12年目コラム(61):臨床心理の日米欧(7)~実験
前回、心理学の王道は実験にあると言ったけど、実験とはどういうものかを今回は述べてみようと思う。
例えば、新薬の効能を調べたいとする。この時、あなたはそれを調べるためにどんな手続きを取るだろうか。
例えば、被験者を集めて、それを3つのグループに分ける。Aグループは新薬を投与する、Bグループは旧薬を投与する(比較対象群である)、Cグループは無投薬(無統制群)とする。この3グループにおいて、症状がどのように推移したかを調べ、データを集める。
Cグループに見られる改善は、これは純粋に自己治癒力による改善となる。Aグル―プとBグループの改善率の差が新薬の効能ということになるが、そこからさらにCのデータが差し引かれなければならない。これらを統計処理するわけである。
その結果、Aでの改善率が85パーセント、Bでは50パーセント、Cでは30パーセントというデータを得たとする。このデータによって、新薬には効果があると証明したことになる。
しかし、上記の手順で、果たして、本当に新薬の効果が測定できたと言えるであろうか。新薬の効能があると断言できるためには、新薬以外のあらゆる要素を除外していかなければならない。
そこで、この実験がどういう手続きで行われたかが問題となる。被験者は新薬組と旧薬組に分けられていて、それぞれの薬を医師が処方するというのであれば、自ずと誤差が生じてしまう。なぜなら、誰に新薬が処方されたかが分かるということは、検査結果に影響するからである。
そこで、被験者には自分に処方されるのが新薬か旧薬かを知らせないようにする。同じように、処方する医師も誰に新薬を処方し、誰に旧薬を処方しているかを知らさないようにする。これを二重盲検法と言うのであるが、こうすることによって、少しでも他の影響を除外していくのである。
その実験によって、新薬の効能が旧薬の効能よりも上回るというデータが出たとする。例えば、新薬での改善率は80パーセント、旧薬の改善率は60パーセントであったとしよう。これによって、新薬の効果が証明できたと言えるだろうか。
しかし、旧薬での改善率は最初の実験よりも高くなっているし、新薬での改善率は少し減っている。となると、これは必ずしも新薬の効能を正確に示しているとは言えないという反論が生じるのである。どうしてこの差が生じたのかを検討しなければならない。
最初の実験の無投薬グループでも30パーセントの改善率があったことを考えると、医師が薬を処方する、あるいは処方しないと伝えることが、それだけで影響しているのかもしれない。従って、これらのデータには医師の影響が反映されているかもしれないという結論が出たとする。
そこで、こんどは実験手続を改定する。被験者に番号札を渡して、自分の番号の薬を飲むように伝えて、新薬の効果を測定するという方法を採用したとしよう。
今度は医師の影響はまったくないわけだ。被験者は医師と顔を合わせることもない。自分の番号の薬を取り、それを飲むだけである。もちろん、どの番号が新薬で、どの番号が旧薬であるかは被験者たちにはまったく分からない。実験手続としては完璧ではないだろうか。
そうして結果を集計して、統計処理する。結果は、新薬組85パーセント、旧薬組60パーセントの改善率が出たとする。この結果でもって、新薬の効能を証明したということにしよう。
でも、果たして、それは本当に新薬の効能を純粋に証明しているだろうか。
被験者の中には、実験に協力しようという気持ちが働いてしまう人も多い。新薬の効能を調べる実験だと知らされていれば、無意識的にそれに協力してしまう人もあるのではないか。最初の実験で無投薬グループでも30パーセントの改善率が見られたところからすると、被験者の態度は無視することができないのである。そして、無意識的に協力する人が多ければ多いほど、高い改善率を示すだろうことが予測されるのである。
そうなると、再び実験のやり直しである。今度は、被験者を集めて「これはみなさんが自発的に薬を服用するかどうかを測定するテストです」などとウソの教示を与えなくてはならない。そうして番号札を渡す。無意識的に協力してしまう人は率先して薬を飲むだろう。でも、それは本来の実験目的とは無関係の部分である。
この結果、新薬群70パーセント、旧薬群55パーセントという改善率が割り出されたとする。まだまだ不備な点はあるけど、これを一応最終結果としておこう。
結局、この新薬での改善率は70パーセントであるが、その他の要因があれば85パーセント程度の改善率が見込まれるわけだ。しかし、旧薬においても60パーセント程度の改善率があるから、単純に比較すれば、新薬は旧薬よりも10パーセント程度良くなっているだけである。しかし、無投薬群でも30パーセントの改善率が見られたのだから、やはり単純に比較すれば、新薬は、薬を服用しないよりも40パーセントほど改善に効果があるが、旧薬とは10パーセントしか差がないということになる。これを統計処理にかければ、薬を服用するのとしないのとでは有意差があるが、旧薬と新薬の間では有意差がないということになるのである。
もっとも、上述の実験手続はまだまだ荒いものである。どの実験でも無投薬群を置いた方がいいかもしれないし、第4のグループとしてプラセボ(偽薬)群を置いた方がいいのであるが、説明が煩雑になるのを避けて、カットしたまでである。
さて、僕も実験云々の世界から遠ざかってかなり経つので、上記の実験手続きが正しいものであるかどうかにまったく自信が持てないのであるが、要は、実験で何かを証明しようとすると、必ず反論が起こり、実験手続きや統計処理の不備などが指摘され、再実験を繰り返すことになり、ようやく最終の結果に辿り着くわけである。その最終の結果にさえ、反論が生じないわけではないのである。
現実には、その仮説の検証として、適切な実験が採用されるものであるし。現実の実験に入る前に、その実験が正しくその仮説を検証できるかが入念に検討されるのである。さらに、できるだけ他の要素が入り込まないよう、十分に条件を統制してから実験に入るものである。それでも、やはり、不備な点や反論が生じてしまうのである。
こうして、一つの仮説を実証することは、たいへんな作業を繰り返し、何度もやり直したりすることもあるし、それだけの年月を要することなのである。これをやっている心理学者たちが、やはり王道の道を進んでいる人たちであるように僕に思えるのだ。
(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)