのを感じる。僕は僕の中にあるその可能性を信じている。

 自分が一番だとは思わない。僕よりも優れた人たちはいくらでもいる。それでも、ある程度、僕はそれなりに優秀な臨床家だと自負している。今後も、必ず、多くの人が僕を頼って来てくれると信じている。僕はそういう人たちに何らかの形で力になれると信じている。そういうことを僕は信じて疑わない。そのために必要な努力も惜しまないつもりである。

 日々、学ぶことがたくさんある。僕自身からも学ぶ。僕が経験してきたこと、今経験していること、これから経験するであろうことからも学ぶ。書物からも学ぶ。先人たちの遺産から学ぶ。そして、出会う人から学ぶ。クライアントであれ、クライアント以外の人であれ、その人たちとの関係から僕は学ぶ。学びは尽きない。

 学べば学ぶほど、僕は豊かになる。自分や人間について考えれば考えるほど、僕は自分や人間についての知を獲得する。僕がそうした知を獲得すればするほど、僕は新たな自分を発見し、他者の新しい姿に出会う。このプロセスにゴールはないのだ。

 筆のすさびのように綴ってきたこのコラムも、この辺で筆を置こうと思う。12年間にいろんな人と出会い、いろんな経験をした。それ以前の時期においても、いろんな人に出会い、いろんな経験をしてきた。一人一人との経験が、一つ一つの出来事が、僕を作ってきた。これからも僕は自己形成をしていくだろう。生きている限り、それをしていきたいと思う。

 これまでに出会った人たちに感謝を、そして、これから出会う人たちには希望を込めて、このコラムを終えることにする。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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