12年目コラム(16):動機論(3)

 人が何かの行為をする時には、それをする動機というものがあり、その動機は目標とか欲求などにも関係するし、その人がその行為を続けていく上で直面する困難とも関係している。もう一つ、重要な観点は、その動機の重要度とか意味合いである。これらが変わってくることもあり、その時に困難を覚える例もある。
 今回は一人の男性に登場してもらおう。彼は公務員で長年働いてきたが、仕事の意欲を喪失してしまい、援助を求たのだった。
 彼はなぜ公務員という職を選んだのだろうか。その動機は何だっただろうか。
 職業選択の時期になって、彼は「自営業だけはしたくない」と心に決めていたことを覚えている。公務員になるか、せめて大きな会社に入りたいと、彼はそう願うようになっていた。
 真面目で、頭も良く、おかげで彼は公務員試験に受かり、長年にわたってその仕事を勤めてきた。結婚して、子供も生まれ、公私ともに充実した日々を送ってきた。その彼が、中年の域に差し掛かる頃、「突如として」(彼の言葉による)今までの意欲も充実感も失われてしまったのだ。あまりに不具合が続き、回復の兆しが見えないので、彼は精神科を受診する。診断は「うつ病」ということで、彼は休職することになる。休職して一時的に回復したものの、職場復帰しても、やはり以前のようには働くことができなかったそうである。
 彼は自分の中で何かが決定的に変わってしまったと感じていた。しかし、それが何なのかという点に関しては、あまりに漠然としていて、彼はまったく考えられないでいたようだった。
 彼はカウンセリングを受けると何かが得られるのではないか、自分の疑問に対するヒントが得られるのではないかと期待するようになり、いくつかのカウンセリング機関を訪れるが、どれももう一つだったらしく、最後に僕の所に来てくれたのだ。予め言っておくけれど、他の機関がダメだとか、僕が優れているとか、そういうことを言うつもりは僕にはない。ただ、彼の中に在る何かのためにそのような結果になったのだ。
 僕に会って、彼は真っ先に「先生は自営業ですか」と尋ねてきた。僕はそうですと答える。彼は「すべて一人でされているのですか」と更に尋ねる。僕は、誰も雇っていないし手伝ってくれる人もいないし、本当に独りでやっているんですよ、と答える。彼が、他のカウンセラーは信用できず、僕のことは信用できそうだと感じたのは、まさにこの部分であり、これだけだったと今でも僕はそう考えている。
 彼は上述のような経緯を話す。僕はまずそれを伺う。その上で、「公務員を選ばれたのはどうしてでしょうか」と尋ねてみる。これは動機を尋ねているわけである。実は、彼はこれを思い出せないでいたのだ。何となく、「自営業は嫌で、公務員か、大手の会社か」といった意識があったのを覚えているだけだった。
 こういうことはカウンセリングの場面ではよくあることである。そこで、彼の過去に目を転じてもらうことになる。過去を回想していく中で、いろいろなことを思い出していくものである。
 彼が回想したところでは、彼の父親が自営業で、母親もそれを手伝っていたそうだ。家族経営をしていたわけだ。でも、社会や景気の波に見舞われて、両親はとても苦労したそうであり、そのしわ寄せが子供である彼の身にも降りかかることが度々あったと言う。
 彼は思い出す。自営業というのはとても厳しく、家族を不幸にするものだと信じていたことを。こうして、彼は子供ながら「自営業だけはしたくない」という感情を発展させていく。それが、職業選択の時期に、「公務員か、それでなければ大企業か」という意識になっていくわけであるが、根本に「自営業だけはしたくない」という動機が潜んでいたわけだ。彼はこのつながりに気づいていく。
 親が自営業で苦しい時期も度々あった。この状況で「自営業だけはしたくない」という感情を発展させるのも理解できるし、妥当だと思われていただろうと思う。しかし、公務員として働いてきて、それなりに彼の生活や人生に安定と充実が見られるようになると、「自営業だけはしたくない」というこの動機は、もはやその価値や意味合いが薄れてしまうことになる。かつては妥当だった動機、感情は、現在では不似合なものになってしまっている。彼にとって苦しかったことは、子供時代のことでもなく、その動機でもなく、その動機の価値がまったくなくなってしまったという点にあったと思う。
 こうした洞察を得ると、彼はとても速やかに状態が落ち着いていき、この時点で何とかやっていけそうだと信じて、カウンセリングから離れてしまったのだが、僕の考えでは、もう少し続けた方が良かったと思う。これはまだ不十分なのだ。
 彼は「自営業だけはしたくない」という気持ちを持つようになったが、これは自営業を営む父親への対抗感情として生まれたものである。もし、父親に対する対抗感情しかないとすれば、彼は自営業のカウンセラーに対抗意識を持ちそうなものである。ところが、実際はその逆であり、公務員とか会社員のようなカウンセラーを嫌悪し、僕のような個人でやっているカウンセラーに近づきになっているわけである。
 つまり、彼は今では父親を尊敬したくなっているのだと、僕は思う。この尊敬したい気持ちは彼の中で長年抱えられてきた「自営業だけはイヤだ」という感情と衝突することになったのだと思う。もし、彼が長年抱えてきた方を維持しようと思えば、父親を尊敬したい気持ちを抑えるだろうと思うし、そうなったら僕のようなカウンセラーを彼は選んでいなかっただろうと思う。もっと僕を嫌悪していただろうと思う。
 彼は僕にある種の理想化転移を起こしていたわけであるが、これは父親を尊敬し、理想化したいという願望のあることを示していて、おそらく、子供の頃から彼が抑えてきた感情だと思う。
 だから、僕は彼とのカウンセリングで次の段階まで行きたかったのだ。それは、「自営業をしていた両親は、本当に不幸だっただろうか」というテーマである。彼は自分に不幸なことが起きたので、家族全員が不幸であり、自営業イコール諸悪の根源のように認識しているのだけれど、これは子供時代に彼が築いた観念である。子供はしばしばそのように見てしまうものである。しかし、この観念のために、彼は父親を尊敬も理想化もできなかったのだ。もう一度、大人になった今の自我で、当時のことを見なおしてみると良かったと僕は思う。もし、実は不幸だと感じていたのは自分だけで、父も母も幸せそうだったということに気づいたとすれば、彼の人生はもっと違った姿を伴って彼の前に現れてきただろうと思う。

文責寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー

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