12年目コラム(73):世相編~できてしまった婚
「できてしまった婚」とは、要するに「できちゃった婚」のことだ。僕は「できてしまった」と呼んでいる。
一昔前に比べると、「できてしまった婚」は抵抗なく受け入れられるようになった気がする。もっとも、「できてしまった」の部分は何も変わっていないのだけど。
結婚前に子供が「できちゃった」わけだ。一人の生命が誕生したのに、それを「できちゃった」はないだろう、と個人的には思う。むしろ、当事者からすれば「できてしまった」の方が的確なんじゃないかと思う。いずれにしても、象徴的には私生児の誕生なのだ。子供ができちゃった、籍を入れる、責任は果たした、それでもその子は象徴的に私生児なのだ。
その子供が象徴的に私生児であるというのは、その子供が両親の人生計画に組み込まれていなかったという事実に基づく。まあ、僕の個人的な見解に過ぎないのだが。
それよりも、僕は上手くいかない夫婦を何人も見てきた。DVだったり離婚問題だったりするのだけど、そうした夫婦たちはほぼ全員が「できてしまった婚」者だった。以来、「できてしまった婚」は問題が多いと思うようになった。そればかりか、「できてしまった婚」そのものが当事者たちの問題や病理の表れであると、今では信じている。
(中絶)
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)