12年目コラム87):サイトを作る

 

 今の僕からは想像もつかないことだけど、初めてホームページを作成した時は、何をどう更新していいのかわからなかった。一番最初のサイトだ。業者さんは更新してくださいと言ってくるのだけど、何をしていいか分からなかった。とにかく、何か書いてくれということだった。

 次のサイト(旧サイト)では、月に一度、原稿を渡して、業者さんがそれをサイトにアップしてくれていた。この旧サイトから僕はあれこれ書くようになった。こんなものでいいのだろうかと僕が疑念を抱くと、担当の人はいいんですよと、どんどん書きましょうというように言ってくれた。その言葉に乗せられて、調子にのって書くようになった。

 書いていると、やはり読んでくれる人がいる。それが少しばかり嬉しかった。クライアントからも読んでいると言ってくれる。

 旧サイトは、ページに制限があった。5ページしかなかった。そこに追加ばかりしていくので、1ページが長くなる一方だった。ページを増やすこともできるのだけど、その場合、お金がかかってしまうのだ。そこが難点だった。

 今のサイトは、何ページでも自由にできるというのが魅力だった。それだけで業者を乗り換えた。それが今あなたがご覧になっているこのHPである。

 

 さて、僕のサイトは見てわかるように文章だけのHPだ。IT業者からは実にあれこれと言われた。最近では、文章ばかりで殺風景だと評した人もいたし、出版社さんからは最後まで書いたものがあるかと言われた。誰も分かっちゃいないのだ。もっとも、僕もそういうことを言わないのだから当然ではあるが。

 何人かのクライアントは僕のサイトを見ていると報告してくれる。中にはしっかりと読んではるんだなと、僕の方が感心する人もある。

 みんな、僕に興味を持ってくれているんだと、初期の頃には、愚かにもそう信じていた。確かに興味を持ってくれているのだけど、それ以上のものがあるのだということを、僕はクライアントから教わった。

 クライアントの全員ではないけど、彼らの中には、不安に襲われた時に僕のサイトを読みたくなると打ち明けてくれた人もある。ああ、そうだったのか。かつて、僕がN先生のカウンセリングを受けていた頃、診察券をじっと眺めて過ごした、あの経験をクライアントたちもしているのだと、改めて感じたのだ。

 つまり、僕の場合もそうだったし、彼らもカウンセラーがここにいて欲しい時にカウンセラーがいないという状況があるわけだ。そして、カウンセラーの不在をカウンセラーの存在を感じられる何かで補うのだ。その何かがあることで、カウンセラーの存在を感じられるのだ。僕のサイトがそのように読まれていたのだと初めて分かったのだ。

 これは、言い換えれば、クライアントが僕のサイトを「補助自我」として活用しているということである。

 もし、彼らが僕の書いたものを「補助自我」として、僕の不在を補ために利用しているのであれば、僕は僕の書くものに僕自身が感じられるようにしなければならない。そう思うと、あまり論文調の無個性的な記述ではダメなのだ。もっとも、そんな記述は僕にはとてもできないのだけど。それよりも、僕という人間が感じられるような記述を目指さなければならないのだ。

 そうして、僕の書くものは、普段のお喋りのようなものになっていった。内容も構成も考えず、行き当たりばったりで書くようになった。きっちり準備して、きっちり手直しした文章は、当然そちらの方が望ましいのだけど、それではダメなのである。クライアントの「補助自我」になるためには、このサイトに僕がはっきりと表れていなくてはならない。金太郎飴のどこを切っても金太郎が顔を出すように、このサイトのどのページを開いても僕が現れるようでなければいけない。そういう思いで綴っている。

 

 他にも、このサイトに関して、クライアントから教わったことがいくつもある。何件か紹介しよう。

 ある男性は仕事中に、ちょっとした休憩時間に僕のサイトを読むと話した。職場に馴染めない男性だった。彼は5分程度で読める分量がちょうどいいと言う。それから僕の書くものはA4にして5枚(今は3枚)と決めたのだった。

 5枚なら5枚で、その中に僕の言いたいことを詰め込もうと考えて、ある程度それを実践していた。ある時、次のように話した女性クライアントが現れた。

 彼女は、孤独を感じると僕のサイトを開くと言う。彼女曰く、もっと話してほしいのにすぐ終わってしまのが不満だということだった。もっと読みたいのに僕のコンテンツの方が彼女の願望よりも先に終わってしまうのだ。その瞬間、彼女は僕から切り離されたように感じると言う。

 よし、僕は彼女を切り離さない。彼女の方が満足して僕から離れるまで、僕は書き綴る。そう決心した。以来、僕の書くものは、より長々と、よりダラダラと、より延々と続くようになった。多分、今ではさらにもっとその傾向に拍車がかかっていると思う。そして、無理に分量内に収めようともせず、何回にも分けるようになった。

 

 あと、こういうご意見も伺った。事例を最後まで読みたいと。

 確かに、僕は事例を書く。しかも、最後まで書かないまま終わるものも多い。どうして途中までしか書かないのか、それにはいくつか理由があるのだけど、大きな理由が二つある。

 随所で述べることだけど、僕は事例を書く際に、個人が特定できないように様々なアレンジを加えている。このアレンジは、カウンセリングの初期の頃にはやりやすいのだけど、終盤になるほど難しくなる。と言うのは、現実のカウンセリングでも、後半になるほど、その人固有の動きを見せるようになるからである。そこをなんとかアレンジして提示してもいいのだけど、おそらく整合性を欠くだろうと思う(もっとも、専門家でない限り気づかないかもしれない)。それが理由の一つである。最後になるほどアレンジが難しいということ、個人が特定されてしまいかねないということである。

 もう一つの理由としては、最後まで書くことによって、「終結」を意識してしまう人が現れるのではないかと僕が危惧しているからである。この人はまだ「終結」を受け止められないかもしれない。そういう人に対して「終結」の場面を提示してしまうことが憚られるのである。

 その他、こうすれば「終結」を迎えることができるなど、そういう利用のされ方をされるのも困るといった理由がある。

 事例に関しては、最初はカウンセリングの実際を知ってもらうということを目的としていた。今では、一人一人のクライアントが示すドラマを見て欲しいという気持ちの方が強い。法則や公式などをそこから導き出すことよりも、カウンセリングの場面も含めて、その人の置かれている状況、その中で繰り広げられるドラマの方こそ見て欲しいと思う。

 この目的に立脚すれば、事例を最後まで書くかどうかなんて二の次になってくるのである。

 

(付記)今回も、この下に僕の名前が出てくる。金太郎飴の金太郎さんのように、どのページを開いても僕の名前が出るようにしてあるのだ。

 

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

 

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