12年目コラム(84):箱庭研究会
この研究会も楽しい思い出がたくさんある。記念すべきパフェ友第1号ともここで出会ったのだった。
パフェ友というのは、一緒にパフェを食べる友達という意味だ。僕の造語だ。
僕も甘いものが好きで、時々、パフェとか食べたくなる。でも、男一人で食べている姿はちょっと情けない感じがしないでもない。そこで一緒にパフェを食べてくれる友達を探していたのだ。
彼女は確か九州の出身だった。僕より一つ年上だったんじゃなかったかな。どこか不思議なところもあるけど、可愛い人だった。
どういう理由かは知らないが、並んで歩く時は彼女の右側に並ぶように求められた。それで僕はいつも彼女の右側を歩く。ある時、大阪の地下街で、人ごみに紛れた拍子に、僕は彼女の左側に廻ってみた。彼女は何事もなかったかのように、ペチャクチャとお喋りしてる。僕は彼女に「何か気付かない?」と尋ねる。彼女は「あっ!」と言って、僕の反対側に廻ろうとする。僕がそれを阻止しようとする。そんな場面もあったな。人の多い地下街で何を遊んでるのだと、今になってちょっと恥ずかしかったなと思う。
彼女は大阪に出てきて、アルバイトで生活していた。毎日、長時間働いていた。かなり無理してたんじゃないかと思う。それでも時間を割いて、一緒にパフェを食べてくれたのは、本当にありがたいと思う。
その後、彼女は九州へ帰ったようだ。でも、ある時、大阪の総持寺駅近くでたこ焼き屋を始めたと、彼女から連絡があった。小さな店を持ちたいと彼女は言ってたように記憶していたので、彼女は自分の夢を叶えたんだなと思った。たこ焼き屋、いいじゃないか、大阪では立派な職業だ。
僕は彼女の店に行こうと思った。そのつもりで家を出たんだけど、僕はどんな顔して彼女に会えばいいか、途端に迷い始めた。何年も会っていないから、会いたいという気持ちもある一方で、お互いに別々の道を歩み始めたことで距離感を感じ、会い辛いという気持ちもあった。
取り敢えず、総持寺駅まで行った。迷いまくった挙句、僕は彼女と会わないことに決めた。やはり、過去の思い出にしておいた方がいいのではないかと、そういう気持ちに傾いていったのだった。
彼女には悪いことをしたな。お店に行くと言って、結局、行かなかったから。僕のことを怒っているかもしれないな。
今頃、パフェ友はどうしてるだろう。幸せになっていてくれたらいいなと思う。
あの当時、僕に親しくしてくれた彼女に感謝している。僕は彼女が好きだった。当時、僕はクリニックに勤め始めたばかりの頃だった。分からないことや間違えることも多く、よく叱られもした。不安になることや落ち込むこともあった。でも、パフェ友がいてくれたことは、僕には救いだった。僕は幸せだった。
参加者の一人から、「寺戸さん、あの子(パフェ友)のこと好きなんちゃうん?」と指摘されたことがある。「見れば分かるわよ」なんて言われた。しかし、大阪のおばちゃんはなんでそんないちいち指摘せんでもええようなことを、いちいち指摘してくるんかいな。放っておいてくれたらええのに。
でも、ひょっとしたら、僕が彼女のことを好きだったのは、参加者にはバレバレだったかもしれないな。
いかん、いかん、パフェ友のことばかり書いているな。しかもオノロケ話ばかりしてるんじゃないかという気がしてきた。箱庭研究会の思い出を綴ろうという計画だったのに、横道に逸れまくってしまったな。
箱庭研究会の資料は今でも僕の書架に飾られている。大切に残してある。僕も2回、箱庭を作ったし、毎回、楽しかった。パフェ友がいてくれたので、一層、楽しかった。
研究会は、一人の参加者が箱庭を作る。その間、他の参加者は記録を書き、最後に感想を言い合ったりする。そのセッションが2回ある、つまり毎回二人が作る。
一人の女性参加者は、僕の感想とか指摘が鋭いということを言ってくれた。僕はひねくれているだけで、他の皆が言ってないことを言おうとしていただけなのだけど。
研究会は午前中だけで、終了後は先生と一緒に皆で食事に行ったりした。それも楽しい思い出だった。先生の考え方や、他の方々、カウンセラー志願の人たちの考え方なんかにも触れることができたのが良かった。毎回、とても新鮮だった。ちなみに、その後で、僕とパフェ友だけ別行動をするのだけど。
今の僕は箱庭に興味を失っている。置きたいとも思わない。箱庭を採用しようとすると、それ専用の部屋を一室設けないといけないのだ。意外と場所を取るものなのだ。それに、箱庭に使用する玩具もこまめに手入れしないといけないし、クライアントが作っている途中で壊れたりしたらカッコ悪い。はっきり言って、箱庭は採算が取れないのだ。
その後、パフェ友第2号が僕の人生で現れた。初期のブログに時々登場するYさんがそれだ。今、パフェ友第3号を募集中だが、もう、そのような女性に出会うこともないかもしれないな。
また、僕は個人的に、九州の女性と京都の男性は相性がいいと感じているのだけど、その基盤にあるのは、パフェ友との経験だった。
パフェ友第1号の彼女は、かように、僕の人生に間違いなく痕跡を残している。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)