12年目コラム(43):Op4「うつ病と喪失」

 「うつ病」は何かの喪失を契機にして生じるということが知られている。この喪失に対して、正常な悲哀の過程を踏めないということが「うつ病」の「病理」である。(フロイト)
 従って、喪失を意識化し、それに対して十分に悲哀感情を体験することが「うつ病治療」の一つの要となる。つまり、悲しむことの回復である。
 「うつ病」と診断された人の話を伺っていると、彼らは自分が何を喪失したかを述べることもよくあるし、しばしばそれに対して「悲しい」と訴える。
 この「悲しい」は彼らが体験している言葉にしようがない感情を敢えて言葉にした場合に述べられるものである。言いようのない感情を体験しているのだけれど、それを敢えて言語化すると「悲しい」としか言いようがないということである。従って、「健常」な人のようには悲しんでいないと言われる。(クラウス)
 一方、喪失体験の方であるが、これは当人が価値を置いてきたものの喪失であり、目に見える物から、健康とか自尊心とかいうような目に見えないものまでをも含む。
 また、喪失という観点よりも、変動という観点を強調する人たちもあるが、どちらがより該当するかは、それぞれの「うつ病」体験者によって異なるというのが私の見解である。
 この喪失体験であるが、時に、当人自身にもそれが見えないということがある。一見すると、その人は何も喪失していないように見えるというようなケースもある。しかし、そうしたケースにおいても、丹念に見ていくと、やはり何らかの喪失体験をしていることが窺われる。
 本項では、一人の男性クライアントのケースを追って行って、「うつ病」における喪失について考察してみる。

 クライアントは30代の男性である。妻との離婚を契機に「うつ病」を発症している。
 ただ、この離婚から2年が既に経過しており、離婚直後から呈していた「うつ」からいまだに抜けられないでいた。
 最初に彼は精神科医を訪れている。そこで彼は抗うつ剤を処方され、休養を取るようにということ、離婚のこと、妻と家庭を失ったことに対して、十分に悲しむようにと助言されている。
 彼は医師の助言に従い、「治療」を継続する。それはそれで効果があったのだけど、どうしても「うつ」からは抜け出ることができないように感じていた。
 治療を始めてから2年が経過しても、彼の抑うつ感情は治まらない。彼は精神科の治療に疑問を感じ、カウンセリングを試みようと考えた。こうして私の所を探し、面接を始めることになった。
 ところで、この医師の処方は正しいものであるということは押さえておきたい。クライアントは自分の理想とする家庭を失っているのである。それを契機に「うつ病」が始まっているのである。彼の「うつ病」が彼の離婚や家庭と関わっていることは否めない。
 初回の面接で、彼は自分の「うつ病」の経過を主に話していった。それを傾聴していると、私も精神科医と同じことを彼に伝えたくなる思いがした。
 でも、彼は「十分に悲しんだ」と述べる。毎晩、帰宅すると独りで泣き暮れたと彼は語る。今でもそれをしているのだと言う。十分に悲しんでいるのに、どうして気分が晴れないのだろうと、彼は訴える。(中絶)

(解説)
 この事例について。
 カウンセリングを通して明確になったことは、彼がこの2年間、後悔と自責だけをしてきたということであり、本当は悲しんでいなかったということでした。
 対象喪失をそのまま悲しむということが如何に難しいことであるかを、この事例を通して示そうとしたのでした。
 もう少し彼事例について述べると、一次感情喪失と悲哀から二次感情後悔と自責へと速やかに移行し、二次感情にだけ彼は取り組んでいたということなのです。
 まず、最初に、彼は妻と子供がもういないのだ、自分は家族を失ったのだという気持ちに襲われます。これが彼の一次感情です。この一次感情に続いて、自分があそこであんなことをしなければ良かったとか、家族を傷つけた自分はなんてひどい人間なんだといった感情が現れてきます。これらが二次感情です。
 カウンセリングは、まず、彼にこの感情の区別をすることが目指され、次に、一次感情に留まることを目標に進められました。
 私の言う一次感情とか二次感情とかいうことを、初めの内、彼は理解できませんでした。彼の中でそれは一体になっているのです。悲しくなった時に、どういう順番で思考や感情が進行していくかをよく見ていくように、彼を励まします。もちろん、最初はなかなか上手くいきませんでした。
 徐々に、彼は私の言っていることが理解できていったのです。ただ、最初の一次感情の方は、確かにその段階があるということを認めたのでしたが、その段階は本当に瞬間的にしか把握できないということでした。すぐに二次感情の方が込み上げてくるということでした。それでも、一次感情に気付いたということは、彼のカウンセリングにおいて、大きな進歩だったのです。
 彼は、カウンセリングを経験して、初めて、悲しむとはどういうことなのかを知っていったのでした。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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