<025-11>文献の中のクライアントたち(11) 

 

 引き続き『民間精神病院物語』より、同書所収のケースを抜粋し考察することにします。 

 

 本項では以下のケースを取り上げます。 

(cl54)診断の決め手を欠く14歳男子 

(cl55)医師を刺殺した分裂病患者 

(cl56)麻薬中毒の医師 

 

(cl54)診断の決め手を欠く14歳男子 

 昭和47年1月、「どうしてもダメなんです、先生の病院が満員なら他の病院を紹介して入院させてください」と母親の悲痛な訴えをthは受け取る。 

 患者は14歳男子、中学三年生。 

昭和46年8月から急に彼の態度が変わる。両親に向かって、「きさま、てめえら、子供なんだから金をくれるのが当たり前だ、金よこせ!」と、乱暴こそしないものの、金を渡すまで執拗に悪態をつく。 

 学業成績は悪く、登校を嫌がるようになっていた。午後まで寝ていて、起きると、洗面もせず、金を持って外出。外で飲食し、ジャズ音楽を聞いて帰ってくる。友達は寄り付かなくなっていた。 

 9月から二ヶ月間、精神病院に入院したが、何も変わらなかった。 

 12月にthの初診を受ける。 

 「おまえなんかに関係ない。俺の金ではないか。パーマをかけるんだから、母さん、金よこせ。・・・パーマかけんなって、そんなの俺の自由じゃないか、医者なんか口出しすることか。薬だって、金を取ろうと思ってるんだろうが、そうは上手くいかないぜ。俺は病気なんかではないんだから」 

 感情がたかぶり、思い通りにいかないからなおさら興奮する。タバコをほしがるので、手渡すと、上手に煙を吸い込んだ。 

 Thの問診に乗らないので、明日から学校へいくこと、薬を服用することを約束させて、帰した。入院を希望していた両親は不服そうであったが、診断がつかないので、経過を見るしかなかった。 

 翌日から薬を飲んで登校するようになったが、三日目に、薬の副作用が起こり、教室中が大騒ぎとなる。副作用はすぐに治まり、薬を適量にして、再び登校を約束させた。帰るとき、「どうもありがとう」と言い、様子がある程度戻っていた。 

 両親にも怒らないように約束をとりつける。学校の方では、ちょうど受験勉強の最後の追い込みの時期だったので、他の生徒に迷惑がかかるという理由で、登校は遠慮してほしいと言われていた。相談の結果、特級学級に当分の間預かってもらうことになった。 

 とても素直になりましたと、母親は喜んで帰ったのだが、年が明けて10日目の朝、冒頭の母親からの電話をthは受け取ることになったのである。 

 昨年の暮れから薬がなくなり、飲んでいなかった。正月の小遣いをもらうと、したい放題のうちはまだ扱いよかったが、7日目でお小遣いを使い果たしてしまった。 

 7日の夜9時。親戚のところへ行って、小遣いをもらってくると飛び出したきり、帰ってこなかった。親戚のところにも行ってなかったようである。 

 翌8日の夕方、祖母に連れられて帰宅。「この子をどうして放っておくのか、今のうちなら治るかもしれない」と親族会議を開いて相談し、彼が寝ているところを起こして金を与え、騙して病院に連れてきたということだった。 

 ここが病院と分かると、彼は蒼白な顔をして興奮する。 

 「ふん、俺なんてこれからパーマかけにいくんだぜ」 

 「パーマっていくら?」 

 「タバコくれたら教えてやらあ」 

 「ほら、のめよ」 

 「これはロングピースかい」 

 「パーマはいくら?」 

 「900円だ」 

 「なんだか蒼い顔しているぞ、具合が悪いんではないか」 

 「寝てるところ起こして、騙してつれてきたんだからな。俺、怒ってるんだ」 

 「どうしても嫌なら仕方がない。注射して、帰りなさい。こちらにおいで」 

 「いやだ、いやだぞ、なんでそんなものしなけりゃならないんだ。俺は逃げ出すぞ」 

 「行きたけりゃ、行ってもいいよ。また警察につかまってしまうよ」 

 いやだいやだといいながら、腕をまくって近寄ってきた。麻酔剤を静注。眠ってしまう。 

 以前に彼が入院していた病院に問い合わせると、精神分裂病の疑いがあるようだが、どうしても分からないという返答を受け取る。同僚とも検討したが、これといった決め手がなかった。 

 入院三日目。彼は文句を言い続ける。 

 「どうしてこんな所にぶちこんだ。こんな所にぶちこんだ親なんか・・・チェッ、俺は退院したいんだ。ズボンをどこにやった。家に電話かけさせろ」 

 「何て言うの?」 

 「決まってらあ、こんな所にぶち込んだから文句をつけてやるんだ」 

 「何か用があるなら電話はかけてあげるが、文句をつけるだけならダメ」 

 「だからズボンのこと言うって言ったろう。俺の自由じゃないか、そんなの」 

 「ご飯食べないって言ったね。このミカンむいてやるから食べなさい」 

 「要らない。俺、退院させてくれるまでメシは食わないからな。どうやっても俺はここから逃げ出すから」 

 「別に鍵はかかっていないんだから、行くなら行ってもいいよ」 

 「だからズボンが欲しいんだ。まるでこの病院は暴力病院みたいだな。騙して注射して、誰が入院すると言った」 

 「母さんから頼まれたんだよ」 

 「母さんにそんな権利があるのか、俺がいやなんだ」 

 「子供が肺炎で注射をいやがっても、母さんは押さえつけてでも注射させるだろう。君は病気なんだから仕方がない。退院は病気が治らなければできないよ」 

 「どうすれば治るのよ。どこが悪いんだ」 

 「そんな言葉遣いあるかい。親に向かって貴様だの、てめえだのって」 

 「俺の勝手だ。そんなこと、先生に言わなければいいんだろう・・・タバコくれないか・・・ちくしょう、おれは帰りたいんだ。友達が今日来ることになってるんだ」 

 「タバコ、いつから吸うようになったの?」 

 「そう、中学3年の2学期から」 

 「誰に習ったの?」 

 「習わない。一人で吸ったんだ。俺、逃げて帰るぞ、ちくしょう!」 

 「お茶をやろうか、喉が渇いただろう」 

 「・・・」子供らしい目で、お茶を持ってきた栄養士の顔を見る。すぐにお茶を飲み始めた。 

 「ほれ、ありがとうとお礼を言わないの」 

 「ありがとう」その後、婦長の剥いたミカンをペロリと食べる。 

 「ね、先生、俺、殺人未遂なんだ。今、分かったんだが、どこかでガス栓を開けたんだ。ここにガス栓あるの?」 

 「ここはガスは来てないよ」 

 「それでは違う、家でかなあ・・・」 

 「家でガス栓を開けたら、お母さんが閉めるから心配ないさ」 

 「おかしいなあ、どこだろう」 

 「7日の夜、親戚のところに行かずに、どこにいたの」 

 「そんなこと、俺の自由だろう・・・おかしいなあ。教えてやろうか。S小学校に陶器焼物小屋があるんだ」 

 「君はS小学校を出たのかい?」 

 「そう、その小屋に入っていたんだ」 

 「寒かったろう」 

 「ウン、寒かった。眠れなかった」 

 「恐ろしくなかった? 暗いのによく一人でいれたね」 

 「なんともない。雪で開かなかったが、無理してドアをこじ開けたんだ」 

 「そこにガス栓はなかったかい?」 

 「いや、ない。変だなあ、どこのガス栓を開けたんだろう」 

 「お前はガス栓を開けたんだぞという声が聞こえたの?」 

 「・・・なんだか、今、ミカンを食べていたら、そんな気がしてきたんだ。先生、早く退院させてね、悪いところは治すから。そして、ガス栓も調べておいてね」 

 (ほれぼれするような、尊敬したくなるようなケースだ。根気よく言葉を交わしていって、幻聴の存在を突き止める辺りは、ホント、感動的だ。 

 この子は、14歳の男子らしく、どこか素直でかわいらしいところさえ感じられる。本当は自分が何かとんでもなく悪いことをした(殺人とか)のではないかと恐れていたのであり、そのために自棄になっていたのかもしれない。 

 それにしても、14歳の子供がタバコをくれと言って、医師がホイとタバコを差し出すなんて、現在の医療現場では見られない光景だ。なんか、ほのぼのした光景だなあと僕には思える。そういう大らかな時代だったんだなあと思う。当時の方が今よりもずっと人間的な世界だったかもしれない) 

 

(cl55)医師を刺殺した分裂病患者 

 16歳の分裂病患者。その日の午前に彼は病院を脱走する。この患者の父親が来て、可哀相だから退院させたいと、主治医のN医師に申し出た。N医師はこの申し出に応じる。 

 その夜、患者の様子がおかしいということで往診を頼まれた。すでに休んでいたところを起きて、看護士を連れ、4キロほど離れた患者の家まで、N医師は往診に赴いた。 

 家に着くと、患者はおらず、付近を捜していると、懐中電灯を片手に、患者が帰ってきた。病院に電話しに行った母親の後を追ったらしい。 

 N医師はすぐに彼の元に寄って声をかけた。 

 懐中電灯が暗闇に飛ぶ。医師と患者が組み合ったと見る間に、医師は呻き声を上げて、倒れた。少年の手には血塗られたナイフが握られていた。N医師は、心臓にまで達した刺傷のために、その夜のうちに死亡した。 

 (精神科医にしろ、カウンセラーにしろ、心の問題に取り組もうとする人間は、いつでも命を落とす覚悟をしておかなければならない。これは誇張ではない。不幸にも、患者に刺されて命を落としてしまう医師や看護士がいるのだ。僕もいつか刺されるかもしれない。そういう恐れを持ちながら仕事をしなければならないのだ。 

 このケースでは、まだ退院させるべきではない患者を退院させてしまったのだ。父親の訴えをthは拒否すべきだったのだ) 

 

(cl56)麻薬中毒の医師 

 thは友人の医師の様子がおかしいという連絡を受けた。友人には麻薬中毒の傾向があった。彼は自分の異常状態に気づいているから、thが訪問するとギョッとなって身構えた。激しい抵抗があったが、友人は病院に入院することができた。 

 彼は自分の浮気を知った妻から責められることを恐れて、妻を三日間も薬で眠らせ続けていると言う。 

 麻薬の禁断症状がまだ現れていないので、友人の意識は清明であった。彼は退院させてくれと懇願するがthは承知しなかった。そして、彼は保護室に連れて行かれた。悲痛な叫びを上げた友人は、溢れるばかりの怨恨をこめた目をthに向けた。 

 もし、友人をそのままにしておいたら、彼の妻はあと3,4日で死んでいただろう。 

 (時に、自分が助けた人間、あるいは自分が助けようとした人間から恨まれてしまうものである。Thは友人を助けたのだ。彼が殺人罪になることを防いだのだ。彼からのその代償は怨恨だったのだ) 

 

<テキスト> 

『民間精神病院物語』(谷口憲郎 著) 有明 

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

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